宮津エコツアー · yasuda

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“わたしはいま、日が谷のダリア畑にいて、ボリュームのある色さまざまな美しさに圧倒されています”、 IMG_9639だりあ

(↑ 撮影 9/26)

秋の畑の手入れをされているご夫婦の様子を見ながら、ダリア守りという言葉が浮かびました。もちろんさくら守りという言葉からの連想です。さくら守りとは、植物を愛し、中でもとくに桜への思い入れが半端でなくそののいのちを守ることに生涯を費やすといった樹医さんや園丁さんのことをさします。 それとおなじようなおもいいれで、このダリアたちは育てられているように思ったからです。

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畑は、旧日が谷小学校前の道端あります。

ちなみにダリア、原産地は中南米の高地、メキシコでは国花。ヨーロッパで品種改良が加えられ、品種は3万以上、東北地方に優れたダリア園が多いのは涼しい気候を好むため、とのこと。

“わたしはいま「日本で最も美しい村」のひとつ、いねちょうのはなまんかいのそばばたけにきています” IMG_9594

“白い蕎麦と蒼い空と紅いヒガンバナ、、にほんのさとやまのあきのげんふうけいがかっきをもっていきづいているのをかんじています ” IMG_9577そば

レポーター風にいうとこうなるのでしょう。 さて、 その「日本で最も美しい村」について連合HPから、関係部分を抜粋させていただきました。 ◆時期 NPO法人「日本で最も美しい村」連合(商標登録済)と言います。 通称、美しい村連合は、2005年に7つの町村からスタートしました。 ◆背景・動機・目的 当時は、いわゆる平成の大合併として市町村合併が促進され、小さくても素晴らしい地域資源や美しい景観を持つ村の存続が難しくなって来た時期にありました。私たちは、フランスの素朴な美しい村を厳選し紹介する「フランスの最も美しい村」運動に範をとり、失ったら二度と取り戻せない日本の農山漁村の景観・文化を守りつつ、最も美しい村としての自立を目指す運動をはじめました。 ◆歴史 最も美しい村運動は、行き詰まりを見せた先進国の都市モデルの成長信仰から脱却した新しい社会運動として、フランスで1982年に起こりました。その後、ベルギーのワロン州、カナダのケベック州、イタリアに「最も美しい村運動」は広がり組織が立ち上がりました。さらに、2012年には、これらの国と日本を加えた5ヶ国の協会で、「世界で最も美しい村連合会 The most beautiful villages in the World 」を設立しました IMG_9603そば

「日本の里100」という言い方と、ふたつ言い方はよくにています。写真写しには格好のポイントが多い。けれど、決定的に違うところ、それはそのなかに含んでいる「運動」観ということではないかと考えていましたけれど、そのとおり。世屋の里も、伊根の里から学ぶこと多し、白い蕎麦と蒼い空が教えてくれました。

ちなみに、※  加盟条件人口1万人以下   対象自治体数 2010年時点で869 加盟村は2014年11月現在、55自治体ということ。

一見して、よく繁茂しているススキの株ですが、実はここはある生き物のアットホーム。

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いわば、夏は涼しく冬温かく、人がそれをみてつくったのかとおもえるほどまでに完璧な茅葺きのお家、それがたくさんあるので「茅葺き民家群」という風情なのでさすが国定公園の面目躍如と言いたいところです。

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が、住人は、イノシシたちということですから話は別!

実りの時を迎えた上世屋棚田群、

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電柵や鉄柵で厳重に防衛してこそなのですが、油断すると一夜にして踏み荒らされるのが現実。
イノシシたちの梁山泊、焼き討ちすれば簡単、春はたくさんの山菜の生える棚田跡が蘇るのでしょうがそうもいきません、

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どうするか、「刈る」それしかありません、

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「青年よ、草刈り機を持て!」世屋野蕪村

一度はあきらめられたものです、価値がある行為とはいえません、けれどそんな判断は先送りして、とざされた視界か゛自らの行為で開ける感動はあじわってみる値打ちはありますよ、あらためて、「青年よ、スマホを置いて草刈り機を持て!」

世屋の里から見える若狭湾を行く船。

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 海上保安庁の船のようです。舞鶴湾にある基地に帰港するところなのでしょう。

