日置では霙、
(↑撮影日時 2015/12/17 16:18)
世屋では雪
(↑ 撮影日時 2015/12/17 15:56)
NHKニュース18日夕方。
いってきまーあす
(↑ 撮影日時 2015/12/18 13:11)
ありがとぉー
( ↑ 撮影日時 2015/12/18 13:15)
日置小まえには木の香り新しいバス待合。
宮高建築科の生徒さんの作品だそうです。山にかえるひとへのあったかいおくりものです。
ほほーがらしゃさんは!
「元気な里日置会議」さんの看板です。
「細川ガラシャ」さんのことなら金田マリ さんという方が歌っておいでるんですって。
この歌、ユーチューブで視聴できます、こんなうたてす。
♪散りぬべき時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
移り変わりは世の常なれど 光秀の謀反に声も無し
我が子と別離 身を隠す 丹後奥山味土野の里の
花無き峰に呼子鳥
(詩吟 細川玉子 源八岳 作)
群雄覇を争いし 戦国の季 人心頽廃して 節義無し
斯くの時敢然信仰に生き 殉節の血は染む 浪速の地
篤き信仰十字架胸に 命ささげて 義を守る
苦難の道を凜として 生きた証しをこの世に遺し 細川ガラシャ ちりてゆく
詩 山田美楓 曲 猪俣義周
呼子鳥とは、直訳すれば、人に呼びかけるように鳴く鳥ですが、鳥の種類については、カッコウだ、いやいやウグイスだ・ホトトギスだ・ツツドリだ、ヒヨドリだ、いやいやさにあらずサルでござるぞ、と各説とびかっています。あのとりは私になにかようでもあるかのようにないていますわね、と感じたらなんでも呼子鳥、聞き手の主観にゆだねられている範囲がおおいようです。
金田版細川か゛らしゃ、現在回数746回、応援してあげましょうよ(^.^)

