宮津エコツアー · 未分類

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銅板画技法による天橋立絵図です。従成相山眺望天橋立之図、

mai30_25[1].jpg岡田地図

岡田春燈斎の手によるものです。 岡田春灯斎さんについては、「幕末の銅版画家。 京都の人。松本儀平に銅版画をまなぶ。弘化4年(1847)以後,諸国名所図や歴史絵などをおおく制作し,水月堂という屋号の店をひらいて販売した。」と紹介されています。

つまり、この図絵の世界は、幕末の天橋立周辺を反映しているのです。

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpg宮津

由良ヶ岳は丹後富士、宮津の城は舞鶴城、橋立明神の鳥居は西向き!

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpgなりあいじ

世屋山は「施谷山」!

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpgいちのみや

真名井神社は、「真名井与佐宮」で、東向きに江尻の海から参道が通じていた!

水墨画でもなく浮世絵でもまして写真で無い、モノトーンの色調と描線の細かさが特徴です。

銅版画は版画の一種です。木版画は凸部の色、銅板画は凹部のインクが紙に写ります。

これが、木版画。

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広重二代 諸国六十八景 三十七丹後あまのはしだて、

文久2年(1862)のものです。

銅板画は、浮世絵に比べるとはどことなく異国情緒を感じさせるということで人気が出たということです。春燈斎さんは、「日本三景」も一枚に刷り込んでいます。正式名は、「日本三勝景」

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現在の「日本三景」の由来は、林春斎の『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)という記述だと言います。この著、寛永20年(1643年)の発行です。

そうですかぁ、日本を代表する勝景はいずれでしょうかのう、という茶飲み仲間の話題に、「松島、橋立、厳島、この三つでござろう」と言ったのが日本三勝景、つまり日本三景になったと言うことですが、相当な発言力のある方だったようです。チェックすると、東京大学総長みたいな立場のかただったようです。

「京都出身。那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えた。父羅山の死去後の明暦3年(1657年)林家を継ぎ、幕政に参与した。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密にあずかった。日本史に通じ、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えた。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となった。

多方面な関心をいだいて博学広才ぶりを発揮した父羅山にくらべ、鵞峯は、『本朝通鑑』や『日本王代一覧』などにおいて「日本」の国柄がどのようなものであったかを追究し、幕府政治の正統性や妥当性がどうあればいいかについて、その支配イデオロギー形成の端緒を開いたとも評される」

これにだめ押ししてくださったのが、貝原益軒さん。府中から成相寺へ登ることになり、その坂の途中で、「此坂中より天橋立、切戸の文殊、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宣[うべ]也…」(紀行記『己巳紀行[きしきこう]』)。

こういう人だったようです

「1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年(明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩[1]。翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五、向井元升、黒川道祐らと交友を深める。また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。」つまり、1657年から7年間、1664年まで、京都へ留学し、本草学朱子学を学んだ、その間に、丹後を訪れたと見ていいのでしょう。

この景観、「其景言語ヲ絶ス」と、言葉の達人益軒先生がおっしゃるぐらいですので、そこは私たちの出番と多くの絵の腕自慢が傑作を残しています。

雪舟さんの絵図、

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広重さん

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これは国宝、日本の国宝です

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さて、これ、

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さて、橋立画をこうやって並べてみますと、おかしいことに気がつきます。画になりやすい構図は成相から宮津方向なのに、雪舟絵図だけは特異なのです。

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雪舟がこれを描いた1501(文亀元)年ころといいますと、1493年に明応の政変が起き、下克上の戦国時代の幕が開いた時期になります。写真が軍事機密とされたように、水墨画とはいえ今のドローンで空撮したような写実性に富んだ絵は、相当怪しいものであったはず。絵図に雪舟の落款、押印が無いというのも、丹後の守護一色氏の布陣の偵察ということがカモフラージュされていたのかもしれません。

ちなみに、この等身のお地蔵さん、

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雪舟図の智恩寺部分に描かれている物です。

寄進したのは大宮町三重に居城を構えた一色氏の重鎮大江越中守。代々その名を名乗ってらして、その最期の代の大江越中守は、光秀、藤孝連合軍との弓の木城決戦で討ち死にしたと言います。

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絵は正直です。

今日も天の橋立を写す人。台湾からですって。感想を尋ねたら

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「境致の佳なる 其景言語ヲ絶ス」ですって。

春斎さんと益軒さんだったのかもしれません。

 

 

あ、そういうことね、223、、、ふ2じ2さん3!

