シャーベット状の水面の紋様
(1/21森本トンネル)
風が走った?
カタツムリが這った?

いえいえ、
この池を縄張りにしているカイツブリのつがいの作ったもの。

ところでこの水鳥
古名はにほとり、水に入る鳥。漢字も「鳰」。鳰の海という四股名のお相撲さんがいらっしゃいますが、滋賀県のご出身。
それが、カイツブリに置き換わったということ。

つぶらな、つまりかわいらしい眼をし、足を櫂のように巧みにつかって泳ぐ水鳥uので、カイツブリ。
もっともだという共感を得たのでしょう。
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
『漢字でおはなし』シリーズ 五,六年生 汐文社 刊
史実と体験、それを踏まえながら、夢のあるファンタジックなお話にしたててある、それがこのシリーズの特徴なんですが、このシリーズ、お話を楽しみながら、知らず知らずのうちに漢字に親しめる学習の要素も持つという優れものなんです。
書かれたのは丹後の海や川に住む妖怪ガ-タロに取材した『うちゅうでいちばん』(岩崎書店)の児童文学者・川北亮司さん。
さて、このなかの「明日を織る」というお話、これも、イメージが丹後発のお話なんですよ。

日本人はクズやカラムシや藤などの植物から繊維を取りだして糸にし、織り上げて衣類などにつかっていたのです。
それらの技術も用具も販路も、あたらしい繊維木綿が普及していくなか、、急速に廃れて姿を消していったわけです。
(上・下 川北亮司さん撮影)
ところが、その中の一つ、藤の織りもの、一九七〇年代まで、丹後の世屋にはそれを、暮らしの糧としておりつづけるお年寄りたちがいらっしゃったのです。
このお話、そのお年寄りたちと作者との出会いを元に大きく膨らませていただいたお話なんですよ。

四季のある国で、日本人は自然を恵みに変えて暮らしてきました。冬、雪は深くても、それは、地下に溜まって春からの米作りに大切な水になるのです。
雪を恨んだりはしませんでした、雪の下、春に望みを託して黙々と糸を績み織り続ける暮らし方、現代人にも重いものを問いかけているようです。
お子様におまごさんに、ご希望の方、本屋さんにお問い合わせください。
「此雪いくばくの力をつひやし、いくばくの銭を費し、終日ほりたる跡その夜大雪降り夜明て見れば元のごとし」。と『北越雪譜』で鈴木さん。
(↑2016,1/20)
越後塩沢で、越後上布などてびろく大きなお商売をやっていらっしゃたので、雪でも店はあけておかねばならず、雪との戦い、そりゃあそのご苦労は並大抵のことではなかったのでしょう。
(↑ 2011,1,26)
けれど、地球は水の惑星。
(↑2011,1,30)
「地球上の水の総量は、およそ14億km3、すなわち約140京トン」。
しかし、そのうち、雨や雪、河川や湖沼などの形で我々の周りにある真水の液体は、約0.014パーセントの量というじゃないですか。水の大半が、塩水で約97.5パーセント、淡水はたった約2.5パーセント。しかも、その大部分は極地の氷や地下水であったりするので、直接には触れることはないのです。
水が貴重品なら雪なんかもう宝物なんです、
たしかに不便は感じます。けれど、そんなときのおまじない、克雪 利雪 親雪、、、。+楽雪!
(↑2012/02/12 )
そう思えば、なんともいとおしくなって、家の中に閉じこもってなんかいられなくなってくるのが不思議です。
「水仙のうつむき加減やさしくてふるさとふいに思う1月」(俵万智※)

雪国北越旧・中里村(現十日町市)で施行されていた条例の中の文言です。
( ↑ 『北越雪譜』挿絵 鈴木牧之)
基本理念 – 雪対策は、村と村民が一体となって、克雪、利雪、親雪等の施策を長期的かつ総合的に推進することにより、すべての村民がはつらつとした活力ある村づくりを目指すものとする。(第2条)
いわば、雪を逆手に取った町おこし条例、

