宮津エコツアー · yasuda

Articles by yasuda

~成相寺を語る~

天橋立を一望する鼓ヶ岳(標高569m)の南東山腹の標高328m辺りに成相寺はあります。

jpssesh54[1].jpgなりあい

が、創建時は山のさらに上方に位置し、修験の道場となっていたといいます。

その跡地には、スギの巨樹。周径735cm。

21 逆スギ

室町時代中期には与謝・丹波の両郡にわたって合計60町もの寺領をそなえ、いくつもの子院を従えた有力な一山寺院であったと伝えます。しかし、1400年(応永7年)に大山崩れがあり、いまの所に移って再建されたと言うこと。

2/7

さらに、丹後の大寺院だけに、応仁の乱(1467年~1478年)の抗争の戦場にもなり焼失したということ。それを再建したのが、丹後の守護一色氏。

雪舟が描いたのは、その再建された成相寺。とすれば、雪舟を招き、是非にと作画を依頼したのは、一色氏となるかも。

ep11img01[1]

しかし、そうして描かれたものの、寺は天文14年(1545年)焼損、その後、永禄年間(1558年~1570年)・慶長年間(1596年~1615年)の2度の再興によりようやく再建を果たしたとと言うことです。

この間に制作されたのが、京都府指定歴史資料の成相寺参詣曼荼羅

800px-Nariaiji_Sankei_Mandala[1]

画面は中央部の山地や雲霞によって大きく上下2つの部分に分かれ、上部には成相寺の信仰世界が描かれるという一般的な構図ですが、特に成相寺らしいのは、その天空の右に金箔の日輪、左に銀箔の月輪が配されているところ。実際に、若狭の海からの、日と月の出入りを見ることが出来るのです。

日の出 撮影日時 2014/09/21 6:02:46

コピー (1) ~ 海4

 

祈り9-2

一字観からの日の出 2004年1月。

118_1859

月の出

海9

日輪、月輪の東西の巡航を拝むことが出来るのはここだけ!

参詣へ誘う強力なアピールポイントがしっかり描かれていることがおもしろいです。

134_3429_r1

こんな成相寺、704年(慶雲元年)、真応上人の開基で、文武天皇の勅願寺となり、時代を見ながら2007年(平成19年)、高野山真言宗から独立し、真言宗単立寺院として、今に至っているということです。

~タブは天橋立霊世界の守護木~

静謐な天橋立の冬。

IMG_5625

正面山頂の成相寺、その下、海岸の一宮籠神社 そして、手前の智恩寺、この三寺社で、神や仏が人生の安寧を守り、命の意味を説くことに寄与しているのがタブの木の巨樹。

IMG_0450
日本では東北地方から九州・沖縄の森林に分布し、とくに海岸近くに多い。照葉樹林の代表的樹種

ずば抜けている 存在感や迫力は気持ちを落ち着かせてくれます。

IMG_0468
■ 磯の上の都万麻を見れば根を延へて年深からし神さびにけり 大伴家持

IMG_0469
さらに、大事なところですので守らなければならない、地震はともかく雷火事台風。風の強い海岸や山にたてるのですから防風樹、防火壁としても有効です、

また、寺社に欠かせない線香もこの木から採れるのです。

IMG_1037.jpgな

成相寺の五重塔側のタブは、胸高周径665cm。ここの標高約300m。丹後半島では限界標高に生育しています。
精神性と実利を備えている重宝な木です。

さらにお参りの絶えない智恩寺。

262_6242
文殊菩薩を祀る智恩寺のタブは、文樹と名付けられています。

IMG_9950

梢にヒノキを宿しているいることもこの木の奇跡です

IMG_9951

この智恩寺に重要文化財、多宝塔が建てられたのが、1500年、

雪舟が天橋立図を描いたのは1501年ごろ、

IMG_9948

文樹は、そんな様子を見ていたのかもと思わせる重厚感を漂わせています。

こうしてみると、天橋立霊世界の守護木は、タブの樹、といっていいようです。

海444

遠路六度訪れた時の将軍はこの角度からみて、玄妙なりとほめたと言います。

{天橋立に6度も通った室町幕府3代将軍、足利義満(在職:1368年 – 1395年)は天橋立をこう称したそうだ。「宇宙の玄妙」。この言葉には、景観を越えた一種禅的な深い精神性を含んでいる。その禅的な世界観で天橋立を描いたのが、禅僧にして画聖の雪舟だ。}

