宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

ハコベは郷愁の草です。

IMG_5279

□はこべらの畑にうさぎを放ちけり 三澤福泉 俳句通信 199904

□鳥かごの鳥に差し出す花はこべ きくちきみえ やぶれ傘 201607

さてハコベ はこべら、「へら」はキノコを「くさびら」というのと同じとは思います。問題は、「はこ」!
なんじはなぜ「はこべ・はこべら」じゃ?
、、、、こんな時は、和泉晃一さんの「草木名のはなし」。
「ハコベの語源は、その白い花弁の数と形に着目した、ハクベラ(帛箆)の意であると私は考えている。「帛」は真っ白な絹布で、古く上質の布地とされたもの、「箆」はヘラ状の花びらをいう。」
和泉さんの見当がはずれていないなら、なんとも上品な命名です。

□ はこべらや村の名消える日の近き 間宮陽夫 馬醉木 200606

IMG_5293

はこべらに 寒はもどれど 水の雪    世屋野蕪村

大フケ湿原の3月4日。

IMG_4825

この湿原は、上世屋と木子の間の峠にあります。湿原の水は、木子側へと上世屋側への二方向へ流れていきます。

IMG_4827

木子側へ流れた水は、宇川となって日本海へ、一方上世屋側へ流れた水は、世屋川となって宮津湾へと注いでいきます。つまり、分水界にできた湿原なのです。

IMG_4816
さて、そこで「大フケ」ってなんやねん、となるわけです。その説明は看板にはないので、「なんなんでしょうねぇ!」と。
それに関して、「味土野誌」に「フケヶ谷」と呼ばれているところがあるというのを見つけました。場所は、味土野と内山との間の境をなす高尾峠、この峠も、味土野側は宇川へ、内山側は竹野川となって異なる水系をなしています。この峠一帯にも湿地があり、この付近は両地区の入会地として利用されていて「フケヶ谷」と呼ばれていたという記事です。
大フケ湿原と「フケヶ谷」。フケの意味について何となく検討が付けられました。もう一息チェックしてみましたところ、同じように疑問を持った方がいらして、その方は
柳田國男のさんも疑問をもたれて、調査分析され、それが作品に次のように反映集録されているとアップして下さっています。
、、、、、、、、、、、、、
①現に関東の田舎の名もない古池にも、人が近寄れば必ず水玉の揚がるものが幾つかある。
多くは九州でムタといい、東部地方ではフケまたはヤチなどと名づけて、腐った植物でできたような低い湿地である。
(『柳田國男全集11』1990年「妹の力」、ちくま文庫211頁)
②ムタは関東・東北ではヤチといい、中部ではクゴともフケとも
称して、排水のむつかしい平衍なる湿地のことである。
(『柳田國男全集6』「一目小僧その他」1989年、ちくま文庫461頁)
③この蒲原一帯の水田は、農夫が臍のあたりまでも泥に浸って耕耘をする。
いわゆるふけ田の優なるもので、(以下略)
(『柳田國男全集3』「北国紀行」1989年、ちくま文庫287頁)
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
つまり、フケとは臍のあたりまでも泥に浸るような湿地という地形用語。かっては各地にあったこういう湿地は今では改良されて、名前には「ふけ」という音を残すものの、カタカナ表記されたり漢字では「富計」とか「浮気」になっているため、意味不明!と悩ましているということのようです。

IMG_4994

さて、この大フケ湿原を水源湿地にする宇川が谷を刻んで始めて開けた所にある「須川」で、福寿草が咲き始めましたよ。

IMG_4991
この花、地元の方が、株分けしながら増やされたんですって。

IMG_5007

春一番、せいだしなるなぁと声をかけてみると、冬越ししたこんにゃく玉をうえつける予定だ、草が覆うと畝作りがえらくなるので、いまからやっているのだということでした。

北近畿経済新聞、知る人ぞ知る北近畿の経済情報のきめ細かさを売る新聞ですが、3月一日、ここに!