なかなか、いいですよ、克服する 利用する、親しむ、、引っ込んでいちゃあいけない引け目におもっちゃいけない、この名称を「雪国はつらつ条例」と付け、活性化を図った。この積極性が、教科書にも取り上げられるまでに評価された!よかったのはここまで、
ある塾の先生、生徒さんに教えているときに「え!雪国は、つら、い、よ、条例?」
編集者さんよほど「男はつらいよ」のファンだったための単なる誤植なのにね、なんですが、はからずも条例の本質的な意図を突いている『雪国は辛いよ』という間違い、
なんか、あらためて応援しようよという気持ちになるんですから、語り伝えましょうよ、わすれないで!
※京都新聞1/17 凡語
☆おっかさん居なくて大丈夫?
歌合、歌比べの朝のこと、これは優劣が付き力量才能が見極められる、今でいうコンテスト、オーディションみたいなもの、緊張して臨む小式部さんを冷やかす男。
▲お気遣いありがとう、でも私はわたしですわ!と小式部内侍さん、
「おほえ山※ ②いく野の道のとほければまだふみもみず天の橋立」

意地の悪い人はいつの世にも(^.^)小式部というのは、そのおっかさんの女房名が和泉式部さんで、共に宮中勤めをしていてその娘だから。そして、この歌は、おっかさんがご主人藤原保昌さんの任国・丹後に下り、離れて暮らしていた事情を背景に生まれた歌。
しかし、「ふみ」 とか「いくの」とか、「おほえ山」とか「天橋立」とかを用いて、この歌を踏まえて後に詠まれた歌(派生歌)※③の数の多さ、他に比類を見ないものでしょうそれもこのイジワルが元だったことを思えばなにが幸いするかわかりません。
◇大江山こえていく野の末とほみ道ある世にもあひにけるかな(藤原範兼[新古今])
◇ふみもみぬいく野のよそにかへる雁かすむ浪間のまつとつたへよ(藤原定家)
◇ことづてむ人の心もあやふさにふみだにも見ぬあさむつの橋(藤原定家)
◇おほえ山こかげもとほくなりにけりいく野のすゑの夕立の空(飛鳥井雅経)
◇おほえ山いく野の道の長き夜に露をつくしてやどる月かな(後鳥羽院)
◇夏草は繁りにけりな大江山こえていく野の道もなきまで(藤原忠定[新後拾遺])
◇草の原いくのの末にしらるらん秋風ぞ吹く天の橋立(順徳院)
◇ふる雪に生野の道の末まではいかがふみみん天の橋立(正親町院右京大夫[続拾遺])
◇思ふよりいとどいく野の道たえてまだふみもみずつもる雪かな(少将内侍)
◇おほえ山いく野の道もまだ見ねばただ恋ひわたる天の橋立(飛鳥井雅有)
◇大江山過ぎしいく野のなぐさめに日をわたるべき天の橋立(後柏原院)
◇かけていはば遠き道かは人の世も神代のままの天の浮橋(三条西実隆)
◇大江山とほしとみえしほどもなくいく野のすゑにかかる夕立(中院通勝)
◇たよりありて待たれし雲の上人もけふふみそむる天の橋立(細川幽斎)
◇恋ひわたる天の橋立ふみみても猶つれなしや与謝のうら松(松永貞徳)
◇浪の音に聞きつたへても思ふぞよふみ見ばいかに天の橋立(後水尾院)
◇さらにその天のはしだてふみも見じいく野の末にかすむ雁がね(契沖)
◇年をへて思ひわたりししるしにや今日ふみ見たる天の橋立(田捨女)
◇おほえ山いくへかすみて丹波路やいく野のすゑに春風ぞふく(清水浜臣)
ところで、、その親式部さんこと和泉式部さん、「丹後式部」と名のってもいいのですけれど、実は、その前に和泉守・橘道貞さんとむすばれていたため、残念ながら、丹後式部という女房名は生まれなかったのです。
さて、この塚は和泉式部さんの歌塚だとの言い伝え。
この歌を詠んだという金剛心院は、世屋谷の入り口にあります。
和泉式部さんが丹後に下ったのが、1013年・長和2年。約一〇〇〇年前。境内のタブの巨木は、その頃の歌詠みの様子を見ていたのでしょうか。

