夏!

海左手から吹いてきた湿気を含んだ由良が岳にあたり、上昇気流になって雲を発達させる様子が見て取れます。
日は短くなっているのに暑くなるのは、この海、温もりにくく冷めにくい海のせいなんですって(^.^)
と言うことですから、あつくても野山のものは、秋モード!
ススキの穂もでて、秋の七草が出そろいました。
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
夕日直下の山、
特徴のある形の山です、標高494m
呼び名も格別。まず[日暮れ山] 中郡平野東側の村からは夕日の美しく沈むのが見られるのです。
こうなると、何かを感じます。
阿弥陀様が五色の雲に乗ってお迎えに来てくださったようだ!そこで二つ目、[来迎山」。
さらに、それは土地の神々が仏さんに姿を変えて姿を見せてくださるのだ、と言うことで「権現山」。網野町切畑にあるので、三つ目「切畑権現山。

頂上にある吉野神社は、「根付け」の神様として信仰をあつめ、田植え後や半夏生の頃境内のササを折り取って水田にたてる習慣があったと伝えます。
中郡平野の東にあって夕日を送る丹後二宮の大宮売神社で執り行われていたという古代祭祀の主役は沈む日輪だったのかもしれません。
※撮影場所 京丹後市大宮町小町温泉付近 ※山についての情報 『京都府の地名』平凡社刊
『日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之』
万葉仮名で表記された歌です。
この歌には、昆虫と植物が1つずつ読み込まれています(^.^)
[ヒグラシ」日晩之 と「オミナエシ」乎美奈敝之!
よみ: ひぐらしの、鳴きぬる時は、をみなへし、咲きたる野辺(のへ)を、行きつつ見べし
意味: ひぐらしが鳴く時には、おみなえしが咲いている野をめぐって眺めるのがいいですよ
※万葉集: 女郎花(おみなへし)を詠んだ歌 – AIRnet
www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/ominaesi.html