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奇しくも令和天皇さんの誕生記念日と重なる日、おそれおおくてとてもそんなことはできる日ではないところですが、富士山の日がさきだったようです。そんなわけで世屋風に言えば、「がっしゃあ重宝なことだあやぁ」というところです。

そこで、インタビュータイム、インタビューアーは世屋野てるみさん。

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◆いつ、誰が、なにをはだてる(※丹後方言 企画する 企てる)のに決めなったったでぃゃあな?

「平成10年11月に、山梨県は、富士山の豊かな自然や美しい景観について、その保護と適正な利用により後世に引き継ぐため、静岡県とともに富士山憲章を制定し、その普及定着を図る運動を推進してきました。富士山の自然、景観及び歴史・文化を後世に引き継ぐための運動をなお一層推進するとともに、富士山の世界文化遺産登録の実現に向けて、静岡県、認定NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議等と連携し、国民運動を盛り上げるため、山梨県富士山の日条例を制定することとしました。」

富士山の世界文化遺産登録の実現に向けて、国民運動を盛り上げるため、なるほどぉ!

平成10年え?もう20年もまえのことですわなぁ。

そういう運動が実って、

「2013年平成25年6月、富士山が世界文化遺産に登録されました。」

◆15年もかかんなっただな、そりゃあよかった、で、どういうところを認めてくんなったですいなぁ?

「富士山の世界遺産登録は、富士山という自然の営みに宗教性、芸術性を見出してきた日本人の自然観や文化観が国際的に認められたからであり画期的なことでした。古の人々にとって、高くて美しい富士山は、噴火や溶岩流出を繰り返す恐ろしくも神秘的な山でした。
古来、日本人は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、 『遙拝』 の対象として敬いました。噴火活動が沈静化する平安時代後期以降、富士山は 『修験道』 の道場として、次第に 『登拝』 する山へと変化していきます。
また、富士山は、その雄大で美しい姿から芸術面でも多くの人々にインスピレーションを与えてきました。人と自然が信仰や芸術を通して共生する姿は、富士山が持つ大きな特徴の一つです。

『信仰の対象であり、芸術創作の源泉である』。

この見えない価値こそが、富士山を世界文化遺産に導いたのです」

◆この富士山に続け、世界遺産登録を天橋立も目ざしトンなるいうことをききましたけど、その話はどうなっとるでひょうきゃあなあ?

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その「223富士山の日」に、天橋立世界遺産講演会で、日本を代表して登録推進事業に当たってらっしゃる二人の先生が、「あまのはしだて」がを巡る状況と課題を話してくださいました。

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そのうちの一人、、「天橋立世界遺産登録推進会議専門委員会委員」の岡田保良先生のお話は、より率直でした。

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評価は、悪くない

しかし、門は狭く、敷居は高くなっている、

「世界史的・国際的な観点から、本資産がouvを持つ可能性について確実に証明することが必要である」つまり、世界が納得する情報を示し突破力のある理論を組み立てること

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◆なんですいな、そのお湯無井というのは?

おーゆーぶい というのは、「OUV。「Outstanding Universal Value」の略で、「顕著な普遍的価値」と訳される。その意味は、「国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的意義・自然的な価値」

◆、国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した、、、ちゅうですだかどりゃあことだにゃあですかぇ!それにしても、ようしょうちしとらんだけど、どうでそんなどえりゃあもんに名乗りをあけようおもいなっただえ?

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◆「地域の人的・経済的負担は経済効果を超えるかもしれない。地域社会にはそれだけの覚悟が求められる。」というのは、どういうことですいなぁ、わたしらも覚悟せんなんですかえ!

