難波野オリーブ園の枝垂れ桜
「令和の「月の夜」に難波野に蘇る天平の枝垂れ桜が、人類の難敵を討ち従えてくれましょうぞ!」
これがお告げの夜桜です
そうかぁ、このかたが令和のジャンヌダルクさくらかぁと思えます。
暮らし方の現代化の付けを払わされていることを学びながら、今は心一つにじっとしていましょう。
来年の今月今夜、難波野の枝垂れ夜桜、ぜひ見にいらしてください。
「ライトアップ」もおそらくしてお待ちしているでしょう。
みとたに夕べ桜
家路を急ぐ車にとってはつかの間なのでしょうが、そのつかの間のいやしがたいせつなのでしょうと、水戸谷峠桜が、今年も満開です。
さて、みとたにの漢字表記は「水門もしくは水戸」。意味は、
①河口付近にある海水の出入り口。みなと。 ②「水門(スイモン)」に同じ。
水の「みず」は、現代朝鮮語で水を意味するmul、この”mul”は古くは”mɨl”だったという説に説得力を感じます、
その水戸谷峠の山田側に、「弥刀みと」神社。大宮町側に「三重みえ」神社。一つの峠を境にしてふたつの神社名におなじ「み」の音をもつことに謎を感じます。
「弥刀みと」は「水戸みと」の美辞と考えられるので、「三重みえ」の「三」は「水」。としても「水重」はおかしい、「水え」の「え」は何を意味するのか、そこですね。
「三重(京丹後市大宮町) – 丹後の地名-tangonotimei.com/doc/tango/ktngc/mie.html」
は、「三重とは水辺のことで」はないかとおっしゃっています。これには全面的に納得。
その分析を以下、紹介します。
『宮津の方から行けば、国道312号やKTRの水戸谷峠を越えた所あたり一帯である。峠を下って、酒戸古の信号機のある三叉路をそのまま国道やKTRの進む方へは行かないで、右手(北側)の三重谷へ入ったところである。京丹後市の南東部、竹野川の上流部になる。この谷全体を三重谷と呼ぶ。
この谷間のあたりの水はいったいどう川が流れていたのだろうと思う不思議な場所である。古くは山田側へ水戸谷峠の場所を通って野田川側へ流れていたのではなかろうか。そうした向きの谷間である。ところが山田には山田断層があり、a-aの山脈は絶えず高くなる、そこにある水戸谷峠も高くなる’、水流が削る以上の速度で高くなっていったと思われる。従って三重谷は湖化していた時代があったのではなかろうか。三重とは水辺のことで、ちょっとした湖、湿地であったかも知れない。やがてb-bの山脈を開鑿してこちら側へ水を流した、たぶん人間がこの水路を設けたのではなかろうか。’
野田川に対してその下流側の位置から三重谷の支流が流れてくるというのは普通はなさそうなこと思われる。何か地形の変化があったかも知れない。赤い線の下側に山田断層があり、北側は隆起し、右ずれする、1回の地震で3メートルくらい右ずれするだろうと言われている。過去に2000回ばかり地震があって、三重谷を横切るような断層も何本かありそうだが、こちらがより多く移動したいたと仮定すれば、三重谷の方向は納得できる川筋になる。あるいは600万年くらいかけて丹後半島は若狭湾側へ張り出してきたのかも知れない。』
三重神社址にはエノキの巨樹。彼に聴けばなにか話してくれるかもしれません。
桜の花の下には「死人」が埋まっているという有名な詩の一節があります。だから美しいのだと。桜はメモリアル樹、埋められている死者の人生、生きた意味を語り伝えるのだという意味でしょうか。しかし、その事情を語り伝える人もなくなっています。桜には何かある、それを忍ぶのも桜の楽しみ方でしょうか。
その1、宮津・難波野の麓神社のサクラ。
花が白花で葉と一緒に出るタイプです、
種類をチェックすると、赤味大島が近いようですが、どうなんでしょうか!