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あそこが入り口とはわかるものの奥の様子はわかりません、軍港としての条件は「湾口が狭く、防御に適しており、湾内は波静かで多くの艦船が停泊できる」ことというそうですが、舞鶴湾は100%その条件を満たす地形ということです。
ちなみに  舞鶴におかれていた鎮守府、近代明治政府は1886年海軍条例の制定、日本の沿岸、海面を5海軍区に分け、各海軍区に軍港と「所轄海軍区の防備、所属艦艇の統率・補給・出動準備、兵員の徴募・訓練、施政の運営・監督」を任務とする機関を置きましたか゛、その機関につけたのが「鎮守府」という言葉。鎮守、いかにも古めかしいことばです、意味は、「1 兵士を駐在させて、その地をしずめ守る」こと 。古代に東国進出のため陸奥の国におかれて軍政を司った機関につけられたのが始まりです。その整備には日清戦争で得た賠償金があてられ、舞鶴に開庁したのは明治34年(1901)10月1日とのこと。

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その後、世屋高原は、日露戦争、太平洋戦争と出入りする軍艦をどれだけ見続けてきたことか、、、。

上世屋には、特設見張り所がもうけられ、サーチライトで空を見張るなど、鎮守府防衛の一翼を担っていたとのこと。

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(↑ 10/3 見張り所跡調査)

舞鶴海軍工廠からは上世屋全焼の火事の煙が見えたということです。上世屋からは、原爆模擬弾が投下された舞鶴空襲もみえたのでしょう。そして、敗戦。多くの引き揚げ船がこの海をよこぎって入港していきました。

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舞鶴湾の奥ではその引き揚げ記念館リニューアルオープンが準備されているということ。その一方で強行された安保法制、それを時の総理大臣は「戦後70年、不戦の誓いをより強固なものにするために、、、」と説明されます。

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ですが、1901年以来114年の間、世屋高原が見てきたものがそれで納得するのかどうか、、、、。

 

雨音しきり。

全国のアメダス

四国で、記録的短時間大雨情報をは発令させている雨雲につながって降っている雨だとわかること、

あたらないのは八卦と天気予報!と育ってきたわたしたちの世代には感動以外のなにものでもありません。

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いつ頃からいつ頃まで、どれくらいの量か゛なぜ、など状況がひろくわかるとそれだけ余裕をもってはんだんや計画をたてることができます。

万歳、科学の進歩!とはいうものの、たんぼには刈らんなん稲か゛残っているし、稲木にも乾燥させんなんのか゛かかっている、

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”進歩しないさせない”古いことをよしとする世界もあるのです。

たのんまっせおてやわらかに!とねがうしかありません。

 

◆あれ、えらい葉がないねぇ

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◇台風の風でねぇ<ここは風が強い所だから、、、、

そういうのはYさんのリンゴの木。
◆あれ、、花もつけてるねぇ

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◇そうよ、わかったぁ!花芽はね無夏の間にもうできているのよ、葉っぱで休眠ホルモンを作っている間にその葉っぱがなくなっちゃうもんだから、もうこのいい天気が続くもんで

◆休眠のしばりがきかないので花芽も春だと思っちゃったわけだね!

◇そうなのよ、ほほほほほ(^.^)

◆♪りんごのはなびらがあきのかぜにちったよなぁ

熟した「ヤマボウシ」はクリーミーて゛、さとやまのこどもか゛楽しみにした秋の山の恵み!でした。

chinamini.tubutubuwa.hananoato.sonokazu.32tonokoto!.

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さて、万葉集で「道の辺の いちしの花の いちしろく 人みな知りぬ 我が恋妻は(11-2480)」と歌われるこの「いちしの花」は、このヤマボウシではなかったか、という説も否定できないとされています。
丹後では、「いつき」というのがヤマボウシの丹後方言、これは近畿から北陸、長野のほうでも、イッツキ、イチギ、イチキと呼ばれていた、花も白いことも当てはまることだと。
しかし、この「いちしろし」は、現在の「いちじるしい」、よく目立つ、という意味で、色の白ではないと解釈すべしとされたり、諸資料の分析によって、ヒガンバナと推定するのが妥当であろうとされています。

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残念、ヤマボウシ君!