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たしかにそうです、

「橋立だけなんて無理があるわ!」

「こりゃもう丹後全部でやらなアカンのじゃないですか!」

そういう反応も寄せられています。

こういう声をどううけとめ、どう答えていくか、も課題でしょう。

その点についての参考になるかもしれません。

見事登録を果たされた静岡県の川勝知事さん、

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「富士山を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」とおっしゃっています。

究める、守る、伝える、交わる、また、深く、永く、楽しく、広く、この4点セット、確かにポイントです。

img171.jpgふじさん

その言い方を借りれば、

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

ということになるんでしょう。

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少子高齢化の進む丹後のみならず京都振興に大きな力となることですし、実際に丹後観光の窓口としての観光資産の蓄積はだれしもみとめるところ。

が、、どうも人ごとになる。

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

たのしくつたえるったって、ヘビはおるかぁ カエルはおるかぁとなります。

1-0 えこ

なんだかどうとりつけばいいのか、、、です。

メーンタイトルは、天橋立を世界遺産に!これはいぞんはない、しかし、サブタイトルがほしいところなんです。

富士山は「日本は、もっといい国だ 富士山再生キャンペーン」を掲げてらっしゃる。

これってすごいですね。

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(↑ 日本エコツーリズム憲章)

フィールド探究の実感から言えば、ここは、

「丹後を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」にして、

●丹後は、もっといい国だ

●丹後再生キャンペーン

「里山の日」「かいがん漂着ゴミの日」など『丹後の日』をたくさん設け、合力しあう、特に「天橋立の日」は月一回、内容は自由に創造する、そしてそれを持ち寄れば、

楽しく伝えられる、広く交われる!

はしだてがんばれの機運も盛り上がるようにおもいますけど、どうなんでしょうか。

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

「富士山を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

「丹後を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」、

 と並べて、それをお題にしてストーンぶれーみんぐ ってんですか、そんなことをしてみるのも方法かもしれません。

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その司会は、この方でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

朗報!です。

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さて、山陰海岸ジオパークとは。

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例えば、1 筆石から犬ヶ岬

イヌガ崎

2 高島海岸から犬ヶ岬

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3 ロウソク岩

イシノタワー

4 犬ヶ島を丹後松島付近から

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5 犬ヶ岬側から高野、間人方面

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観光創造は、価値創造に他ならない!

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確信をもった地道なアピールが実を結んだという意味では快挙、

アキ

(↑ 袖志の秋)

味の濃い里山と大きなスケールの日本海景観の組み合わせの絶妙感は、多くのおきゃくさんを魅了さすることでしょう!

 

 

 

宮津市観光推進会議からの案内です。

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講演をいただくお二人の講師先生を検索してみました。

まず、『天橋立の歴史的文化的意義と世界遺産』の佐藤先生!

①著書
『日本古代の宮都と木簡』(吉川弘文館、1997)
『古代の遺跡と文字資料』(名著刊行会、1999)
『出土史料の古代史』(東京大学出版会、2002)
『古代の地方官衙と社会』(山川出版社(日本史リブレット)2007
『大学の日本史 教養から考える歴史へ 1』山川出版社 2016
『列島の古代』(日本古代の歴史6、吉川弘文館、2019)

② 講演例

摂関政治への過程における皇位継承と藤原氏

講師詳細
古代の皇位継承は、天皇制や律令制の確立をみた後にも、必ずしも安定して行われた訳ではありませんでした。皇位継承は、その時々の政治的条件のもとで実現してきたのであり、時に女性天皇の登場をみたり、大規模な争乱をともなうこともありました。本講座では、日本古代の政治史展開における大きな軸であった皇位継承に焦点をあてることによって、改めて古代の天皇や貴族社会をめぐる歴史的・政治的状況の特徴を考えてみます。
今期は、平安時代前期の九世紀半ばから中期の十世紀後期にかけて、藤原北家=摂関家が外戚となっていわゆる前期摂関政治から摂関政治を実現していく過程の皇位継承の特徴について、継承をめぐる争乱・課題や藤原氏内部の争いに焦点をあてながら、たどりたいと思います。 (講師記)