img273ガラシャ

ガラシャさんに心寄せる人は増えていますが、普通は例えば、宮津市役所横のガラシャ像や教会を見たら、車で京丹後市弥栄町黒部から中山経由野間・野中→霰→大谷→味土野というコース。今回のツアープランは、玉さん自身が歩いたのか、かりそめにも大名家の奥方ですので輿や籠に載せられたのか、見解の分かれるところですが、一行の辿ったであろう避難路を辿るのが特徴です。

IMG_4527がらしゃ
「人間をみるときは、その心を見るのだ。お玉、人間の価は心にあるのじゃ。と父は教えた、裸一貫が、この世の大方の人々の生き方であることを、母は娘たちに教えた」と三浦綾子さんは「細川ガラシャ夫人」で。

IMG_4653

「中世へのタイムスリップ」感の息づく世屋谷ルートは一般的な史跡巡りツアーでははいれない玉さんの心の中を想像しながら歩けるだろうと。それを「既存のツアーにはない行程を組み込み」と紹介してくれているのです。

その「みどの」の3月2日。

IMG_4530

さすがに丹後の天空の里。冬将軍ががんばっています。

IMG_4514

けれど、沢にはわさびの花。

IMG_4520

この春の使者、玉さんを励まし癒したのでしょうね。

自動車道京丹後市出入り口付近に姿を現したコウノトリ。

IMG_4225
このコウノトリ、個体番号「J0111」で、生まれは2015.4.20、性別はオス。「飛び立った」のは同年6.23。それらがなんでわかるかというと、足環の組み合わせ。

IMG_4225b4ksl

この個体の足環は、■黒・緑■赤・黄の組み合わせです。これをカタログで照合するのです。

また、放鳥方法は「ソフトリリース」とされています。ここが大事なのだそうです。新しい環境で自由な暮らしといっても馴れない新しい環境に出て行くのに勇気が要るのは人と同じ、、いつでもいいよとゲージの扉をはけっぱなしにしておいて、連れもっていこらと誘い合うのもよし、飛びだすのは鳥任せにする方法なのだそうです。

IMG_4224
さて、餌をあさっているようですが、カエルは冬眠中、ドジョウとかフナなどがいるような状況のようには思えません。偵察飛来なんでしょう。

IMG_4226

自動車道を通すのも人間、コウノトリの腹がくちくなるほどの餌を提供できる環境を作るのも人間、自動車道をはよかんせいさせてくれぇとはずいぶん叫んだから今度は環境だぁどうやったらええだろうなぁと寄り合いや勉強がはじまってせいぶつたようせいに配慮しようと叫ぶ声が高まるのを、みまもっているのでしょうねえ、個体番号「J0111」のコウノトリは!

青空や 芽吹き確かに 猫柳  篠崎荘市

IMG_4155

田上さんの庭に五十河でもっとも早咲きの福寿草。

IMG_4114

日溜の 雪より出でし 福寿草        貞吉直子

IMG_4130

雪融けの 日差しの中の 福寿草         小池一司

明日から3月!

雪解川 名山けづる 響かな (前田普羅)

IMG_3975早春
さて、内山ブナ林からの恵み、清純で豊かなこの水を人以外の多数の生き物と共有すること、それが今の問題です。
農薬を使わない、水張り田にする、そういうことも不可欠の配慮。
しかし、それでもって生き物に優しいとは云えないということですから話は難しい。

IMG_3982
たとえば、レッドデータで準絶滅危惧種になってしまったトノサマガエルがいうのには、「水田が少なくなったのに加え、圃場整備などで大きな水田が増えたため、雌雄のカエルが出会いづらい環境にもなっている」と松井正文さん。