超激務の将軍職が遠路足を運んだのには、なにか意図があったと思うが、金閣寺を建てた文化人から、「宇宙の玄妙」と評されたことは、素直に喜んでおきたいことです。

なので、飛竜もいいですが、「玄妙観」もいいのではないでしょうか。

 

 

銅板画技法による天橋立絵図です。従成相山眺望天橋立之図、

mai30_25[1].jpg岡田地図

岡田春燈斎の手によるものです。 岡田春灯斎さんについては、「幕末の銅版画家。 京都の人。松本儀平に銅版画をまなぶ。弘化4年(1847)以後,諸国名所図や歴史絵などをおおく制作し,水月堂という屋号の店をひらいて販売した。」と紹介されています。

つまり、この図絵の世界は、幕末の天橋立周辺を反映しているのです。

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpg宮津

由良ヶ岳は丹後富士、宮津の城は舞鶴城、橋立明神の鳥居は西向き!

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpgなりあいじ

世屋山は「施谷山」!

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpgいちのみや

真名井神社は、「真名井与佐宮」で、東向きに江尻の海から参道が通じていた!

水墨画でもなく浮世絵でもまして写真で無い、モノトーンの色調と描線の細かさが特徴です。

銅版画は版画の一種です。木版画は凸部の色、銅板画は凹部のインクが紙に写ります。

これが、木版画。

6977[1]

広重二代 諸国六十八景 三十七丹後あまのはしだて、

文久2年(1862)のものです。

銅板画は、浮世絵に比べるとはどことなく異国情緒を感じさせるということで人気が出たということです。春燈斎さんは、「日本三景」も一枚に刷り込んでいます。正式名は、「日本三勝景」

mai30_23[1]山系

現在の「日本三景」の由来は、林春斎の『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)という記述だと言います。この著、寛永20年(1643年)の発行です。

そうですかぁ、日本を代表する勝景はいずれでしょうかのう、という茶飲み仲間の話題に、「松島、橋立、厳島、この三つでござろう」と言ったのが日本三勝景、つまり日本三景になったと言うことですが、相当な発言力のある方だったようです。チェックすると、東京大学総長みたいな立場のかただったようです。

「京都出身。那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えた。父羅山の死去後の明暦3年(1657年)林家を継ぎ、幕政に参与した。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密にあずかった。日本史に通じ、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えた。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となった。

多方面な関心をいだいて博学広才ぶりを発揮した父羅山にくらべ、鵞峯は、『本朝通鑑』や『日本王代一覧』などにおいて「日本」の国柄がどのようなものであったかを追究し、幕府政治の正統性や妥当性がどうあればいいかについて、その支配イデオロギー形成の端緒を開いたとも評される」

これにだめ押ししてくださったのが、貝原益軒さん。府中から成相寺へ登ることになり、その坂の途中で、「此坂中より天橋立、切戸の文殊、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宣[うべ]也…」(紀行記『己巳紀行[きしきこう]』)。

こういう人だったようです

「1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年(明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩[1]。翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五、向井元升、黒川道祐らと交友を深める。また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。」つまり、1657年から7年間、1664年まで、京都へ留学し、本草学朱子学を学んだ、その間に、丹後を訪れたと見ていいのでしょう。

この景観、「其景言語ヲ絶ス」と、言葉の達人益軒先生がおっしゃるぐらいですので、そこは私たちの出番と多くの絵の腕自慢が傑作を残しています。

雪舟さんの絵図、

jpssesh54[1]

広重さん

mai30_02[1]

 

62862[1]

これは国宝、日本の国宝です

201607o1812[1]

d293390084.1[1]

 

179791341_large[1]

さて、これ、

mai30_25[1].jpg岡田地図

さて、橋立画をこうやって並べてみますと、おかしいことに気がつきます。画になりやすい構図は成相から宮津方向なのに、雪舟絵図だけは特異なのです。

jpssesh54[1]