6-4 はしだて

もうお一方の『丹後から世界遺産を発信する』の岡田先生。

①所属 専攻分野

国士舘大学,イラク古代文化研究所,教授, 研究分野:建築史・意匠,建築史・意匠,考古学,人文・社会系,考古学(含先史学),

②視点・週間読書人 掲載『 掠奪されたメソポタミア』NHK出版についての 書評

~文化財不祥事を暴き出す アメリカは如何に歴史を学ばなかったか~
「二〇〇三年にアメリカがひき起こした、しかも大量破壊兵器製造という誤った情報に基づいたイラクへの軍事介入について、かねてより訝しく思うことがあった。誤情報に基づくにせよ、サダム・フセイン政権の打倒は当時、いったんは大多数のイラク国民の支持を得たように見えた。しかしその後の新政権の樹立から国の安定に至るはずの過程で、サダム政権を支えたスンニー派あるいはバース党員が徹底して排除され、夥しい元公務員失職者が国土に溢れた。内外の中東研究者の多くが、アメリカ主導のこうした戦後計画の危うさを指摘していた。事態はその通りに進行し、文化財行政や遺跡保護での無政府状態のみならず、繰り返されるスンニー、シーア両派の武力衝突や自爆テロ、さらには近年のイスラム国の台頭を招き、そこから軍民両面でイラク支援をやむなく宿敵ロシアと悪の枢軸イランを頼みとせざるを得ない自己矛盾に至るまで、米軍によるバグダード制圧から十三年余、信じられないアメリカの失政が彼の地で展開している。懸念された最悪のシナリオを、アメリカは採用したのだった。まるでイラクの果てしない混乱を、意図して選択したかのようだ。そんなはずはない。では何ゆえに。

本書を通読して、その答えが見えたと言えば独りよがりに過ぎるだろうか。桁違いの軍事力と人材を誇り、他を圧倒する情報網を駆使して打ち立てられるはずのアメリカの世界戦略に、信じられない杜撰さとそれゆえの脆弱さが付きまとっていることを、著者は徹底的に暴き出す。イラクでの文化財不祥事を伝えるその著者は、シカゴ大学文化政策研究センターの当時所長。「何か手を打っておけば(博物館掠奪という)この災難を防げたかもしれない」「自分の職務怠慢を思い知らされた」という懺悔の念が、彼をして執筆に駆り立てた。

シカゴ大といえば、筆者らとも親交があり本書では主役級の役回りで登場するマグワイア・ギブソン教授ら多くの古代オリエント研究者を輩出したこの分野の世界的拠点であり、著者以外に本書を著すべき適者がいないことも納得だ。博物館の彫像持ち去りを防げなかったことは、アメリカ流の自由が無法を意味している、と自国の恥ずべき現代史の裏面を描きあげることも厭わない。さらにアメリカの失敗は、博物館襲撃を未然に防げなかった点のみならず、そうした掠奪を可能にした構造的条件の大部分は今もほぼそのままで、武装した盗掘者の群れは残されたイラクの遺跡をその後も破壊し続けた、というもっと大きな失敗まで引き起こしたとする。

筆者の属する国士舘の研究所を育て、先年他界した藤井秀夫が、ギブソン氏らの協力を仰いで一九九六年に刊行した、湾岸戦争前後に大量に流出した考古資料リストにも言及がある。これはイラクの地方博物館が襲われ奪い去られた収蔵品を網羅したもので、二〇〇三年にバグダードで起こった掠奪の地方版が、はるか以前に地方の主要都市で起こっていた。アメリカは如何に歴史を学ばなかったか、著者の舌鋒が鋭い。他方、こんな文書を公にする自由が保証されるという、なおも米国が誇る健全さも同時につよく印象付ける一書でもある。

失敗しなければ、文化遺産が破壊される前に守ることができた。その事例を知ることには大きな意味がある、との観点から若い翻訳陣を招集し、自らも専門家の一人として労を惜しまなかった監訳者に拍手を送りたい。」

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「市民遺産」日本遺産とか言います。この「遺産」というのは、人の力で容易に再び作ることが出来ない宝物ものという意味です、

では橋立は?

天橋立は、阿蘇海のボーリング調査では、大きな土砂災害によって、一気に形成された形跡が、見られるということです。
それを橋が落ちた、と伝えていると言うことです。ともかく一晩で出来た、そして、そこに松をまた一晩で植えた、それが下山田のあけさい神社の神様と伝わっています。

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たしかに、この天橋立、人の力で容易に再び作ることが出来ない。しかし、人には出来なくても、自然がその気になれば容易に出来るのです!