また、小式部さんの歌の才、親譲りと喜んでおられたことでしょうが、親子の運命はむごく、娘小式部さん、早逝されてしまいます。出産に伴うもの(1025年・万寿2年)だったとのこと。和泉式部さんが、娘小式部内侍を悼んで捧げた歌、
「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ子はまさりけり」
子供と親を置いて旅だってしまって、娘を亡くしたのがこんなに辛いのに、子どもを遺して逝った娘はどんなに辛いだろう、、
「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遙かに照らせ 山の端の月」
「天橋立」の歌と一緒に伝えていくことが、小式部さんへのお礼と供養かもしれません。
※①うた あわせ 【歌合】
※②◇おほえ山 旧山城・丹波国境の大枝山と丹波・丹後国境で酒呑童子伝説で名高い大江山、両説ある。どっちやねん、本当は?
※③千人万首 「小式部内侍 」から
www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta
フキノトウ

◇ここにふきのとうひらいてゐる 山頭火
◇ほとばしる水のほとりの蕗の薹 野村 泊月

私たちの頭には、フキノトウが咲いたら春、と強力にインプットされています。
◇甦る春の地霊や蕗の薹 久女

ところが、1500m上空で-6度の寒気が南下している、遅まきながらこれからが冬と言う天気予報。
(うえ下 NHK1/18 天気予報)
◇節分は まだ先なのに フキノトウ 世屋野蕪村
◇おっちょこちょいあわてんぼ いわば言えと フキノトウ 世屋野蕪村

◇めげるなよ、くじけるなよ、がまんしろよ、きをつけろよ、フキノトウ 世屋野蕪村
この寒波で多少の積雪などあるかもしれない。
けれども、今咲く!あんたの判断、信じるよ!
五十河川橋りょう!
正しい読み方を選べ
①ごじゅうかわ・かわはしりょう、、、
②ごじゅうかわ・かわきょうりょう、、、
③いそこかわ・はしりょう、、、
④いかががわ・きょうりょう
これがわかるのは丹後人。
正解は④
さていかが川といかがの里と山!がここ。
ここは、昭和31年まで五十河村。町村合併の指導のなか、1951年(昭和26年)大宮町が誕生したさいにもみあわせ、五十河村のまま。大宮町と合併したのは5年後1956年。その、群れるのを潔しとしない思惑というのか自負というのか独立性の根拠は歴史にあるかも。
イカガという特徴ある地名の音に着目したのは斉藤さん。※www.geocities.jp/k_saito
近くは籠コノ神社、香河カゴ、嘉久カグ屋橋などさらに近江の伊香イカ 枚方の伊加賀イカガの共通オンを持つところを集めて、ガラガラポン、
その結論 「丹後の五十河イカガも物部系氏族がやってきて開いた地ではなかろうか」
彼らなら、探鉱技術者集団で蛇信仰をもっていたので、そういう痕跡が周辺にあるはずとおっしゃいます。
ありますよ、にゅうどうとうげに、等楽寺の白蛇伝説。
それと、高森神社、
なんと読むかと思います?
タカモリ、
イエス、
なんだ
けれどこのお社のある付近の小字は古森・コモリ
「コモリを古森にして高森と書き誤ってそれをタカモリとよんだ可能性はある」
それが?
コモリはなぜか金属と関係が深い地!と斉藤さん。
、、、、、
合併見合わせの根拠は、歴史に育まれたアイデンティティと水里山のうつくしさ豊かさなのかと想像します。
丹後の源流の森、内山山塊を借景にした小町公園が美しい五十河の里、探訪の最寄り駅は京丹後大宮駅ですが、そこからバス便がでているわけではないので、自家用車ご利用がいいかと思います。
丹後各地に、梅の便り。
さて、 苺、毎、 梅、敏、繁、海、悔、晦、侮、毒などは「母」の『単語家族』、みんな女、産む、始まり、子孫、母系という意味の「母」という部分をもっています。

そのため、「海」は一説に「水の母」のイメージを元にするといいますまた、産むが語源とも。
ところで、さんずいを木偏に換えた『梅』も木の母、また、「産め」に通じて、1年の花の開花の歩みを旅や川に喩えて考えると、花の命の多幸な1年のリレーの始まりを告げる木と言うことになります。
歳新た(旧正月)、その始まりを言祝ぎ咲く花、道元さんは格別に梅へ思い入れを持った方で『梅花力』と言う語でしられますが、四季の国をまとめさせる力を認めてのことなのかもしれません。

「春されば、まず咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ 」山上憶良
梅がお題の万葉集歌は119首。
梅と比較されるのが桜。
「梅の花、咲きて散りなば、桜花、継ぎて咲くべく、なりにてあらずや」
藥師張氏福子
万葉集花としては、四〇余りですが、暦花としては格別な地位をもっています。