さて、か゛らしゃ話で忘れてならないのが、伊崎義明さんの『戦国哀史・花無き峰』(昭和52年刊)。話では、謀反人の娘となった妻を夜陰に乗じ逃したのは忠興の独自の判断、しかも極秘で実行。その際に玉に付けたのは二人のみ、一人は侍女霜、実は信長から玉を通して光秀を見張るように命じられた女忍者、一人は弓の木城ただ一人の生き残り鉄砲の名手稲富伊賀守祐直(すけなお)、目指すは野間の庄の山奥、霜ゆかりの地、忠興からの密命を帯びた二人にまもられたお玉さんをのせた手こぎ舟は宮津を発ったあと文珠の切れ戸から内海にはいって、府中の中村という浜に立ち寄ったことになっていて、その後どのコースをどれくらいかけて味土野に辿りついたかは、触れてらっしゃいません。「伊賀守たち三人が、野間の庄の行者山に近い高雄山の中腹にある山毛欅の森の炭焼き小屋に辿りついたのは、幾日目であったろうか。」とされているのみ。
『戦国哀史・花無き峰』は、戦国のさまざまな謎に果敢に挑戦して、見事に仮説をたてておられて名作です、稲富祐直を主人公においた松本清張の「火の縄」と比べよむと、ローカルな視点とメジャーの視点との違いが際立ち、見解や設定もことなり、おもしろさが増すかもしれません。
その味土野は、正面丹後アルプスの稜線左、なだらかにくだった奥にあります。考えて見れば、逃避行に足跡が残るはずはないのです、、、、逃避行の一行は日置浜に上陸、世屋から野間コースをたどった、という説、そのさいこの沿道の里里の だれか゛どういう援助をしたかもひそかにかつ具体的につたわっていて説得力はありますよ。また、修験者の庇護家て゛もあった細川家は、修験者にゆだね、丹後の行者山いまの金剛童子山へ向かわせたということですよといまの、ほそかわさんの奥さんのお話もあるそうです。
細川家の謀略にかかってほろぼされた一色家の残党の怨念のきえやらぬ丹後の地、宮津から味土野までの天下の反逆者の娘の逃避行、そこだけにかき゛ってどなたか小説仕立てでえがくことに挑戦してくださいませんか。
ちなみに、緊急極秘脱出行のさいの味土野へのルートについて、伊崎さんは、内海府中から姿をけしたかたちにしておられますが、状況がおちついてからは、細川家として隠棲生活を保護するようになり、宮津から海路日置、そして陸路世屋路て必要な物資の搬入をおこなったとかいておられます。
カーブする自転車の左側、電信柱二本分の間、
そこは、「カワラナデシコ」群生地なのです。たんにせいいくしているだけでなくじつは、「保全」していて 「野生生物の利活用による地域づくり – 先進事例と各地の活用事例」※として、環境省のネットでも公開されているところなんですよ。
それにしても、そこは「野生生物の利活用による地域づくり – 先進事例と各地の活用事例」なのだからとイノシシか゛餌場にすることからみのがしてくれることはない、そこで、侵入を防ぐのにヒガンバナをうえてみようと思ったのです。
「モリ青君、こんなところで寝てたのか!いやいや、あぶないところだった、けがしてないかい!」 サイズからはメスだとみました。 また埋め戻しましたが、そんなに深いところにはいなかったという実感、モリアオガエルが地中浅いところで冬眠している年は暖冬!なのかもしれません、野生の勘はあたりますから。
また、産卵期以外に森でモリアオガエルと出会うことはなかなか無い、ましてや冬眠中のモリアオガエルなんて、まず出会うことはありません、確率でいえば、
ねんまつじゃんぼた空くじ、熊に遭遇して襲われることより低いこと。それを今なら、ここだよこれだよ、とお見せすること出来ますよ、アメリカやフランスからいらっしゃっても値打ちがあることかも。ご連絡ください(^.^)ここ、モリアオガエル冬眠畑としても大事な所だと言うことが付け加わりました。
(↑NHKニュース12/16)
さて、里のカワラナデシコを世界一のナデシコに導き、ついでに世屋ナデシコも世に出してくれた澤選手が引退、
本ブログ2012/09/13世屋ナデシコの種・配布について、をごらんください(^.^)
なでしこジャパン 祝 ロンドン五輪銀メダル ヤングなでしこ 祝U20ワールドカップ銅メダルの 記念と激励にという趣旨をご理解いただき、天の橋立観光協会・天の橋立駅と音楽と焼きたてパンのお店「コピンヌ」(大宮町口大野)にも種を置かせてもらうことができました、、、
以来、せやナデシコは女子サッカーを文化にというナデシコ戦士たちとともにあゆんでまいりました、
「あきらめない」このメッセージ胸に刻んでおきます。
※「農林業を通じた里地里山の利用が減少している中で、「人の働きかけ」を回復させるための方法のひとつとして、里地里山に生息・生育する野生生物に着目し、特定の生きものをシンボルとする農林水産物等のブランド化、観光(エコツーリズム)、環境教育プログラムなど、各地域における社会経済活動と関連づけることが効果的である。という趣旨で試みられているものです。参照 www.env.go.jp/nature/satoyama/satonavi/…/wildlife-report.pdf」
『丹後アルプス』に初雪です、
(↑ 大宮町五十河 撮影日時 2015/12/17 9:09)
北の空
(↑ 京丹後大宮駅撮影日時 2015/12/17 8:43 )
その空の下の海もさぞあれていることて゛しょう、
(↑京丹後市あさもがわ 2006/02/06)
「宇宙で一番」の季節です。

『うちゅうでいちばん』(岩崎書店)は児童むけのお話で、伊根町蒲入を舞台に海に生きる漁師の親と子どもの交流を描いています。これを書いてくれたのは児童文学作家の川北亮司さん。川北さんは、その本の販売チラシでこういうことをいってらっしゃいます。「丹後半島を旅行されている皆さん、せっかくの旅ですから、ぜひ地元の人たちと交流して、丹後の暮らしを丸ごと味わっていってください、。旅行を終えていつもの町に帰ったとき、丹後は楽しい思い出だけでなく、きっと新たな生きる力になっているはずです」と。そういうことです、この本、日置のレストラン「ビオラビット」で扱ってくださっています、おしょくじのついでにみてください。
ちなみに今朝の降雪、上世屋街道の通行にはさしさわりがないとのことです。
師走の皐月サツキなんて洒落にもなりません。
(↑ 日置 妙円寺 撮影日時 2015/12/16 )
この暖冬を喜んでいるのは、この方。