雪舟がこれを描いた1501(文亀元)年ころといいますと、1493年に明応の政変が起き、下克上の戦国時代の幕が開いた時期になります。写真が軍事機密とされたように、水墨画とはいえ今のドローンで空撮したような写実性に富んだ絵は、相当怪しいものであったはず。絵図に雪舟の落款、押印が無いというのも、丹後の守護一色氏の布陣の偵察ということがカモフラージュされていたのかもしれません。

ちなみに、この等身のお地蔵さん、

IMG_4085

雪舟図の智恩寺部分に描かれている物です。

寄進したのは大宮町三重に居城を構えた一色氏の重鎮大江越中守。代々その名を名乗ってらして、その最期の代の大江越中守は、光秀、藤孝連合軍との弓の木城決戦で討ち死にしたと言います。

Unknown-Three_Scenes_of_japan-View_of_Amanohashidate-00040357-050315-F06[1]

絵は正直です。

今日も天の橋立を写す人。台湾からですって。感想を尋ねたら

IMG_2643

「境致の佳なる 其景言語ヲ絶ス」ですって。

春斎さんと益軒さんだったのかもしれません。

 

 

『何故?? 私たちは世界遺産を目指すのか』と岡田保良先生は問いを立て、三つその理由をあげてくださいました。

IMG_9883.jpg世界遺産

ここでいう「私たち」とは、狭い意味では、世界各国の有識者や研究者や保全活動家、ということなんでしょう。

そうなんです、何故??その理由・目的を、地域市民レベルで共有することが不十分では戦えません。

そこから始めてくださいねということなんだろうと思います。

確かに、はて!と首をかしげるところがあります。三点挙げられました。

一つ「地域にとって、自分たちの歴史と遺産にあらためて目を向け、未来へ向かう高い意識を育てること」

一つ 「国土に刻み残された日本文化の豊かさを世界に発信すること」

そして 「世界の多様な文化に目を向け、平和な世界への礎としての国際感覚を醸成すること」

いずれもたいへん格調高く、大賛成。

ただ、自分たちの歴史、だとか、未来へ向かう意識、だとか言うことになると、そのイメージは人それぞれ千差万別ですから、、慎重な合意形成にこころがけなければならないところですが、運動の趣旨はすっきりと、説明頂いたとおもいました。

さて、自然歴史豊かな私たちの丹後の代表選手として、あまのはしだてをそのまな板に載せる

その見どころは、次のようにまとめられているといいます。

IMG_9910.jpg橋立美

その範囲1、IMG_9914.jpg範囲

範囲 2

IMG_9912.jpg範囲

国内的な評価

IMG_9910.jpg評価

このエリアの美しさ!これは間違いないところ。なにかにつけおせわになってきた関わりを持ってきたのです。

ただ、このあまのはしだてさん、だからといって自動登録されるのではない。

IMG_9910.jpg証明

確実な証明を世界を相手にすること、、というところで、奮闘奮戦努力してくださっているわけです。

世界史的国際的観点からというのは、専門家に頼まなければなりません。

が、私たちにも何か出来ることがあるかもしれません。

たとえば、、、、「芸術に仮託された風景美」とはなんぞや!あるいは、いうところの「紺碧の内海、白砂青松、海洋景観」と「歴史的宗教遺産群との融合」とはどんなこと?

124_2440

夜明けの成相寺です。

千万言を弄しても一枚の写真には及ばない!といいます。

IMG_0591

雪晴れの成相寺です

、、、、現場に立ちものだから見える物がある、そんなことで、天橋立とその周辺の構成物、海洋景観などの写真でご案内させてもらおうと思います

IMG_3731

♪人は誰もただ一人 旅に出て

人は誰も故郷を 振り返る

ちょっぴり淋しくて 振り返っても

そこにはただ風が吹いてるだけ

人は誰も人生に つまづいて

人は誰も夢やぶれ 振り返る

何かを求めて 振り返っても

そこには ただ 風が吹いているだけ

振り返らず ただ一人 一歩ずつ

振り返らず 泣かないで 歩くんだ

何かを求めて 振り返っても

そこには ただ 風が吹いているだけ

吹いているだけ 吹いているだけ

北山修 詩  シューベルト 歌 「風」

、、、、、、、、、、、、、、

題して、ブログ写真展 「風の吹くあまのはしだてと仲間たち」

【成相寺側からの橋立展望】

①笠松展望台から

256_9986

この標高約250m。

その股覗き。

55261[1]

