宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

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世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

今年の世屋の里は雪解けか゛早い!

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フクジュソウが咲きましたよ。

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ワサビも。

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フキノトウも。

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いずれも春告げ花。人との関わりでいえばアブラナ科のワサビは、食用可。属名ワサビア・小種名ジャポニカ!日本を代表する山菜の中の山菜で、花も葉もテンプラにするとそば屋「まるたん」のマスター!  しかし、キンポウゲ科のフクジュソウはアドニンという成分を持っていて毒草、間違っても食べてはいけません。また、フキノトウは中間。食用にはするけれども、しっかり灰汁抜きをしてから。また、地下茎は毒、という記述があります。、地下茎まで誰が食べるかと思いましたが、それは間違い、飢饉などの歴史の中では辛い出来事があったのでしょう。

京都府景観資産をみながらトロンボーンを吹き、春を歓迎するカエルたち。

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いよいよ、彼らのシーズンです。

さて、  「春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ」 とは山上憶良さん。ところで、この歌の梅は紅白どちらの色の花なのでしょうか。憶良さん、「まづ咲くやどの 紅い梅」「まづ咲くやどの 白い梅 」とかにしておいてくれたらよかったのに。まさか、後世に自分の歌の花の色が問題になるとは予想だにされることではなかったのしょうけれど。
もっとも、「梅は三毒を絶つ」つまり食べ物の毒、血液の毒、水の毒を抑える効果を持つとされる梅干しは兵士が携帯したものといいます。梅は兵器として中国から移入されたのでしょう。ですから花の色を楽しむというのは二の次のことだったのでしょう。時は戦世。優れた官僚だったおくらさんの頭の中には、別の思いか゛巡っていたのかも。
一方、こちらの方ははっきりしています。
木の花は!と清少納言さんが「枕草子第37段」であげた早春から春にかけて木に咲く花たち。トップバッターの梅については、「こきもうすきも紅梅」と彼女の立場は明確。多少うすめでも「紅梅派」。よほど冬の寒さには懲りたということなのかも知れません。冬に引導を渡すのは白より紅ということなのでしょう(^.^)。いずれにしても、戦世を離れて純粋に季節を楽しんでいらっしゃいます。ちなみに、春の木の花、「桜 藤 橘 梨 楝(あふち)の花」と論評が展開されていますよ。

羽釜炊きのご飯

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このご飯が食べられるのも、
由良ミカン入りの大福

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これが食べられるのも
火、火のおかげ!

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今回は、その火を木と木の摩擦によって起こそうという趣向。木の湿り気を蒸発させ、熱を木の中にためていくと160度くらいから煙が出だし、発火するのはおよそ230℃といいます。とはいうもののそれが容易ではない!

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今回は、230℃に達することはできず(´・ω・`)マッチのお助けを借りました。現代式マッチの発明は1855年、それがたいへんな発明であることをあらためて認識。
そうした火の神様に感謝するセレモニーを経て食いくワークショップに。

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雪の下で世屋の冬を過ごした野菜たち!

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これらが世屋味噌とコラボして豚汁に。

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世屋の大地で3年育てられたイモがコンニャクに。丹後のお米とアズキと粟と由良のちいさいのて゛商品に出来ないミカンが大福に。

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人の知恵と技と自然の葛藤と闘いの末に生まれた美しいハーモニーを聞くことが出来た充実のひととき。

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さて、このイベントをしかけたのは、グリーンバレーズ。子どもたちを自然を楽しみながら自然と人間の関わりの世界へ誘うことも目標にしました。だれがつくったのどこでつくったのどうやってつくったのなぜこれを食べるの、、、食の丸ごとの体感を通して感謝と畏敬と科学の種を播くこと。

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けれどもそれは表の目標。裏目標は「飽食」は幻の特権!幸せを等しく享受出来る地球、そのためにしなければならないことはなにか、、、大人たちが「人間とは何か」をもっともっと深く深く問うこと。