こういう状況の中で、「天橋立を世界遺産に!」への運動の意義、さらに『美しいふるさとをこどもたちに残そう』と呼びかけます、では、子どもたちにのこすべき美しいふるさととはなにか、そんなことにも示唆があることを期待します。

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ご都合がつきましたら、2月23日、ぜひ北野屋さんへ。

 

 

 

 

 

 

昨晩遅くに、一人の女性が訪ねてらっしゃいました、

白い着物をお召しでした、

そして、これを頼みますと、、、

一通の封書を。

はて、とおもい開いてみると、、、、

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、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

丹後・味土野の白い雪

野の花も 鳥も

夜空の星も

愛を歌うのに

人は 愛を歌えない

土地に命をかけ

野に町に血の臭い

子どもは泣く

 

正しいものは力だけ

守るべきは身内のみ

それを 愛という

わたしが生まれたのは

戦世(いくさよ)の嵐の夜

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信長様は愛を歌う

父も愛を歌う人

秀吉殿も愛をうたう

愛と愛は 争うの

だれの愛が正しいの

丹後味土野の白い雪

教えて

だれの愛が正しいの

ああ

味土野ガラシャに白い雪

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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これは、、!

あなたは、、、もしかして、、、!

と、文から顔を上げると、

頷かれたようなそぶりで、

どうかよろしくおねがいします、

もう一度おっしゃられて、かすかなほほえみを浮かべられたようでしたけれど、

そのまま、、、風が煙をさらうように、消えていかれたのです。

その白い人はもしかして、、。

不思議な体験でした。

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さて、戦に敗れた事実は否定しがたい。城は焼かれ主な一族は皆討たれた 戦国の世の論理は、友情や愛情の入り込む余地のない非情なものです一族の存続の為の打算と計算。その判断は、大将の存在、なので、大事なことは無事か否かの見極め。敵将の首の有無、そしてその真否。

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はたして、宮津・某寺に葬られているという、首は、光秀のものであったのでしょうか。

、、お人払いをおねがいしまする、、、


山崎合戦のあとのこと、某国某有力寺院での様子です。

いま宮津細川屋敷に放っておいたしのびがかえって参りました、

~現れたのは修験姿の男~

「していかがであった
光秀殿は討たれてはおらぬとのこと、
宮津のお玉さまのもとに届いた首、
あれは「影」のものとの噂でなかったのか、、、」

幽齋様は 光秀どのとは違う、
忠興どのも、義父殿ではござらぬ、と。

その首は、京にさらされた首ではないか」
それは怪しゅうござると、
「、、、なんと」
信長様のお首も見つかってはおりませぬ、
「頼朝殿の先例もあるここは慎重に!そうか戦には敗れたものの、光秀殿はご存命やもしれぬということか。して、お玉様は? なんとおっしゃった!」
ところが、お玉様ははっきりと父上でございますと。

「なにお三方、見方違うということか!して、玉どのは何故父と?」
首に鉄砲で受けた傷跡がございますゆえ と、
「な、、、な、なんと 光秀殿はご存命を嘘でも装う方がいいとおもわれるが、」

お見方衆をおいてかりそめにも逃げたなどとのちのちそしられることは不名誉限りないことを選ぶはずはないとおっしゃっているとか。

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「して細川はいかが考えることになったのじゃ」

確かに首に傷跡と、大殿様もお認めになったとのこと!

「つまり光秀殿の復活は無きことということか、英雄は不死、民衆は義経を殺さなかったが、、、、もはや天下の覇権は秀吉の手に渡ったのじゃなあ、あいわかった、それでは、お玉どのの処遇はいかがなされるのじゃ?」

はい、そこでございます、身重のものを斬るわけには参らぬと。

「なに、身重とな、それは真か?」

父の情、祖父の情というものでこざりましょう。

「とはいえ、返す実家はない、どうなさるのじゃ」

味土野に隠されるとのおつもりのようでございます。

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「あのブナの森の美しい、あの味土野か。あそこの和尚は確かな人物じゃ、さすがに、藤孝、、いや幽斎どの、ほとぼりの冷めるのをまとうというみごとな策じゃ、あいわかった、諜報、ごくろうであった」
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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味土野ガラシャの雪白し、、2月6日の初雪。

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(↑大宮町 すき 薬師堂)

、まあこんなことで、麒麟が来る・祭りを盛り上げようと思っています。

 

みんな 魅力的でした!