ちなみに、その股覗きをするとこう見えます。

海4

②成相寺境内の森からの橋立

IMG_1068

この標高約320m

この森にタブの巨樹があります。その周径665cm。

IMG_1037.jpgな

丹後のブナとしては、もっとも高いところに生育する

樹です。

③ 成相寺上大観望からの橋立景観

IMG_7798

この標高約450m

この駐車場に車を置いて、さらに歩いてみましょう。

IMG_9197.jpg安全

ここの標高約500m。

伊根から冠島の向こうの越前海岸まで若狭湾のリアス式海岸の海洋景観を見ることができます。

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「念ずれば花開く」この言葉に励まされた人、その数しれず!

IMG_0140

念ずれば花開く、は四国は砥部の宗教詩人坂村真民さんの詩の一節です。

yjimage[2]

大宮町三坂のセンとラーレ前の公園にも、その碑があります。全国388番目の物といいます。

タンポポの穂のように、飛んでいき、根を下ろしています。

IMG_0149

この詩と故野村監督にまつわるエピソードを追悼番組で紹介していました。

IMG_9644

お相手は、gg佐藤元選手。

「①最近よく実家に行くんだけど、この前行った時に自分の部屋を片付けてたら、大切な物を発見!!! 中学3年生の時に、当時ヤクルトスワローズ監督だった、野村克也監督、直筆で頂いた物! 念ずれば、花ひらく!この言葉は、苦しい時や、諦めかけた時に、必ず頭に浮かんでもう少し頑張ろって!思えた、大好きな言葉。 野村監督が良く言ってた、、、人は、夢や目標は、想い続ければ、必ず実現する。 叶わなかった人は、どこかで諦めてしまった人。念ずれば、花ひらく!!! G.G.佐藤 (2013年5月20日 16:22) http://www.ggsato.com/2013/05/001640.html 野村克也」

(2014年7月16日 in 世屋・高山ガイド部会 by yasuda にアップ)

IMG_9643

監督自身の言葉、「運・根・鈍」も大きな影響を与えています。

IMG_9645

♪ほうちょういっぽん さらしにまいて たびにでるのも いたばのしゅぎょう♪

IMG_0318

偉大な功績にあらためて敬意を表すると共にご冥福をお祈りします。

IMG_0162

さて、坂村真民さんにはこんな詩もあります。

IMG_9539

(↑ 峰山町ごか大呂神社のむくろじ)

『一本の道を』

木や草と人間と
どこがちがうだろうか
みんな同じなのだ
いっしょうけんめいに
生きようとしているのをみると
ときがくれば彼等が
人間より偉らいとさえ思われる

IMG_0066

(↑ 弥栄町野間)
彼らはときがくれば
花を咲かせ
実をみのらせ
じぶんを完成させる
それにくらべて人間は
何一つしないで終わるものもいる

IMG_9662

(↑ 日置 金剛心院)
木に学べ
草に習えと
わたしはじぶんに言いきかせ
今日も一本の道を歩いて行く

、、、、、、、、、、、、、、、、、

一本の道を、虎杖の枯れ茎を杖に

「運・根・鈍」「運・根・鈍」「運・根・鈍」と唱えながら、

愚直な歩みを続けること、そういうことですな、監督!!
 

 

あ、そういうことね、223、、、ふ2じ2さん3!

img171

奇しくも令和天皇さんの誕生記念日と重なる日、おそれおおくてとてもそんなことはできる日ではないところですが、富士山の日がさきだったようです。そんなわけで世屋風に言えば、「がっしゃあ重宝なことだあやぁ」というところです。

そこで、インタビュータイム、インタビューアーは世屋野てるみさん。

DSCF6659

◆いつ、誰が、なにをはだてる(※丹後方言 企画する 企てる)のに決めなったったでぃゃあな?

「平成10年11月に、山梨県は、富士山の豊かな自然や美しい景観について、その保護と適正な利用により後世に引き継ぐため、静岡県とともに富士山憲章を制定し、その普及定着を図る運動を推進してきました。富士山の自然、景観及び歴史・文化を後世に引き継ぐための運動をなお一層推進するとともに、富士山の世界文化遺産登録の実現に向けて、静岡県、認定NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議等と連携し、国民運動を盛り上げるため、山梨県富士山の日条例を制定することとしました。」

富士山の世界文化遺産登録の実現に向けて、国民運動を盛り上げるため、なるほどぉ!

