宮津エコツアー · トピックス

トピックス

[廃校の跡地に二宮金治郎]

20201019_134102金さん

20230327_195012

[廃校の 跡地に二宮金治郎

薪と歴史を 永遠に背負いて]

20230319_152612

京丹後市の方だそうです。

20230327_194837

「世屋高原の風を纏いて生きる媼」

20230315_103534

「世屋高原の風を纏いて生きる媼

ここぞ都と農にいそしむ」

「熾」は「おき」と読みます。囲炉裏やおくどさんで燃える火のこと。

石油や電気以前、マキ、薪、炭の時代の生活を伝える大事な言葉です。

「熾」、全国的な短歌雑誌だそうです!

20230327_130935

谷口さん、すてきな歌、ありがとうございます。

20230307_142623

また来てくださいね。

そうそう、追伸

 

上世屋で「藤織りを継ぐ人」を、田川陽介君が訪ねていましたよ。

 

 

春分をスタートの号砲にして、野にあふれる生きものたち、

20230322_160136

東京マラソンのスタートのごとくに!ですね。

20230322_130748

世屋谷に春の号砲をうつのは、日置の白モクレン!

20230322_125311

ようちゃーん、

20230226_210009

春のせやへ、

またきなれよー

20230226_212023

ビールを飲みに

 

 

須代神社から磯砂山の方向17日pm5時

DSCN0108鳥の神様が春を載せて

「田の神様載せて、春の鳥」といったところでしょうか!

冬明けをつげるこの鳥、

明石弥生時代から数え、どれだけの人に問いかけ、語り、諭し、続け元気や励ましのエールを送ってくれたのでしょうか。

DSCN0109はるつげ

平和あっての安寧、戦争は差別と貧困の極み、まだまだ大きな声が必要です。

DSCN0093はり

丹後から世界に飛べ、春告げ鳥!

平和へと導け、春告げ鳥!

 

「加悦町古墳公園」展示。

20230212_155717

旧加悦町は、弥生古墳の町、その数644基。

20230212_155707

はっくつされた遺物が、ここにあつめられているのです。

20230212_153952やきものやさん

集大成しての生生ましい展示は、圧巻。

20230212_155243

この入園料、300円は、安いですよ

さて、この加悦、「かや」とはなにもの?

以下、『丹後の地名』師さんのトークで。

<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

『加悦町誌』

「加悦」という地名の語源は明らかでないが、言い伝えられるものをあげてみよう。
イ、地勢からきた伝説
加悦谷盆地はその昔、阿蘇海に通じた浅海で、その周囲は深い「茅」原であった。また沼地が多く、茅、萱類の繁茂したところであったから、「かや」の地名となったという。
口、神社の祭神からきた伝説
加悦の吾野神社の祭神は「野の神」といわれる「我野廼姫(ルビ・かやのひめ)命」であり、これが、地名になったという。
ハ、郷名からきた伝説
倭名類聚抄には現加悦町一円を「神戸郷」と称している。「カンベ」が転音訛伝して「かや」になったという。その他、名和長年の家臣嘉悦氏がこの地に来て、土豪となり、その姓を地名に用い、 「かや」としたともいうが、これは考えられない。
「かや」を「加悦」と書くようになったのは、江戸時代以後のようで、一一四三年(康治二年)平安時代の兵範記背文書には、「賀舎」と書き、一二八八年(正応元年)の丹後国諸荘園郷保惣田数帳目録には「賀悦」と、一三三八年(建武五年)の日置季久の手紙にも、一四五六年(康正二年)の禁裏造営段銭引付きにも、一四七〇年(文明二年)山田郷菩堤寺の梵鐘にも、「賀悦」と同じ字を使っているが、一五〇〇年頃(永正年間)に書かれた細川政元記には、「賀屋」が使われている。また、算所の小巻家文書には、「薩屋」(私注→薩ではなく産が段の造りである)とあるが、何れもあて字であろう。

20210220_172600
カヤという地名は全国に多い古代地名である、それらを丁寧に調べた上でないと確かなことは言えないかも知れないが、

『丹後路の史跡めぐり』(梅本政幸)