写真なので絵だけですが、ビデオならその絵にかぶるヒグラシの鳴きねをきいてもらえますよ。
「ひょろひょろと なお露けしや 女郎花」と芭蕉さんは詠みましたが、この世屋の里・松尾原産のオミナエシは、なかなかどうして!
固いしっかりした茎が特徴です。
白んできた空に一つだけ残る星!
まもなく夜明けだ、あの山に登れば朝日が見える! 子どもっぽく胸を弾ませながら車を走らせました。 きっかけは「日置」からは、夏至の頃、冠島と沓島の間から日が昇る、だから日置だと日置の方がおっしゃったのを聞いたもので、そうだろうとは思うものの、写真を見せられたわけではなく、そうなら撮っておく必要があるだろうとおもったこと。
場所は日置を見下ろす成相山テレビ塔付近。
小鳥がさえずり始めます。トルルルルルー 谷からはアカショウビンの特徴のある鳴き声も聞こえます。
顔をだした太陽が風船を膨らますように天地に命の気を吹き込んでいくようでした。 
さて、「海との関係で日の出るところ」は、「太陽信仰の神(日神)を祀る土地」で「重要な土地」として太平洋から日の昇るのは伊勢だとして神社をもうけたのだが、一方日本海から日の昇るところはどこだろうか興味があると森浩一さん。※北近畿の考古学」(両丹考古学研究会・但馬考古学研究会)
冠島のほうから元伊勢・篭神社の神様はいらっしゃったといいます。
海の光りの中を走る船が、それはほんとうだといっているかのようでした。森先生は、出雲とも考えられるが、日本書紀や奈良からでる木簡には「旦波」とかいてある。「旦」とは、国語辞典では、
〈タン〉あさ。夜明け。「旦夕/一旦・元旦・吉旦・月旦・歳旦・早旦・明旦」とあります。そういうことをふまえ、たんばというところの「丹波」がひのもとを意味する「旦」の「旦波」なら丹後丹波である可能性があるとおっしゃっていますが、がここの朝日に光る波を見られたら、どういうことをおっしゃったでしょうか。
また、かって成相寺は、この付近にあったと伝えます。朝日は仏の出現、修行の僧の皆さんは朝日に祈られたのかもしれません。
、、うちは、日蓮宗ですので「(^.^)、、
「諸佛世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見をしめさんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、これを諸佛はただ一大事の因縁をもっての故に世に出現したもうと為なずく。三界は安きことなし。猶お火宅のごとし。衆苦充満して甚だ怖畏すべし。常に生老病死の憂患うーげんあり。かくの如きらの火、しーねんとしてやまず。如来はすでに三界の火宅をはなれて寂然として閑居げんこし,林野に安処あんじょせり。いまこの三界はみなこれ我が有なり。その中の衆生は、悉くこれ我が子なり。しかも、今此の處は諸々の患難げんなん多し。唯我一人のみよく救護くごをなす。我化の四衆、比丘比丘尼、および清信士女をつかわして法師を供養せしめ、諸の衆生を引導してこれをあつめて法をきかしめん。若し人悪刀杖あくとうじょうおよび、瓦石がしゃくをくわえんと欲せば、すなわち変化へんげの人をつかわしてこれがために衛護えごとなさん。爾その時に、寶塔の中うちより大音声いだして歎ほめてのたまわく。善哉ぜんざい、善哉。釈迦牟尼世尊。よく平等大慧びょうどうだいえー、教菩薩法、佛所護念の妙法華経をもって、大衆だいしゅーのために説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、所説のごときは、皆是真実なり(薬王山常徳寺発行 『新しき佛教のおつとめ』から)]
ツユクサ!
さて、ウィキペディアがいうところの「ツユクサ」。
「朝咲いた花が昼しぼむことが朝露を連想させることから「露草」と名付けられたという説がある。英名の Dayflower も「その日のうちにしぼむ花」という意味を持つ。また「鴨跖草(つゆくさ、おうせきそう)」の字があてられることもある。ツユクサは古くは「つきくさ」と呼ばれており、上述した説以外に、この「つきくさ」が転じてツユクサになったという説もある。「つきくさ」は月草とも着草とも表され、元々は花弁の青い色が「着」きやすいことから「着き草」と呼ばれていたものと言われているが、『万葉集』などの和歌集では「月草」の表記が多い。この他、その特徴的な花の形から、蛍草(ほたるぐさ)や帽子花(ぼうしばな)、花の鮮やかな青色から青花(あおばな)などの別名がある。」、、、便利です。しかし、これを鵜呑みにすると「コピペガイド」(^.^)
月とかホタルの連想は、黄色い雄しべの塊から。
また、ツユクサは、夏の朝、盛んに成長する稲の葉先に水滴を結ぶ頃にたんぼの畦で咲き始めるので。と、、解釈しますけれど(^.^)
日ヶ谷・天長寺!
観音様はお姿を33に変えて衆生をお救いくださった、その33のお姿を拝めば極楽往生できるというのが観音信仰の中の巡礼行。
西国33所などスケールの大きなものがある一方で地方を単位にした庶民版もあるのです。
天長寺の観音様は花蓮観音、右手に蓮を持っていらっしゃいます。そのためだと私は推察しているのですが、日ヶ谷には立派な花蓮公苑。
また、観音様の台座には!
念ずれば花開く、、、、。
と言うことで、今が見ごろの花蓮公苑を楽しんだあとは、天長寺の観音様にも参拝されるのがお奨め(^.^)
ちなみに、世屋山慈眼寺は、六番札所。ここでは♪「濁る共 淸くすませよ 瀧の水 大悲のちかひ 深き谷川」とご詠歌を唱和しながら、お参りされたそうです。
花には、合弁花、離弁花とがあるというのですが、ネムはどちらになるのでしょう。 
ピンクの色に見せるのは、雄しべ。花びらではないのです。先端に花粉が付いています。また、ひとかたまりが一つの花ではなく、小さな花の集まり。塊ひとつに10~20の花が集まっています。
ひとつの小花には30本ほどの雄しべがありますから、花一つには300~600の雄しべということになります。 
白っぽいネム
、濃いピンクのネム、その違いは、雄しべの色の違いなのです。 その雄しべに交じっている真白な「しべ」、それが雌しべです。 
また、花と蜜はセットです。けれどネムは一つ一つの小花が蜜を出すのでなく、軸の付いた花、【頂生花】といいますが、これだけが虫を誘引する蜜をだすということです。
ちなみに、「合歓」を用いた名字、合歓谷、合歓山、合歓平、、、など多数と思ったのですが、ありません。「合歓垣」さん「合歓木さんなど少数。世屋のような状況は今日的な「異常」なんでしょうね。