連休連日秋晴れ。

あきばれ

さて、1000もあるヒガンバナの方言の一つにクチナワバナ。

ひがんばなに

クチナワは古語で蛇のこと。英語に直訳すればスネークフラワー!ほんとうにヘビ、スネークなんですよ、

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和泉先生は「クチナワを模式図的にあらわすと、 >――――  」と示してくださっていますので、イメージ的にはわかりますが、手に取ってみれば生々しくわかります。茎は弾力があるのです、男の子が女の子にむかってくねくねくさせ「くちなわ(へび)だぁ」とびっくりさせて遊んだ様子がうかんでくるではありませんか。

せやたいまつ

さて、さて、クチナワ様のお告げ「22日、新聞各紙はヒガンバナ名所がにぎわっていると報道しとった蛇ろ、。日本人にはたいへん人気のあるものなの蛇、蛇からなこの丘をヒガンバナ園にするがよい」

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なんとおっしゃる、こんなに広いのですぞ!

「だいじょうぶ蛇、秘策を教えよう!」

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大量にいりますよ。

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(↑日置にて)

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(↑府中にて)

「だいじょうぶ蛇、府中日置波見世屋がひとつになればいいの蛇!」

人手はと゛うするんですか

「だいじょうぶ蛇、学生さんたちに相談すればいいの蛇!」

(^.^)(^.^)(^.^)

くちなわ

「そうか、そんな相談なら、わしらも協力せなあかん」、とくちなわ様が!

どんな協力が?

「きょうだいしんせきなかまともだちみんなでみにいく」

◆「京の春」すこし召したかヒガンバナ   世屋野蕪村

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さて、ヒガンバナには1000以上の方言が、、と。

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その一つ、クチナワ花。これは絶妙のたとえだと思いました。
クチナワというのはヘビの古名。平安時代の辞書「和名抄」(源順、931-938)に、「虵  倍へ美み、一名 久知奈波くちなは 」と掲載されているということ。では、ヒガンバナとヘビどこがぁ?というと、葉のない茎の先に付く花冠、切り倒して横にすると何となくヘビに似ているというのです。なるほど。ヒガンバナの咲くころ、ヘビはまもなくくる冬に備えて体力をつけておくために盛んに動き回ります。よく出会います。口を開け、蘂が出た花の形も、ヘビが口を開けて舌を出している様子に似ています。

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さらに、「狐ノタイマツ、火焔ソウ、野ダイマツ」という方言も。

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これもいいですねぇ。
牧野富太郎先生も
「このヒガンバナの花咲く深秋の季節に、野辺、山辺、道の辺、河の畔の土堤、田の土堤、山畑の縁などを見渡すと、いたるところに群集し、高く茎を立てて並び、あの赫灼たる深紅の花を咲かせて、そこかしこを装飾している光景は、誰の目にも気がつかぬはずがない。そしてその群れをなして咲き誇っているところ、まるで火事でも起こったようだ。」おっしゃって、その名付け方に共感されています。  ※「牧野富太郎選集」2巻所載の「万葉集のイチシ」の稿

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かって棚田だった棚の畦に並べてみました。たしかに「野たいまつ」

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ヒガンバナの「和火」のようでした。

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、、、、、、、この稿植物語源研究家・和泉晃一氏の論考「ヒガンバナ―万葉植物「壱師いちし」考」を参考にさせていただきました。

紅一点!

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え、ヒガンバナは上世屋の里の野には無いはず!

そうなんです、赤は火の色、

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火事の多かった村にはうけいれられなかったのかもしれません、

これが種明かし、(^.^)

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今日はヒガンバナ晴れ、ただし日置では。

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このヒガンバナ、世屋で「風景活け」をして見たらと「お借り」してきたのです。

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いわばゲストフラワー!あうじゃあないですか。というわけで、、

「風景活け」作品①

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「風景活け」作品②

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「風景活け」作品③

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「風景活け」作品④

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展示のお手伝い、ありがとう(^.^)

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この連休中、晴れていれば展開しています、

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このバスで上がってきてください。

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