麓神社の神木ムクノキは、周径505cmの巨樹です。
その2 府中の成相寺本坂道入り口のソメイヨシノ
旧い地蔵堂のそばにある巨樹サクラです。根本には多くの板碑。
その3 岩滝町・板列神社脇のサクラ公園の花もいいですよ。
花に囲まれている巨大な石碑
真名井純一翁の顕彰碑と読めます。
チェックすると郷土の製糸業の発展に尽くした方で、その功績については、
『幕末-明治時代の製糸業者。1826-1902
文政9年生まれ。生家は丹後(京都府)岩滝村で縮緬(ちりめん)をあきない,廻船問屋をかねた山家屋。製糸・養蚕の改良につとめた。明治3年阿波(あわ)徳島にまねかれて蚕糸改良を指導し,晩年は京都府技師となる。明治35年7月16日死去。77歳。本姓は小室。前名は利七,国蔵。
真名井純一[本姓小室利七]は文政12年(1829)岩滝村に生まれた。生家の小室家は山家屋と称し、代々廻漕問屋、生糸縮緬の販売を業 とした小室一族の宗家であった。先代利七の時代の山家屋は持船三十八艘で、縮緬の原料生糸を買収して機業に貸与、織上がった縮緬を京都に送り三井、下村等 に売却するを兼業としており、丹後における山家屋の機屋は数百軒にのぼり、そのために文政5年(1822)の大一揆において襲撃、打ち壊された経過をもつ 地方の豪商であった。 家を継いだ彼も縮緬の原料である生糸商いのため日本海で活躍していたが、万延元年(1860)米沢で製糸について学び、私費で製糸伝導所を開くなど丹後 地方での養蚕の奨励、良質生糸の製造に努め、明治9年(1876)、宮津の銀細工屋兼大工の中本藤右衛門の協力を得て、奥州座繰器(胴繰座繰)、上州座繰 器(角枠手引・丑首座繰)に改良を加えた新しい座繰器械を発明した。これが真名井座繰器と呼ばれるもので、多条繰糸機が実用化されるまで、広く蚕糸絹業界で活用された。この真名井座繰器は、上州座繰と あまり変わらないが、主な改良点は、①機械の運転を右手廻しにした②回転を円滑にするため歯数を増やし、歯形をインボリュート曲線とした③ケンネル撚を別 装置とした④浮繰りとしたなどで、性能が良く漸次他の器械を圧倒、使用は全国に及び我が国の製糸業発展に大きな足跡を残すことになった。
なお、真名井とは古来より丹後に縁の深い呼称で「たなばた天女」で知られる名峰磯砂山の別名でもあり、比沼麻奈為神社(峰山町久次)、豊受大神が降臨し た真名井原(現府中地区)や真名井神社(宮津市中野)など、農耕、機織り、醸造等の伝説的産業神と深く結び付いている。 さて、小室利七は若い頃私財を投じて現在の与謝の海病院南側付近を埋立て、真名井新田を完成させている。後年、それにちなんで「真名井純一」と名乗ったと伝えられているが、丹後の産業神としての由縁を知った上のことであったろう。
(京都府織物・機械金属振興センターの資料)』
~板列公園に偉人の業績 | ガチャマンおやじの忙しい日々gachaman.web-cat.netから~
日本の近代の文明開化と富国強兵を、丹後丹波は製紙で支えたのです。京都府織物・機械金属振興センターはその先頭に立たれたリーダーだった偉業を伝えています。建立は大正九年と書いてあります、園内のサクラは見たところソメイヨシノです、その時植樹された物とおもいますから、100年を越す長寿サクラです。ただ碑文は文語漢文です、今の人が読むには無理があります。その側に説明の看板をつけて頂けるとありがたいかなと思います。
「眠れる森の美女」といったらいいのでしょうか!
ヤブに埋もれていた銘木を蘇らせたのは、オリーブ園再開発事業。一帯の植栽数800本。
その整備に伴って、この桜の周りもきれいにされたということです。
まさに「玉も磨かずんば、、」の例え通りに咲き誇っています。
ともかく場所がいい、籠神社、真名井神社近く、古代から中世にかけての丹後の中心地だったところです。そこに蘇ったこの枝垂れ桜、現代の「木花咲耶姫」のご降臨と言った風情を感じさせる桜です。
花の瀑布のようなたたずまいに対して、花の株立ちには猛々しさも感じます。
主幹が2㍍に満たないため、現在の処は巨樹にはなりませんが、近い将来の巨樹候補です。
宮津市府中運動公園付近、山手に生育しています。
月は、宮津湾越しに登ってきます。なので、、、、
平山郁夫さんの「万葉月華図」のようなチャンスも訪れるのではないでしょうか。
大きな花を咲かせてくれてありがとう!