平成10年え?もう20年もまえのことですわなぁ。

そういう運動が実って、

「2013年平成25年6月、富士山が世界文化遺産に登録されました。」

◆15年もかかんなっただな、そりゃあよかった、で、どういうところを認めてくんなったですいなぁ?

「富士山の世界遺産登録は、富士山という自然の営みに宗教性、芸術性を見出してきた日本人の自然観や文化観が国際的に認められたからであり画期的なことでした。古の人々にとって、高くて美しい富士山は、噴火や溶岩流出を繰り返す恐ろしくも神秘的な山でした。
古来、日本人は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、 『遙拝』 の対象として敬いました。噴火活動が沈静化する平安時代後期以降、富士山は 『修験道』 の道場として、次第に 『登拝』 する山へと変化していきます。
また、富士山は、その雄大で美しい姿から芸術面でも多くの人々にインスピレーションを与えてきました。人と自然が信仰や芸術を通して共生する姿は、富士山が持つ大きな特徴の一つです。

『信仰の対象であり、芸術創作の源泉である』。

この見えない価値こそが、富士山を世界文化遺産に導いたのです」

◆この富士山に続け、世界遺産登録を天橋立も目ざしトンなるいうことをききましたけど、その話はどうなっとるでひょうきゃあなあ?

IMG_9851

その「223富士山の日」に、天橋立世界遺産講演会で、日本を代表して登録推進事業に当たってらっしゃる二人の先生が、「あまのはしだて」がを巡る状況と課題を話してくださいました。

IMG_9856

そのうちの一人、、「天橋立世界遺産登録推進会議専門委員会委員」の岡田保良先生のお話は、より率直でした。

IMG_9910

評価は、悪くない

しかし、門は狭く、敷居は高くなっている、

「世界史的・国際的な観点から、本資産がouvを持つ可能性について確実に証明することが必要である」つまり、世界が納得する情報を示し突破力のある理論を組み立てること

sessyu_img_05[1]

◆なんですいな、そのお湯無井というのは?

おーゆーぶい というのは、「OUV。「Outstanding Universal Value」の略で、「顕著な普遍的価値」と訳される。その意味は、「国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的意義・自然的な価値」

◆、国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した、、、ちゅうですだかどりゃあことだにゃあですかぇ!それにしても、ようしょうちしとらんだけど、どうでそんなどえりゃあもんに名乗りをあけようおもいなっただえ?

IMG_9882

◆「地域の人的・経済的負担は経済効果を超えるかもしれない。地域社会にはそれだけの覚悟が求められる。」というのは、どういうことですいなぁ、わたしらも覚悟せんなんですかえ!

IMG_1831

たしかにそうです、

「橋立だけなんて無理があるわ!」

「こりゃもう丹後全部でやらなアカンのじゃないですか!」

そういう反応も寄せられています。

こういう声をどううけとめ、どう答えていくか、も課題でしょう。

その点についての参考になるかもしれません。

見事登録を果たされた静岡県の川勝知事さん、

img172

「富士山を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」とおっしゃっています。

究める、守る、伝える、交わる、また、深く、永く、楽しく、広く、この4点セット、確かにポイントです。

img171.jpgふじさん

その言い方を借りれば、

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

ということになるんでしょう。

IMG_9948

少子高齢化の進む丹後のみならず京都振興に大きな力となることですし、実際に丹後観光の窓口としての観光資産の蓄積はだれしもみとめるところ。

が、、どうも人ごとになる。

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

たのしくつたえるったって、ヘビはおるかぁ カエルはおるかぁとなります。

1-0 えこ

なんだかどうとりつけばいいのか、、、です。

メーンタイトルは、天橋立を世界遺産に!これはいぞんはない、しかし、サブタイトルがほしいところなんです。

富士山は「日本は、もっといい国だ 富士山再生キャンペーン」を掲げてらっしゃる。

これってすごいですね。

1-1

(↑ 日本エコツーリズム憲章)

フィールド探究の実感から言えば、ここは、

「丹後を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」にして、

●丹後は、もっといい国だ

●丹後再生キャンペーン

「里山の日」「かいがん漂着ゴミの日」など『丹後の日』をたくさん設け、合力しあう、特に「天橋立の日」は月一回、内容は自由に創造する、そしてそれを持ち寄れば、

楽しく伝えられる、広く交われる!