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( ↑ キャベツを植えるkさん)
このイベントを「やるべき」だと促してくれたのが、じつは谷川俊太郎さん。

「成人の日に」という詩で、俊太郎さんは、こう語ります。
・・・・・・・・・・
人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉がしこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること
もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ
その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける
人は人を慰める
人は人を怖れ人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴れ着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ

・・・・・・・・・・・・・・

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食いく、、、は大人や子ども共通の「人間とは何か」を考える窓、原点だよと。
「他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり」

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(↑ 高山 山頂で 長岡緑の少年団のこどもたち)

谷川さんは、次回の実施を「求め」ています。

※この取り組みは京都府食いくの種交付金しえん事業の助成を受けて実施することができました。ちなみに、この事業は、平成26年9月12日(金)から、京都府内において、食育を実践する農業者や食文化の伝承者、学校・保護者等の食育実践者が連携して取り組む食育事業を対象として育成を図るという目的で募集されたもの。こ゛支援くださいました皆様にこころよりお礼申し上げます。

 

田の畦が表れたノウダ。

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往く冬と来る春との交差する一瞬!が美しいせやの里。

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今日カエルが車の前を横切るのを見ました、啓蟄は3月5日。一週間以上も早い。

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地温が上がっているのでしょう。

ちなみに、去年の2月25日!

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今年の26日。

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紅梅や式部納言の話聲 子規

蒔いておられる黒いものは牛糞でジャガイモ用とのこと。

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早く春が来ること決定!

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この笑顔の前に冬将軍ものこのことて゛てくることは出来ないでしょう(^.^)

ところで、今年のタケノコは不作、と早々と竹博士は予報。根拠は?と尋ねると竹の葉があかい!

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今から竹の秋状態。こういう年は上がらないとおっしゃいました。

うつくしいぃわぁ(^.^)

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乾燥の目安は、薪にひび割れができたり、打ち合わせたとき乾いた高い音がでる状態、含水率でいうと20~30%。期間で6ヶ月~2年。

木。

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人が人として生きてこられたのは紛れもなく木のお陰。

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さて、林の木を切り燃やすこととCO2の関係。発生するCO2、これはどうなるか!

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心配しないでください。

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切った株から出た芽が葉を出してそのCO2を吸収して成長していくのでプラスマイナス0!

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また、今の森の木を埋めておいたら、将来石炭になるのかと尋ねた子どもがいるそうです。いい質問です、、、答えはノー。菌類が問題!石炭を作った時代にはまだ菌類がいなかったのだそうです。

まもなく3月、いまの時期の主役は、梅。

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◆ 雪の色を、奪ひて咲ける、梅の花、今盛りなり、見む人もがも
◆ 残りたる雪に交れる梅の花、早くな散りそ、雪は消ぬとも

万葉集 巻5 大伴旅人

けれども、地味ではありますが、わたしも春告げ花!

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オウレン キンポウゲ科オウレン属の常緑の多年草。根茎が消化不良や下痢止めの健胃、整腸薬として用いられる漢方薬草です。

古民家に残るわらじの束、、、

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『京丹後市の民俗』の中の「国久くにしゃの生業」の項にはワラジの耐久性と必要数についての記述。いわく「わらじやゾウリは冬仕事として作った。これらは、約4キロの距離を履くと破れてしまうので、1日に一足、一年分として一人に約300足が必要であり、家族分すべてを一月から二月の間に作った。」、、、、この計算でいうと、「八朔や天橋立たばね熨斗」の句のある松尾芭蕉さん、千住から大垣までの奥の細道では、約1870kmを歩かれたと推定されているそうです。単純に割ると、はきつぶした数450足あまりということになるわけです。