イノシシの自然分布域は、「積雪30センチ以上の日数が70日以内」とされるように、雪は苦手なのに、温暖化にともなって豪雪地の日本海側の生息域を北上させているのですって。※朝日新聞 2009年3月14日 参照 発情期は12月~2月、妊娠期間4~5ヶ月、出産4 月~6月、出産数平均4~5頭。そんなかれらが、のひ゛のびと冬越しするわけですから、来春はへ゛ビーーブーム。
そんななか、私たちにもできる里山保全のお手伝いは、寝床や泥浴びの場にする草の茂る休耕地や耕作放棄地をともかく刈ること、それが実に楽しい、
一緒にやりませんか。
京都工芸繊維大学が京都府北部でがんばります。

花から酵母と乳酸菌がとれて、酒にヨーグルトに。
『京丹後3つの財産 長寿 発酵 藤布 →プロジェクト藤』
いいねといっています、一票。

しかし、「京丹後は、藤のツルを加工して布を織る藤布が復元されて残っている唯一のまちです」ママ、、、と冒頭の一句。世屋エコツーガイドの会としては、どう説明をしたら、、「そうなの?知らんもんが読んだらそうおもうがな、ほれ、しっかりせな!」といいたい気分もちょっと。どういう経過でそうなっているのでしょう?

その商品名『藤布の里』にしても、ラベルを見たことがないのでなんともいえません、世屋の里の光景が使われているならともかく、そうでなければ、たからかに「唯一のまち」と宣言されるについては、やっぱりなんかすっきりしませんね。「残っている」が新技術を加え時代に適応させた「実業(工芸)として定着した」という表現になれば実際「栽培採取製糸織り上げ加工販売」までが体系化されているのが京丹後市なわけですし、「丹後は日本で唯一残っている地域」という言い方にするとそのとおりだと思いますが、身近に藤織り伝承交流館があってそこで研修したりしている方の様子を見ているものとしては、京丹後は唯一残っているまち、それでもって「藤布の里」という表し方、にはちょっと飲み込みにくいものを感じます。、、、
言葉はむずかしいですね(^.^)がまあ、全体的にはいいんじゃないですか、さすがに学社連携の成果。歳暮のシーズンです、どこにいけば手に入るのでしょうか、
通れるか とたずねられました。
通れないとはいえないとこたえました。
では通れるのかと問われました。
腕章を示しながら、いけんことはないというのといけるとは違います。悪いとこではないので道はつけた、いいとこに決まっている、しかし、倒木落石路肩崩れ、路面波打ち、カーブミラーも壊れている、全くの林道。谷に落ちててもみつけてくれませんよ。
しいていうなら、軽で25km以下のスピードで。
普通乗用車、まして高級車には奨められません。歩かれるのがいいんじゃないですか、但し熊鈴は鳴らしてください、とこたえました。
つまり、走るべき道ではないというメッセージをつたえたかったということです。

そんな説明をしながら、私的には、世屋高原旅行村も営業休止していて、成相寺や大内峠と結ぶ利便性はそれほどに無い、長い通行止め期間の間もそれほど不満が寄せられたようには思えない。林道が企画された昭和50年代と今とでは車のサイズの規格も違います。これを工事して高規格にするなどは、その出費にみあう効果が上がるとも思えない。
そんなことですから、むしろ環境保全の観点から成相側は鼓が岳電波塔で柵、世屋側はミョウガ谷の橋で柵、その間は緊急車、もしくは林業者のみ限定とかにして一般車通行不可、原則歩行者のみ、そして林道途中からは高山山頂へ続き、内山ブナハウスや駒倉入山口につながる観察道を拓く、、柵の所にはトイレも設ける。そんな案を提案したいと思いました。
それのほうが、安全を確保し森林環境を保全しつつ活用促進を図ることができる、いったらあかんと言う方が逆に行ってみたくなることもあります、そんなメリハリの付け方が必要だと思いました。
きんさん、、