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八回目を数える丹後環境シンポジューム、会場野田川ワークパルにキャパ約300を越える参加者をまえに、四つの学校・クラブが「地球の詩・大地の詩・命の詩」を歌ってくれました

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網野北小学校

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養老小学校IMG_8095

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市場小学校

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宮津高校

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おりから、終末時計は、のこり100秒と発表。

世界に半鐘が鳴らされている状況です。

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地球が危ない!このままの暮らし方で子どもたちに渡せるのか、そんな危機感が現実味をおびて感じられるようになってしまった時勢のなか、  それぞれに感銘深い発表でした。

 

 

 

 

 

 

木子から見るガラシャ里・味土野

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直線で約2キロという所でしょうか。

小鳥ならひとっ飛び。

しかし、人は谷に下り、またのぼらなければなりません。

ここに戦国古道が眠ります。

IMG_7804こすぎ

野間が与謝郡だった頃、中郡への道が開かれるまでは、ここが郡道だったのです。ガラシャもこの小杉坂をたどったのです。

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谷までの標高差、350mといったところでしょうか。

img129.jpg小杉地図

途中には滝、100mを滑り落ちる丹後最長の滝です。

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この古道の中程にあったのが小杉の里。

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屋敷跡の石垣は城の石垣にも思える立派さです。

IMG_7838こすぎ

養蚕や炭や薪などで栄えた村だったことが忍ばれます。

がらしゃさんもここでもてなされたのでしょう。

「麒麟が来る」、初回視聴率16%、好感度も70%が期待していると言うこと。

新聞も高い評価

img130.jpgきりん

「何かを変えなければ、誰かが変えなければ」、、、父・光秀のこの積極性は玉にも受け継がれ、ガラシャの誕生につながっていくのでしょう。

img126.jpgみどの

このルート、この小杉道、丹後ひくやま会」の皆さんが、ロープや目印テープをつけてくださっています。

{⑥毛利方に送った密書が、秀吉の手に奪われていたことを、まだだれも知らない。
「うむ・・・・」不承不承、松井の言葉に応ずる気配がした。「と決まれば、急いで場所を探さねばならぬ。」「人目につかぬ山中のう」「おお、そうじゃ、殿、味土野はいかがでござりましょう。」松井康之がいった。「みとの?とな」「は、丹後半島の中程にある山の中、あの金剛寺亀山のすぐ傍らにござる」「では、険しい山中だな。女の足ではたいへんなところだが、、、」「男の足でも容易ではありませぬゆえめったに人の寄りつくところではござりませぬ」「道のりは?」「宮津より、舟にて余佐の海を横切り、日置の浜に渡り、そこより味土野まで三里でござります。」「おお、それは近い!」ようやく忠興の声がはずんだ。「戸数はどれほどじゃ」「せいぜい、二十戸もござりましょうか。山伏寺などもござります「では、ひどく淋しいというほどでもないな」「は、山の中とはいえ、人里でございますれば、、、、」「なるほど、では、それに決める。松井!明朝早々にも人をつかわし、住居を用意させよ。」

⑧「敵を欺くためには、味方から欺かねばならぬ。」という幽斎のすすめもあって、玉子が城を出る姿を、家中でみたものはない。夜陰に乗じて宮津の浜から舟に乗り、伴のもの数人と、警護のもの二十名ほどに守られて、日置の浜に渡った。
略 日置の浜で、ほんの二ときばかり舟の中でまどろみ、夜の明け切らぬうちに一行は味土野に向かったのだ。途中の山道のけわしさも、並大抵ではなかった。男でもたやすく登れるところではない。}とは、『細川ガラシャ夫人』で三浦綾子さん。

ガイドを付けて頂ければより安全に利用して頂けると思います。連絡相談は、まずは宮津市商工観光課、天橋立観光協会にください。

 

2020初ふきのとう!

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「蕗(フキ)は雪の中でも花芽(蕗の薹)を出して冬を吹き飛ばしてくれるという意味で古くは「冬吹き草」と呼ばれていて、それが「ふふき草」「ふうき」「ふき(蕗)」となったとか」と荒川区 入れ歯と歯周病予防の こうへい歯科クリニック(長野在住 院長の親父ブログ)。

ふゆをふきとばす花!とはおもしろい、このネタいただきです!