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そこでワラジに関する数字をネットから拾い集めてみました。
①富士登山には往復で3足 程度のわらじが必要
②  高橋千劔破著『江戸の旅人』には、3,4里歩けばすり減って履けなくなる。当時の旅人は一日6~10里ほど歩いたそうですから、毎日2足ずつ必要とした。
③草鞋の値段は一足16文程度。一文20円として320円、
④作ろうと思えば日に20~30足でも作れたでしょうけど丹念に叩き繊維を柔らくしてからひも状に編みそれから草鞋作りとなれば一晩で5足ぐらい作るのがやっとの状態
これらの数字を当てはめると、芭蕉さん、ワラジ代としては450足×320円=144000円を支出されているということ。立ち寄り先からの差し入れとしてワラジは喜ばれたのかもしれません‥

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もう一つ、「約4キロの距離を履くと破れてしまう」というのと「3,4里歩けばすり減って履けなくなる」というのとの食い違い、どなたか調整していただけませんか(^.^)

春間近の丹後の山里で素敵な企画の便り!

きご物語

案内人の矢野文雄さんは正確な記憶と豊かな表現で定評の里山文化人。『自給自足』さんの挽き立て打ち立て湯がき立ての薫り高い蕎麦も最高、見逃せない企画ですよ。

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(上 画面右上から左下へ下る雪原が木子の里部)
さて、その前に、ちょっと予習しておくと矢野さんの案内がもっとおもしろくなるかも知れません!

S15.8に、『郷土と美術』に「木子の夏」と題して木子小学校の井本桃軒先生が寄せられた文章です。

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私の安住して居ます木子は、海抜千五百尺の高地にある木子といふ一区域で、戸数は五十に近く、位置は成相山を起点として、経ヶ岬へ走る大山脈の一部に位し、世屋村内の北端でありまして、一寺院と、一小学校とを有する寒村でありますが、近き将来に府道(日置-網野線)の通過する機運に向ひ目下工事中であります。
此木子の高地は、即ち有名なる太鼓山と同一山脈であります(この山間に七百余年の昔平家の残党が逃れ来て住んだ記録と遺物と地名が残る)斯る高地でありますから,冬は積雪一丈ばかり積もる事は珍しかちず。室内温度は、海辺よりも十度以上の差があります。幸にスキーの利用に依って、郵便その他の交通に支障はありませんが、大風雲の時はスキーマンと雖も一命に関する危険があり、交通杜絶の日も時々あります。府下有数の世屋スキー場は、木子の前面十町ばかりを距る山腹にありて、成相スキー場と連絡し、太鼓山迄も連絡があり、このスキー場へ来た人は木子に宿泊する事に成って居り、独逸人も来て泊りました。木子の夏は比較的涼しく、室気清澄にして、衛生に適し、木子に来てから病気の全快した人もあります。けれども、屋外の暑さは央して油断を許さぬ酷暑であります。田圃に労働する人日置局から二里の郵便の集配は気の毒至極であります。
住民の職業は始んど全部農業で、夏炭焼、養蚕を副業とする人も少々あれども純農ばかりと申すべきであります。田植は成るべく早く行ひます。田植が遅いと、秋冷が早くありますので、実が乗らずに青立に成って仕舞ますから、十分に光線を受けしむるには田植を早くする必要があります。東京の葛飾ほどに早くはないが、四月の天長節には籾種を苗代に播きつけます。六月に入ると直ちに田植にかゝります。浸水の籾種の残りで「甘米」を一斗ばかりも造ります。所謂麦芽糖の原理でありまして、甘味があり、廿米と申して居ます。
黒田甫夕先生が或雑誌で述べられました「たなばやし」「種生やし」であります。口中に入れて暫く含んで居る中に甘味が出て来ます。子供も大人も喜んで間食に用ひます。殊に田畑の重い土を耕す爲に非常の努力を用ひ、日の長い時季でありますから、田圃へ持参して働きつゝ間食すれば時間の経済上、楽だと仕事が捗りますので、何よりも重要なる食料であります。軍隊で御採用に成りましたら、無上の営養と御便利でありませう上思ひます。
農家は全部萱笹葺屋根で、屋根の厚さ一尺ばかり日射の透徹なく、夏は客室と寝室の外は全部板の間とし、鏡の如く拭き立てゝあります爲に、室内の涼しさは風を引くかと思ふ程です。朝早く露を蹴って牛をつれ田圃に出で日没の後に帰るのでありますが、近い田圃ならば午食に帰ります。汗の野良着を籬に干し牛には青草を与へて厩に休養せしめ、この涼室に入りて茄子の浅漬、胡瓜の酢もみに舌鼓を打ち、板の間に団扇を使ふ二時間ばかりは極楽です。午後又炎天下に労働して後、飼料の草を刈り集めて牛に着け夕焼もいつしか消えて合歓の葉の眠り谷風の涼しき夜路を帰り、牛を労はって厩に入れ、行水に労を流し、冷し西瓜を切り、新鮮な野菜の煮染、味噌汁に夕食をすれば、青田から吹き入る風はソヨソヨと蚊帳を揺るゝ中に大の字と成り夢を冷やす。
食物は米を常食とし、魚の顔も知らぬかと思はるゝ山奥なれど、鰮の安い時に笊に数はい買入置き、糠漬、桜干、鹵漬等適宜に貯蔵し、特に木子の渓流には「あめご」(あめ魚)とて鮎に劣らぬ程の珍味があり、却って大川には居ない魚です、田には尺に届く程の鯉が泳ぎ、鰻も川の岩の下に居ます。新鮮な卵も得られます。お手作の豆で、いつでも豆腐を作ります。
私が学校在職中、岩瀧校の先生、府中校の先生が三人木子へ避暑がしたいとの希望でありましたから、木子教念寺の御住職に申込んで快諾を得ました所、二人しか来られませんでしたが、ゆるゆると二週間ばかり本堂で避暑と勉強をいたし、庫裏からの賄を受け満足して帰られましたが、最終日には木子の渓流野間の渓流に添ふて右の魚を漁り、太鼓山に登って盆栽適当の草木を採集して帰られました。木子には祭りにも行事はなく娯楽といふ程の物はありませぬが、昔から盆踊には熱心な所で、大盆にも、地蔵盆にも踊りますが、それも時局中は中絶であります。 先は是にて擱筆と致します。 ※www.geocities.jp/k_saito_site/doc/kigo.html