ひどい時代だったんだってねぇ、、、、、すごいことをなさったんですね
■あたりまえのことしただけ 、
(↑三枚 NHK画像)
ところでCOP21(国連気候変動会議) パリ協定がまとまったけど、気温上昇を革命産業革命前より1.5度未満、二酸化炭素排出量をわが国は2013年度比26%削減、できるやろうか、

■やらなあかん、やらねば橋立面海面上昇で、ブナ林は温暖化て゛姿を消してしまうだろうから、

宮津きてくださる?地球救えるのは金さんだ。来年のフォレスト協会助成事業の講師に!会場は金さんの前のフジ棚の下!
、、、、、、
夢見ていました!
※放送 2015年10月20日
【番組タイトル】*先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 「生み出せ!小さなムダから大きな利益~二宮尊徳~」
内容情報
①小さなことからコツコツと 二宮尊徳・人生立て直し術
銅像で有名な二宮尊徳が、600以上の農村を復興させ、地域再生のスペシャリストとなった知恵を読み解く。小田原藩の中流農家で生まれた尊徳だが、50代で幕臣に登用される。日光神領の復興を任されるまでになった尊徳の生涯に迫る他、小さな無駄を大きな利益へと小学校の銅像でおなじみの二宮尊徳は、江戸後期の疲弊した藩財政、600以上の農村を復興に導いた地域再生のスペシャリストだった。
(thetv.jp/program/0000813679/plot/)
※② 小田原藩の中流農家に生まれた尊徳は、20代で洪水のため荒れ果てた田畑を復活させ、それから次々と難事業を成し遂げた。50代になる頃には幕臣に登用され、日光神領の復興を任されるほどの実力者になっていた。置かれた立場や環境に見合った視点で状況を整理し、小さな無駄を大きな利益へと転じる尊徳の処世術から、現代生活にも役立つ知恵を読み解く。( www.j-cast.com/tv/2015/10/18247874.html )
GARAKUTA KOUBOU | 我楽田工房のブログ。
(↑同ブログから 「あれがゆうめいなあまのはしだてですかぁ」ちがうんだこれはね栗田半島といって、、)
明日を思い今を模索するまじめな若者の何でも見てやろう体験ブログです。
garakuta.tokyo/798 – キャッシュ、2014-09-05 【レポート】地域との関わり方を考える〜京都府宮津市へ〜をいますぐ検索!。
、、、、、… 棚田と里山の風景が広がる宮津の世屋地区 でエコツアーガイドをなさっている、安田潤(やすだじゅん)さんに上世屋を中心に宮津の 様々な所を … さて、夕飯は世屋のさらに山奥、木子という地域でペンションを営まれて いる、「手作りログハウス木子ふぁーむペンション」さんで頂きました!、、、、
へ(^.^)ですよ。それはともかく、、、、
東京の知人からの電話、「N大とW大の学生だ、ファンをつくり、ファンと共につくる。地域から始まるモノ・コトづくりをテーマにしている若者だ、宮津を
みせたい、案内してやってくれ」。~じつは、その知人たちとはそういう趣旨の要請があれば無条件で一宿一飯を提供し、その行動を容易にすることをたすける という無言の協定があるのです~
石破さんが地方創世大臣をやるまえのこと、地域から始まるモノ・コトづくり!えらいことやろうとしているんだなあと
おもいながら、わたしのもらったエリアは橋北だったので、わたしなりに組んでわたしなりにガイドさせていただいたことをおもいだしています。
地方創世、、それを 世にだすのに先立ってそのための人作りか゛すすめられていたですね。
いい若者たちでした、ファンをつくり、ファンと共につくる。地域から始まるモノ・コトづくり
いっそうの活躍を期待しています。
また、こういう若者ならいつでもうけいれ お手伝いしますので、気軽にごれんらくください。