春が早くきてああありがたいと思っていたら、背筋も凍るようなニュース。

『終末時計 残り「1分40秒」 これまでで最短 かつてない危機』

2020年1月24日 4時46分にアップされたニュースです。

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人類最後の日までの残り時間を象徴的に示す「終末時計」の時刻を発表してきたアメリカの科学雑誌は大国間の軍拡競争に加え、気候変動への対策の遅れなどで、人類に対する危機はかつてなく迫っているとして、これまでで最も短い残り「1分40秒」と発表しました。

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アメリカの科学雑誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は23日、首都ワシントンで記者会見を開き、人類最後の日までの残り時間を象徴的に示す「終末時計」の針を、残り「2分」だった去年から20秒進め、残り「1分40秒」と発表しました。これは冷戦期から現在までの間でもっとも短い残り時間です。

その理由としてINF=中距離核ミサイルの全廃条約の失効による核軍縮への不信感や、アメリカとイランの対立の激化、それにアメリカと北朝鮮の核・ミサイル問題についての交渉の停滞や宇宙やサイバースペースを舞台にした新たな軍拡競争の激化などで世界的に軍事的な緊張が高まっているためだとしています。

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また気候変動に対する各国の関心が低く、効果的な対策がとられていないことも人類にかつてない危機をもたらしているとしています。

会見にはパン・ギムン(潘基文)前国連事務総長も出席し、「多国間主義の重要性が増している」と述べ、各国間の対話による問題の解決を訴えました。

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ふきのとうさんには、冬をも吹き飛ばす霊力を、大国間の軍拡競争と気候変動への対策のサボタージュを吹き飛ばすのにつかって欲しいものです。

そんなことを思いつつ、気候変動問題や核問題に対抗し終末時計の針をもどすのは、地球のエコロジー、地域のエコロジーからの声なのでしょう。

今年も初心に戻ってエコツーリズム。

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エコツーリズム憲章

ひとびとが、自然や環境、文化を発見する旅に加わり、
自然のために、小さくても何かを実践し、
そうした旅人を受け入れる地域を、みんなでつくっていけば、
この国土のすみずみにまで、個性に満ちた自然や文化があふれ、
もっとゆたかないのちを楽しむことができる。
一人ひとりが自然を守り、考え、慈しむ。
自然の中にあたらしい光を見る、

「エコツーリズム」はそのための提案です。

ゆっくりと見回してみよう。
見えなかった色がみえてくる。
気がつかなかった香りに気づく。
聞こえなかった歌がきこえてくる。
季節が移っていく。
あざやかに、大地がここにある。

森がどこまでもひろがっている。
どこまでも空が、海がひろがっている。
風がそっと通りすぎる。
水が落ちて、土を潤す。
生きものたちが息づく。
人間のふるさとは、ここにある。

自然はやさしい。温かい。
大きくて、物知りだ。
時に荒々しい。
時にはひどく荒々しい。
人のくらし、歴史や文化は、
そうした自然とともに育ってきた。

大自然から里山や都市の小さな自然まで、
自然のいのちと人のいのちを共振させる。
そういう旅をしよう。
ゆったりと呼吸し、
ゆっくりと見回し、
おおらかな一歩をしるしたい。

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(↑ 高山に芽吹くブナ 稜線のミドリがブナ )

「エコツーリズム」は次の3つを実現し、それがずっと続いていくことをめざします。
地域の自然と文化を知り、慈しむ。
元気な地域が自然を守る。
自然と文化を受け継いでいく。

new year lily!

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丹後の海だから、「丹後海」と呼んでくれ!と言ったので、冬丹後海

IMG_6894.jpg冬海岸

日本海に面するこの海岸の地名、「筆石」と書いて「ふでし」と呼びます。なんでも、垂仁天皇の皇子で「鐸石(ふでし)別尊」の領地で、それをもって、此の郷の名を「ふでし」とよんだと言うことです。また、この里より貢ぎ物納入の記録もあり、アワビやわかめ、海苔などの海産物が届けられたのでしょう。別の記録には、すてし、あるいはぬでしの呼称もあるということで、澤潔さんは、アイヌ語の可能性も否定できないと。

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このふでしに「筆石」の漢字が充てられたのは、海上に突き出た石の形状なんだろうなとおもったことです。

海上に厚い雲、

IMG_6896.jpg暖流雲

南下した寒気が、暖流対馬海流の立てる水蒸気の下に潜ってつくった雲です。

IMG_6897.jpgたんご海

雲、波、岩、風、花 丹後海の味は冬が、濃いですよ。

 

初夢です、

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(↑ 宮津 長江海岸)

、、、、、、、、、、

電話がかかってきました。

□七月のプランで、、

◆はぁ、、

□宮津でハイキングか山登り出来るところを探しておりましてぇ、、、

◆はあ、ええですねぇ、、、

□Kトラベルともうします、、、

◆ほう、、、

□五十人くらいの規模ですけど大型バス一台の運行でと、、、

◆え!