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『郷土と美術』は沢村秀夫氏の編集。宮津、丹後一円の歴史・美術の発掘に多大な功績を残した雑誌です。

和と洋の共存した不思議なお店。

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画廊といえばマスターの趣味で喫茶が定番でしょう、けれどここは画廊寿司屋!

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フランスなどヨーロッパと丹後各地を切り取った作品の数々はみな「親父さん」の作品。

あの水谷脩先生、お店のファン、丹後に講演て゛見えられたときはたちよられるんだそうです。理由は、想像できます、まずは美味しいこと。

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この盛り合わせとボリューム。

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さらに加えて、親父さんの時代と社会をばっさりと切りさばく豪快で豊富て多様な話題。丹後の言葉で、丹後人の目でみた、なかにはもちろん教育論も。最も盛り上がるのは寅さんアジサイの恋。先生はここでネタを仕入れていかれるのかも。

親父さん、昭和22年生まれ。丹後を感じ見つめ、撮り、描き続けたハートは紛れもなく丹後の海山川連環の語り部キーパーソン!とは私の感想。

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色目さまざまな深いみどり。

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◆橋立の 切戸入り江の 浅蜊舟 漕き゛つれかえる 夕べとなれば   柳田新太郎 ※

「いただけませんか?」とついいいそうになるほど。

海と人と山とが繋がった命と暮らしの息づかいか゛聞こえる海の里。

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押しつけはしませんけれど与謝野町岩滝の、ニューきらく屋さん、絵を鑑賞させていただいてから丹後観光へもいいかと思います(^.^)

※『天橋立百人一首』あまのはしだて出版から

 

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