加悦の町(かや)
加悦は間人と同じく、日本でもよみにくい町名の一つといわれているが、大伴金村が支配した五三○年頃、朝鮮の任那(みまな)の中に加那(かや)という国があった。また加悦の安良(やすら)は昔安羅と書かれたが、これも任那の都市に安羅(あら)という町があった。いまの威安(かんあん)である。
もう一つは野の神のことを「萱野媛」(かやのひめ)というところから、広々としたこの加悦谷盆地にその名がつけられたとも考えられる。加悦の式内社吾野神社には萱野媛が祀ってあることもつけ加えておこう。
古い文書には「賀悦」「加屋」「賀屋」などの文字が使われているが、南朝の忠臣といわれた名和長年の臣嘉悦氏が一色氏の支配になる前に領主となっていたのでこの字が使われるようになったという。嘉悦氏は熊本と東京に現存する。…

20230212_155920higasiasia
『日本の中の朝鮮文化6』(金達寿・講談社文庫)

「いま言ったように、この加悦谷は古墳の多いところですから、いまでもあちこちの畑などからいろいろな土器が発見されます。するとここの人たちはそれをみて、朝鮮土器が出た、と言っているのですよ」
「そうですか。なるほどね。なにしろ、ここはほかならぬ加悦ですからな」と、前の席でクルマを運転していた鄭詔文がそう言って笑った。
つられて私たちも笑ったが、しかし鄭はただ笑うためにだけそう言ったのではなかった。その加悦谷、あるいは加悦町の加悦というのが、どういうことであるかという前提があってそう言ったのだった。
そのことは梅本さんの 『丹後路の史跡めぐり』にも書かれているが、加悦というのは、これも安羅同様、のち新羅に併合された古代南部朝鮮の小国家加耶・加羅・加那からきたものであった。『丹後路の史跡めぐり』によると、加悦はもと「加屋」「賀屋」とも書かれたもので、それが現在の加悦となったのは、「南朝の忠臣といわれた名和長年の臣、嘉悦氏」がここの「領主となって」からだったという。
それだけではなかった。加悦町には、これももと「加耶の媛」ということだったかもしれない萱野媛を祭る『延書式』内の古い吾野神社があり、また、安羅・安那・安耶からきた安良というところや、安良山というのもあって、これは古文書にはっきり、安羅山と書かれていたものだったという。
加耶(加悦)、安羅(安良)どちらものちには新羅に併合された小国家であったから、したがってこの加悦に白米山、すなわち新羅山古墳があるのもふしぎではなかったのである。しかもそれが四世紀の前期古墳であるということは、いっそうその意義を大きくしている。
要するに、これから逐次みて行くように、古代の丹後や北陸の国々は日本海をへだてて向き合っていた、朝鮮の新羅文化圏のなかにあったといっても決して過言ではない。われわれがいま加悦谷でみているのほほんのその一部にすぎないが、イナナキという斜面台地の山となっている白米山古墳は、まわりの一部を竹林で囲まれた美しい古墳だった。

この書によれば、当HPもお世話になっている梅本さんは当時は栗田中学の校長さんだったとある、白米山は新羅山とは私は考えないが、加悦や安羅山は気になるし、合楽という小字、何と読むのか知らないが後野だが面白そうだ、アラかも知れない、安羅国かどうか単にAR地名かも知れない、さらに奥には与謝と滝、全体が謁叡郷、掘れば「朝鮮土器」(須恵器のこと)がゴロゴロ、地名などからは古代は新羅文化圏・伽耶文化圏と見てもムリはない、そう考えないと解けない地名もある

20230212_161225

合併与謝野町歌

1番

大江の峰を 輝かせ 希望に満ちて
日が昇る あふれる緑に 恵まれて
ふれあう心の あたたかさ
ああ与謝野 幸せ創る 与謝野町

20220701_182313

2番

大地を潤す 野田の川 生命育み
響き合う 文化の薫りと機の音
新たな世紀へ 伸びてゆく
ああ与謝野 笑顔かがやく 与謝野町

20220909_150606須代岳

3番

天の架け橋に 夢はせて 水鳥遊ぶ
阿蘇の海 自然と歴史と未来とが
織りなす絆も たくましく
ああ与謝野 あしたを拓く 与謝野町

銅鐸の音、須代野で聴きたい!

20230211_132119

実現しました

20230211_132838銅鐸

グヮラーン

堅めのおm追いおm追い重いすこし不透明な音、、、

グヮラーングヮラーン  グラーングヮラーングヮラーングラーン

どんなときに!?、なんのために?!

E381BEE381A4E3828A酒飲んだら どうなるか

大坂古代史博物館での想像絵、

、、ふむふむ、ふーん!