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(↑ 籠神社 駐車場)

、、、、、、、、、、、、、、

(ナレーション)

何でも、京都でお医者さんたちの学会がある、その日程の中に一日、「京都」をレクレーションするというプラン、京都は南北長くて、茶の京都、古都の京都、森の京都、と特徴ごとにエリア化されていて、会長さんが、その中でも「海の京都」にいたく興味を持たれて、そちらを当たってくれという意向だとか、日程は、京都市内朝出発、夕方帰着の日帰り。

例によって、某市観光課からのふりです。

『海の京都DMOの誘致案件かト思いましたけれど、、シカシ、考えてみたら、今しか、ここしか、あなたしか、エコツーリズムは、こういうのに強いんですネ よろしくお願いします』、と。

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(という経過と事情)

◆承知しました、『丹後半島エコミュージアムサービス』で承ります。

◆舞鶴宮津伊根間人浜詰久美浜、そのラインで、軽登山ハイキングと言えば、「青葉山由良ヶ岳杉山大江山成相山高山岳山蝙蝠岳太鼓山依遅ヶ尾」、のラインナップになる。で、ウーム、、、、、、

(以下、そのウーム、、、、、、の中味

若狭湾のリアス式海岸美をと言うと、、、、!

・「由良ヶ岳杉山大江山成相山高山岳山奥伊根蝙蝠岳」

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(↑ 宮津 松尾たんぼと一本サクラ)

激務のお医者さんたちが!

全国から研究に京都に集って!

その一日を!

海の京都の里山里海で、、、!

・「上宮津杉山・天橋立成相山・上世屋高山・舟屋奥伊根蝙蝠岳」

日帰りされる!

・「①天橋立成相山 ②舟屋奥伊根蝙蝠岳 ③上世屋高山 上宮津杉山

①②は海の京都の名所、伝承があり、国際的なシンボルエリアです

③④はローカルな味には定評がありますが、好みもあります。

50人規模で、、、年齢の幅、男女構成は不明!!。

・「◆天橋立成相山 ◆舟屋奥伊根」

甲乙つけ難し、二台二コースも案ではないでしょうか、、どちらも「海の京都」の顔。京都をホストいただく学会会長先生のお顔は立つと思います!

◆「天橋立籠神社成相山成相寺・国宝雪舟天橋立絵図」コース 

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(↑ 宮津 成相山 天橋立大観望)

京都→(バス)→①智恩寺→(自転車・橋立松並木)→②籠神社→(ハイキング雪舟橋立絵図コース 絵図の解説 鈴屋 森さん)→③成相寺→(バス)→④大観望展望台→(バス)→⑤丹後ふるさとミュージアム→お土産・ヤマイチ 橋立ワイナリー等 →(バス)→京都

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◆「舟屋奥伊根・浦島太郎、除服伝承」コース

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(↑ 舟屋の里 伊根湾内)

京都→(バス)→①丹後ふるさとミュージアム→→(バス)→②浦島神社 玉手箱を宮司さんに話してもらう→(バス)→③本庄 浦島の浜→(ハイキング・ウオーク→野室→泊→)④新井・除服神社→(バス)→⑤伊根舟屋の里、向井酒造など→(バス)→京都

IMG_9197.jpg安全

21世紀はK・K・A(環境・健康・安全)の時代だと言われています。一方にテクノロジー 機械 資本 その力が絡まないと絵に描いたモチ。地球船に乗り合わせたみんなが幸せになる、その最前線の先生方には充分鋭気を養ってもらわねばなりません。その場所に、海の京都が選ばれたことは、光栄です、、、。

、、、、

ここで、夢が覚めました。

マル描きて 餅喰らうかな 丹後春

暖流の 湯気立てながる 丹後海

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ところで、

◆「舟屋奥伊根・浦島太郎、除服伝承」コース

◆「天橋立籠神社成相山成相寺・雪舟天橋立絵図」コース

 どちらも、「海の京都全開コース」です。

このコースのお問い合わせは、(株)プラヂナー内

『丹後半島エコミュージアムサービス』

担当 川内 0772ー68-0188 まで。

 

 

 

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