(20-0612)
また、産卵や成長、冬ごもりなどカエルの生態のリズムと米作り作業のリズム、とくにコシヒカリのなかぼし、あきおこしなどの栽培暦とはずれていてる現状があると。

genin[1]
生き物に優しいとは!といっても、たくさんの大きな課題があるわけです。
里山と奥山と天空とが連続しているこの景観の美しさは丹後随一。

IMG_3964
だからこそ、そんな課題を受け止めながら、春からの農作業が始まればいいなぁと、シャッターをおしました。

山にのぼると
海は天まであがってくる。

、、、、、

IMG_3898

風に吹かれて高いところにたつと
だれでもしぜんに世界のひろさをかんがえる。

、、、、、、

IMG_3897チャレンジ

岳山山頂から、若狭湾をみているふたりも、そんな気分を味わってらっしゃるのではないでしょうか。

これは、小野十三郎さんの「山頂から」という詩の一節です。

この詩、山にのぼると
海は天まであがってくる。なだれおちるような若葉みどりのなか。
下の方で しずかに
かっこうがないている。
風に吹かれて高いところにたつと
だれでもしぜんに世界のひろさをかんがえる。
ぼくは手を口にあてて
なにか下の方に向かって叫びたくなる。
五月の山は
ぎらぎらと明るくまぶしい。
きみは山頂よりも上に
青い大きな弧をえがく
水平線を見たことがあるか。

(※ この詩は五年生の教科書に掲載されています)

、、、、、、、、

雪の岳山への登頂を果たしたのは、9才から11才の「いわたきっず」。

IMG_3915チャレンジ

子どもたちに見せたかったのは「山頂よりも上に青い大きな弧をえがく水平線」。

IMG_3892

このチャレンジ、地球デザインスクール・海星公園さまの協力で実施できました。

IMG_3919

グレートサンクス!

京都市内からの二人の娘さん。

IMG_3921チャレンジ

体をうごかしてみたいとこのスノーシューに参加。

IMG_3933

早朝、jrにて京都出発 九時半 天橋立着 昼食後 伊根舟屋の里・向井酒造さん経由で四時半天の橋立発で帰られました。

IMG_3935

興味深いモデルコースじゃないですか!

温くなってよろしいなあ

IMG_3662

五十河の景観が美しいとか落ち着きを感じるのは、里山から奥山へと連続して一体の物になっているからなんでしょう。

IMG_3668海がみえる
指さして話してくださいました。

「あの尾根のむこうには世屋というところがありまして、私らは遠足でいきました。栗田湾がようみえたのをおぼえとります。人はまんだおんなりますかえ?」
そうそう、その世屋、まんだありますで!

IMG_3690せや高原
そのせやの里の2月25日。

IMG_3438

スノーシューウオークもまだ十分可能ですよ!

IMG_3675

こんな生き物に出会えるかも。

「この時、幽斎公は今出川相国寺門前の私宅にて本能寺の変を早めに知り、「早田道鬼斎」という浪人に託して丹後へ遣わせます。道鬼斎さんは宮津までの約60キロメートルの距離をなんと!6時間で走破し、宮津城に到着。松井、有吉などの細川軍団と忠興公が本能寺の変を早めに知ることになりました。このスピードのおかげで光秀からの使者よりも先に細川家が「本能寺の変」を知ることになったのです。だからこそ、冷静に情勢判断を行い、ガラシャさんを「味土野に幽閉して助ける」というアイデアが浮かんだと思います。
※武士道 味土野(細川ガラシャ幽閉の地)後編Posted in 2013-10-27T13:56:05+00:00u0531201310 ¬ 1:56 PMh.ohta2 Comments」
これ、いかにも見たように書いておられておもしろく読みました!
本能寺の変という大激震、その際、明智家から長男の嫁をもらって縁家になっていた細川家、その「細川たま」の処遇には三つの方法がありました。
①玉さんを実家に帰す ②玉さんに自決させる ③玉さんと忠興さんは光秀の軍にはせ参じる。しかし、実際はその何れでもなく「味土野に幽閉して」おくというアイデア。
このぶろぐ氏もそこに感動されたのです、

とも030宮津城

(↑ 宮津城復元にチャレンジされている古川電機様より会にいただいた年賀状)

さて、偽装離婚・味土野幽閉それはまごうことなき史実です。ただしそのアイデアがはなぜ浮かんだのか、第四の道を選んだ理由、については、見解分析推論は諸説あります。そのなかで、情報伝達のスピードとゆとりに求めていらっしゃいますぶろぐ氏の説明、疑義もありますがおもしろいです。まず疑義。・京都から宮津までの距離は約60キロメートルであること(え?京都駅から天橋立まで高速を利用する場合、走行距離は約106キロ、所要2時間10分。)・京都から宮津まで6時間で走破できた事(何時にに出て何時についたという記録がのこっている?)、・幽斎公は今出川相国寺門前の私宅にいて
(え、藤孝さん、城主で宮津鶴賀城か舞鶴田辺城にいらっしゃったのではないの?)