(↑ 丹後大宮駅)
ようこそ、一緒に頑張って大きな花をさかせましょう!
(↑ ソメイヨシノ桜)
別れと出会いの交差する駅にふさわしいのはやはり桜花。
廃線寸前のローカルで小さな駅ほど美しい花を咲かせています。
さて、上の桜は、エドヒガンサクラ。ソメイヨシノの片方の親、子どものサクラが全盛を誇る前、花のお江戸を彩っていたので江戸、さらに少し早咲きで彼岸頃から咲くことを合わせて江戸彼岸桜。
見分けるポイントは、ヒガンサクラは、花の付け根が丸く膨らんでいるところ、樹皮の筋が縦にはいっていることでしょうか。
五十河・小町寺の枝垂れ桜。この桜の味の濃さも格別です。
こんなときだからこそ、花としみじみ向き合い命の意味を考えられたら、次に生きていくのではないか、ともおもいます。しかし、やはり花見なんぞは、どんなものでも不要不急の最たる物。
今年は辛抱頂いて、来年の春にぜひ訪ねてみてください。
ローカル駅の古桜巡り、これも辛抱、辛抱!
(↑ 丹後大宮駅 )
株立ち樹ですが、234+124(358cm)で巨樹認定。
その花。
江戸彼岸でもソメイヨシノでもない!なんなのでしょうか?
いよいよ4月、野山に咲き誇る花の数が増えてきました。
(↑ 野間川の堤防のスイセン)
しかし、猖獗を極めるコロナウィルス。お花見どころではなく、東南アジアからの観光客の姿もぱったりと消えてしまいました。そのウィルスとの戦い、人だけがしているようなのですが、実はそうじゃない、植物も。彼らの生育地にはウィルスだらけ、植物は、フィトンチッとという成分を放ってウィルスと戦っているのだそうですね。
さしあたりワサビなどは、最強のウィルスハンター。
そんなことを思うと、花は、コロナごときにへこたれるな負けるなという人へのメッセージのように見えてきます。
それはともかく、花はええねぇ!それは、万国共通のものでしょう。、日本語の「花」は他の国ではどういうのかチェックしてみました。コロナ禍が収まって行き来が戻ったときに使えるといいですね。
まず、中国語. ホワ 花
(↑ 野間・洞養寺)
韓国語「꽃 コッ(花)」
(↑ 黄けまん)
タイ語 ドークマーィดอกไม้
(↑ エンレイソウ)
ベトナム語で花はHOA
(↑ アズマイチゲ ?)

(↑ ミヤマカタバミ)
スペイン語. フロル フロール flor
イタリア語. フィオーレ fiore.
オランダ語. ブルーム
【大和言葉の世界観】
目と芽、鼻と花、歯と葉、耳と実(み)、頬と穂(ほ)。顔と植物の各パーツが、まったく同様の音を持つ言葉で呼ばれているのは、偶然だろうか?万葉学者の中西進氏の説によれば、これらは語源が共通しているからだと言う。漢字にすれば、まったく別の言葉のように見えるが、古代の日本人は、顔のパーツも植物のパーツも、「め」「はな」「は」「み」「ほ」と同じように呼んで、同じようなものと考えていたようだ。
たとえば、鼻は顔の真ん中に突き出ている。同様に「花」も、植物の枝先の先端に咲く。そして岬の端も「はな」と呼ぶ。薩摩半島の「長崎鼻」がその一例である、さらに「かわりばな」「しょっぱな」「寝入りばな」など、物事の最初を表す意味も持つ。
古くは手足のことを「枝(えだ)」と呼んだ。「手」「足」と呼び分けるようになったのは、奈良時代あたりからである。
我々の先祖は、植物も人体も同じものだと見なしていた!