はしだてがんばれの機運も盛り上がるようにおもいますけど、どうなんでしょうか。

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

「富士山を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

「丹後を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」、

 と並べて、それをお題にしてストーンぶれーみんぐ ってんですか、そんなことをしてみるのも方法かもしれません。

IMG_9840

その司会は、この方でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

庭に野に春到来を告げ、気分をそわそわさせる紅梅。

紅梅を見てみちのくの旅を恋ふ              稲畑汀子

IMG_9141
紅梅や庭に富士見の丘築き                  宮津昭彦

IMG_9300

紅梅を覚えてますかあのときの              中原幸子

IMG_9331

(↑ 大宮町 奥大野付近)

「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

「紅に色をばかへて梅の花香ぞことごとににほはざりける〈凡河内躬恒〉」

紅梅や見ぬ恋作る玉すだれ    松尾芭蕉

IMG_8000

紅梅に干しておくなり洗ひ猫   小林一茶

紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞    蕪村

IMG_0600.jpgこうばい

(↑ 伊根町寺領 )

紅梅の雑学

1 別名

好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)などがある

2 教訓

① 「桃栗三年、柿八年、柚(ゆず)の馬鹿野郎十八年、梅はすいすい十六年」種を植えてから実を収穫できるまでの期間を指す俚謡。本来は「桃栗三年柿八年」で一つの諺。「物事は簡単にうまくいくものではなく、一人前になるには地道な努力と忍耐が必要だ」という教訓である。

29 紅梅

(↑ 株立ち3本 周径529cm 環境省巨樹リスト 紅梅の部 二位))

②「梅の木学問」『広辞苑』では「梅の木が成長は速いが大木にならないように、進み方は速いが学問を大成させないままで終わること」である。反対は「楠学問」で「クスノキが成長は遅いが大木になるように、進み方はゆっくりであるが学問を大成させること」。

 

IMG_8001

紅梅や六分の侠気失わず                    苑田ひろまさ

朗報!です。

img163

さて、山陰海岸ジオパークとは。

img099

例えば、1 筆石から犬ヶ岬

イヌガ崎

2 高島海岸から犬ヶ岬

IMG_9480-1

3 ロウソク岩

イシノタワー

4 犬ヶ島を丹後松島付近から

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

5 犬ヶ岬側から高野、間人方面

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

観光創造は、価値創造に他ならない!

img169

確信をもった地道なアピールが実を結んだという意味では快挙、

アキ

(↑ 袖志の秋)

味の濃い里山と大きなスケールの日本海景観の組み合わせの絶妙感は、多くのおきゃくさんを魅了さすることでしょう!

 

 

 

読売・たんごニュースが、2月号にとりあげてくださいました。

img168

その、上世屋の雪なし2月、

IMG_9160

雪を求めて丹がきの子どもたち、

IMG_9159

予定としては冬の岳山「スノーシューウオーク」でしたので愛想がないことでしたけれど、、

IMG_9153

無い物ねだりしてもしようがない、屋根ずりのたまり雪に着目

IMG_9221

これを生かそう、みんなで運べば、

IMG_9181

ソリ滑り場ができる

IMG_9183

約20mのマイゲレンデができあがり、

IMG_9197

レッツゴー!

IMG_9231

ささやかながら、みんなで楽しむ雪祭りを作り上げたのは、さすがに「たんがき」たち。

 

 

 

フクジュソウ

IMG_8991

春の彼岸花なのに、一月も早い開花です。

ネコヤナギ

IMG_8986

菜の花

IMG_8974

早春の三点セット!が出揃いました。

加えて、スイセンも、、、、。

IMG_8915

なら、ヤマアカガエルの産卵は?、、、

IMG_8970

しかし、水面には冬枯れの柿の木が映るのみ

IMG_8969

もう少し寝ていたいようです。

 

 

 

« Older entries § Newer entries »