00000138[1]
一方、おもしろいこと。
「・幽斎公は今出川相国寺門前の私宅にいて本能寺の変を知り「早田道鬼斎」という早馬の使者を丹後に派遣したとおっしゃっているところ。」
「稗史野乗」(民間で編纂された雑史)とはいえ、信長の泊まった日に、同じ京都の本能寺とは数キロと離れていないところにいたという説、どういう根拠文献によるのか知りたいところですが、この説を採用すると、とんでもない想像が広がります。実は藤孝さんは、、、!
この先は、明智憲三郎さん『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫をお読み下さい。

IMG_9414
そこで、宮津から味土野へのルート。  宮津→(海路)→ 日置→ 世屋→ 味土野 については一色と細川はその当時棲み分けた、一色は今の岩滝から京丹後方面、細川は今の舞鶴宮津、日置世屋野間を含む加佐郡与謝郡。本能寺の変に乗じ不穏な動きを見せる一色支配地を通ることはできない、宮津 日置 世屋 味土野間には年貢や軍事物資の納入など物流ルートができていたことを思えば、まず堅い戦国街道。
さて、そのなかで、世屋 味土野間を巡って二つの資料!
ひとつは、せやかんばん絵地図

IMG_3347古道
ここには、下世屋→松尾→小杉→味土野のコース。これはふるさと会議の方々の書き込まれたコース。

もう一つは、「細川ガラシャのすべて・関係史跡事典」 『宮津よいとこ 宮城益男のガイドブック』(あまのはしだて出版)などの説。

とも046
「かって父光秀の謀反の故に、幽閉された細川ガラシャが辿ったのは、日置から上世屋、そして、駒倉から峠を越えて野間の味土野に出る街道であった」と宮城さん。さらに、三浦綾子さんも子の説を採用。
二つのコースを地図に落としました。

とも045

どちらも、味土野へいけます。

yjimageX9N1A9YF

どちららの説にも聞く耳は持っていたい物ですが、真実はひとつ、宮津上世屋間にバス路線があったころ、味土野の方も上世屋・駒倉を経て利用されていたこと、姻戚関係の濃さなどの状況から、日置から上世屋、そして、駒倉から峠を越えて野間の味土野にのコースに賛成!です。

春の先駆け!

IMG_3033

へぇーえ!まんさく。「先(ま)ず咲く」なるほどなるほど、

丹後では、
マンサクが咲いたら、この酒で祝います、

IMG_3103まんさく

「春から黄金で縁起がいいことしも豊年満作じゃぁ頭にさしておどれおどれぇぇ」

マンサクの花には黄色と紅の二手があります。紅は、いっぱい聞こし召したので、、、。

春告げの早さでは負けず劣らずのネコヤナギ

IMG_3240
そもそも「やなぎ」とは「楊」の字音「 ヤン(yang)」に「i」が加わり「ヤナギ」、もしくは「楊の木(ヤンノキ)」が変化して「ヤナギ」 に」とか「古く、矢を作る材料としており、矢を作るのに 用いる細い竹を「矢の木」といったことから、「ヤノキ」が転じたとする説が有力なようです。

矢を作る材料には竹と木とどちらかといえば、実践的には竹のほうがいいに決まっているわけです、あえてこの木にこだわってというのなら、呪術的な意味合いを持ってつかった事例があるのかも知れません。

IMG_3249

寒い中春の露払いをする両者はまた、マンサクの樹皮は岐阜白川郷の合掌家屋の構造材を締めこむのに用いられたり、ヤナギの樹皮からは、解熱鎮痛薬のアスピリンのもととなるサリチル酸が抽出されるなど、人の 暮らしにあっての存在感はがっぷり四つです。

ただ、香りと言うことになると、ダントツにマンサク。

 

 

« Older entries § Newer entries »