目から鱗の気分になりました。
宮津・八幡山城に立つ、九曜紋の幟旗!
丹後の統治を任された細川藤孝がこの山に入城したのが、1580年・天正8年のこと
この山の標高165m。足利幕府第三代将軍、足利義満をして六度訪れ、「玄妙なり」と言わしめた天橋立景観、どの位置に立ってそういったとは、記録にはありません。それは幸いなことなのでしょう、ここだろういやそうじゃないと考えることが出来るのですから。
玄妙とは、「・・・幽玄微妙なること。真の真に通ずるさま。なんとも言えない奥深さ。単純でなく、容易でなく、素晴らしい。しっとりと落ち着いて、心惹かれる感じや雰囲気」という意味です。-幽玄微妙という言葉は「非常に趣き深いという「幽玄」という表現を強調したものだと言えるでしょう。 微妙という言葉には趣深く、何とも言えない美しさや味わいがあるという意味を持ちます。 一言では言い表せないほどの繊細さがある」という意味です。
趣深く、何とも言えない美しさや味わいを感じさせるスペシャルな絶景はどこからなのか、いろいろ挙げられてはいますが、このポイントからですよ、と言われたら、容易にそうかもと頷かせる説得力を持っているのが、この山城の本丸付近からの眺望。
さて、雪舟の橋立来訪は、明応10年( 1501)から永正3年(1506)の間とされます。
水墨画を極めた老境の禅宗画家、雪舟を天橋立に導いたのは、義満のいった「玄妙なり」という一言だったような気がしています、その「玄妙」を絵に写し取りたい!
この八幡山城こそが、義満のみた「趣深く、何とも言えない美しさや味わいを感じさせるスペシャルな絶景」を写し取った天橋立絵図の立ち位置だったかもしれません。
そして、その80年後、藤孝もまた、この地に立ち、まさしく「玄妙なり」と景観を味わっていたのではないでしょうか。
中腹に鎮座される八幡神社までのシイの巨樹の森も味わいがありますよ。。
山桜背に蒼穹を負ひにけり 篠崎圭介
(↑ 大宮町三坂付近)
「蒼穹」の意味と使い方をチェックすると『「蒼」は「深い青色」ですが、「穹」には「ドーム型・アーチ状・弓形」といった「円を描くような形状」を表す意味もありました。広々とした空だと感じられる場所で天を眺めてみた時や、水平線よりも少し上の位置から空と海を見た時に、空が円を描いているように見えることがあります。また、「青が濃くて深く感じる」空もあります。漢字の意味からすると「青い空」=「蒼穹」というよりは、「円を描いて見える空」や「深みを感じる青色をした空」を表す時に「蒼穹」の言葉を使うことが最も適切な使い方だと言えます。』。
峠のような高みにある木を下から見ると、「蒼穹」を背に負う、このように見えるのでしょう。
さて、サクラの時を迎えた丹後路のサクラは、まず枝垂れ桜と山桜全線から。
まずは、 真名井神社前の天橋立ユースホステルの枝垂れサクラが、ほぼ満開。
退りては仰ぎてしだれざくらかな 高橋さえ子
歳月の重さを桜しだれたる 遠山風
咲き満ちてしだれ桜の寡黙かな 武井玲子
(↑ 三枚 天橋立ユースホステルの枝垂れサクラ 真名井神社前)
花守の屋根までしだれ桜咲く 中島正夫
鐘の音を含みて櫻しだれをり 荒幡美津恵
(↑二枚 妙立寺の枝垂れ桜)
悠久の時がしだれてゐる桜 松本圭司
(↑ 江尻の枝垂れサクラ 背後の山は由良ヶ岳 真名井神社参道の近くにあります。サクラを中心に一帯がオリーブ園として整備される予定です。)
日置・妙圓寺はさながら山桜寺。
みづからの歳月を経し山桜 津田清子
人間に鴬啼や山ざくら 蕪村遺稿 春
(↑二枚 日置 妙圓寺)
山桜見て居ればつく渡舟かな 波多野晋平
(↑ 伊根湾)
好きな木を一つ挙げれば山櫻 高澤良一
つぼみ膨らむ状態、
「いましばらくお待ちください。」
と案内板。