20230211_114743すしr

いさなごの前に、土器を置いてみた

「、、、ウ、、お、、、そうか サケ、酒やあ」

[天女、善く酒を醸み爲りき。]『丹後国風土記』(岩波古典文学大系本)

丹後たにはのみちのしりの國の風土記に曰く、丹後の國丹波の郡。郡家こほりのみやけの西北いぬゐの隅の方に比治の里あり。此の里の比治山の頂きに井あり。其の名を眞奈井と云ふ。今は既に沼と成れり。

此の井に天女八人降り來て水浴みき。

時に老夫婦おきなとをみなとあり。其の名を和奈佐の老夫おきな・和奈佐の老婦おみなと曰ふ。此の老等、此の井に至りて、竊かに天女一人の衣裳きものを取り藏しき。即やがて衣裳ある者は皆天に飛び上がりき。
ただ、衣裳なき女娘一人留どまりて、即ち身は水に隱して、獨り懷愧居りき

、、、

E381BEE381A4E3828A酒飲んだら どうなるか

「一坏飮めば、吉く万の病除ゆ。其の一坏の直の財は車に積みて送りき。時に、其の家豐かに、土形富めりき。」

はごろもを隠した爺さん、おおもうけしたんだ、天女にサケをつくらせて!

20230212_100937

やよい須代人はそれほど「飲んべえ」だったのか?

20230212_161802

どうなんでしょ、まだまだ謎はなぞを生みます

 

「須代」と書いて「すしろ」と読みます。

20230112_164842銅鐸

この須代が、今ともかくすごいのです。

「聞く銅鐸」を聴けるのです。

20230203_110810sisiro

いつ?、どのように?、、、考えてみれば謎だらけ。

2815f050kohunnkouenn古代丹後古墳群

その銅鐸の秘密にせまれますよ。

20230206_015934

『丹後半島エコミュージアムサービス』早春の企画、

2・11は、「建国記念日」。

しかし、国とは何?

建国とは何?

奥がものすごく深いことなのです

銅鐸はそれもかたるかも!

ぜひおいでください。

 

 

丹後鄕土資料館の特別企画です

20230120_202055

雪はたいへんですが、美しいです

20230120_200512

特別企画関連の講座もあります。

20230120_202043

3月11日予定の講演会講師、小野先生から今年もいただきました。 。

20230120_201345

41回目のお仕事の月めくり、その2月。

20230120_200642

3月

20230120_200737

4月

20230120_200815

5月

20230120_200859

6月

20230120_200927

7月

20230120_201027

8月

20230120_201052

9月

 

20230120_201119

10月

20230120_201202

11月

20230120_201235

12月

20230120_201311

、、、、、

プーチンを叱るものはいないのでしょうか

平和、ともかく平和、絶対平和

ロシアに核を使わせるな

20230120_153940

日々念じ、微力をつくして「来年」を無事にむかえたいとおもいます。

京都新聞が掲載してくださいました。

20230111_070019東屋

今は雪かこい中。

20230110_130242

ですが、今冬は少雪で推移していて春は近しと、ふきのとう。

20230110_130229

ともかくよくでる水です!

20230110_130105

地下水のもとは、雨や雪。

20230107_102333

雪、ほどほどにはふって欲しいものです。

雨だ 風だ などと言っちゃあいられません

20221211_114608

山があって海がある

海があって山がある

20221211_121526

海と山の集う祭りは、風も雨も仲間なんです。

20221211_115133

安全でないかもしれない快適でないかもしれない 敢えて、もっと大切なものがあるかもしれない

20221211_120830

熱い想いと焚火と

20221211_123329

焼き餅、豚汁、世屋ダイコンを日置オリーブオイルでいためりゃ高級ステーキ。

20221211_123719

歳をしまう源流の森祭り

20221211_121716

これでもか!と雨。

でも、子供は水の子 風の子

お腹いっぱい元気いっぱい

20221211_123305

春を待つ活力に満ちた温かい集いでした。

 

明日、です!

20221206_104425sinn

 明日から天候は冬型。

20221210_033901

 しかし、あわせて170歳の武徳コンビは動じません。

20221205_153654170斎

 吹雪のなかを歩いてきたのですから。

20221205_145336

お待ちしてますよ、サプライズメニューで!

20221205_145209

« Older entries § Newer entries »