宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

ちょっとしらべなわからん、ちょっとしらべたかがわかるもの「試験問題」にちょうどいい 、その代表のようなもの!

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オシャクジテンダ!うちのパソコンなんか、もう「お酌事典た゛」とて゛てきます。
なんだそれ、、、シダです、和名か 和名です、、デンダとはシダの古名、オシャクジ!どういう意味?

出回っているコピーは多くが、おしゃくじのジを「寺」ととらえたおしゃく寺ってところでみつかって、でそのお寺は、どこにあったかは、不明です、、、。このレベルだと調査不足ということ(^.^)。

さて、それを光田重行先生※世屋の植物観察会講師先生 が、明快に軽妙に説明。

「温帯系のシダですから京都には中・北部にやや普通にありますが、故郷の四国では見た覚えがありません。九州でも稀では? 喜びひとしおでしたね。
「社貢寺という寺はない」というのは、東大教授だった前川文夫の論考です。だれが社貢寺説を言い始めたのかはっきりしませんが、民俗学的な常識からすれば、これはオシャグジ様(ミシャグジ様)という民間の神さまに由来することはあきらか。東京に石神井(シャクジイ)があるように、左口神(さこうじん)とか宿神(しゅくしん、しゃくしん)と名前を変えながら、広く残っている神さま。塞神(さいのかみ)とクナド神(道祖神)を合わせたような神格であり、流浪芸人の神でもありました。オシャグジ様のほこらにある古木にでも着いていたことにちなむのでしょう。
オシャグジデンダの初出は、江戸期の小野蘭山の本草綱目啓蒙と思われますが、日本独自の本草学を目指して各地を旅した蘭山のこと、どこかの地方名を書きとめたのでしょう。それが木曽だったのかもしれません。 偶然でしょうが、小野蘭山の墓誌は、東京の石神井公園文化館に保存されているそうです。」
※オシャクジデンダ – 花の日記nannjyamonnjya.blog68.fc2.com/blog-entry-1880.html  より

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みんな名を持ちます、スギだ、カキだ、タケだ、どうして?いつ頃だれがどうして、、植物和名はポエジー、語源由来探索が楽しいじゃないですか。
さて、オシャクジテンダ!のオシャクジとは、『ミシャグジ – Wikipedia』によると、
■塞の神(サイノカミ)=境界の神、すなわち、大和民族と先住民がそれぞれの居住地に立てた一種の標識であると柳田國男は考察している
■「ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており、当初は主に石や樹木を依代とする神であったとされる。地域によっては時代を経るにつれて狩猟の神、そして蛇の姿をしている神という性質を持つようになったと言われている。その信仰形態や神性は多様で、地域によって差異があり、その土地の神や他の神の神性が習合されている場合がある。信仰の分布域と重なる縄文時代の遺跡からミシャグジ神の御神体となっている物や依代とされている物と同じ物が出土している事や、マタギをはじめとする山人達から信仰されていたことからこの信仰が縄文時代から存在していたと考えられてい」る。

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縄文時代からの土地神様 仏教を携えて渡来した新民族と旧居住民族との葛藤と融合の歴史をつたえる神様、そういうことになると、俄然興味が湧いてきます。

でたぁ
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籠神社、牧野土産物店さん前です。このマツコデラックスさん、なんでも「松」のこ゛縁て゛橋立デビューとか。そして、本来は赤マツ・青マツ・黒マツ

の三体セットものということ。なんともてのこんだものです。
ところで、マツコ様、気合いいれたっとくれんか!

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林道で最も雪のあるところでこんなです、今年の冬将軍なかなかエルニーニョにはてこずっているようで、、

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ことしはこれくらいにしといたるわぁ みたいに弱きになっていてね、

あんたならもっとできるとはげましちゃあおるんですけど、、

ことしはこれくらいにしといたるわぁ みたいにそうそうに白旗という風情なんですよ。

上世屋でも、スイセン!さかせとるし

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スイス村スキー場は閉めたまんま。そんなわけで、1月30日のスノーシューウオーク、安全な積雪量の確保が実施の前提。冬型とはいうものの天気予報は雨マーク。こんななさけない冬ってありですか!

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マツコさま」、頼みますよ。

炭焼き窯の中、

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「近寄るとあぶないで  火が噴き出すこともあるから、」

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注意されながらも可能な限り近寄りたい魅惑の色。

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私らも最後は金色に近い赤い衣を着て、旅立つんだね
など思うと、注意などきいてられますか(^.^)

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約1億度の温度に達し、ヘリウムの原子核であるアルファ粒子が3重衝突したときに産まれ、原子番号 6、元素記号は C とされた物質。
人体の乾燥重量の2/3有機物の基本骨格をつくり、全ての生物の構成材料となるもの
それが言うところの炭素。
炭焼きを  定義すれば「有機物を不完全燃焼させ単体の炭素を取り出すための作業』と言うことになるそうです。半ば密閉した状態で加熱するので有機物の蒸し焼きという表現もあります。
炭とは木材の持っている揮発成分を抜いた物、抜ける過程が炭焼き、抜け具合の目安は煙。白、青、薄青、無色へと変わっていくということです。
大まかにはこういうこと、、
その炭出しを撮りたいと依頼していたのです。

「寄り合い窯」

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丹後観光アピール番組で佐藤唯ちゃん藤岡弘さんたちを旅人としてむかえ、炭焼きのご指導なさったこの窯。

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野間は炭と゜ころ、最盛期には130あまりものすみがまからけむりがあがっていたそうです。・野中の畏友F君、退職後はこれ、技術が廃れぬうちにと決めていたんだそうです、
幸い、野間炭焼きを継承されるかたか゛従兄さん。作業の過程、木の据え方から温度の判断、木の種類や性質と炭の種類、用具、窯の素材作り方、木の切り旬時期など一切をつききりで指導を受け、学んだんだそうです。そうして、8年近く、桃栗3年柿8年、微妙なコツもわかるようになり、お師匠さんももう教えることは教えたと言う表情で見ておられるようになったということです。

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ええ物をみせていただきました。ちなみに野間は、世屋と山の尾根をへだてて、向こうとこちら、こい血縁で結ばれた兄弟村です。

丹後半島は数百本の煙がたちあがるエネルギー半島だったのです。人と自然と暮らしとの節度のある関係の作り直しが今求められている中、炭焼きはその課題に直結する営みです。

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なんのいんがですみやきなろたいろはくろなるみはやせる、、、貝殻節じゃないけれど炭焼き歌、、なんだって仕事に楽なことどもあれへん、けれど「たのしい」ということはあるぞ安田君! とおっしゃるFさん、

みたいいう人あったらいつでもつれてこいな教えたげるし、、、じつに気さくな方です、8年のエキスの詰まった話をたのしくしてくださいますよ。

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関心のある方は、ガイドの会へお問い合わせください。案内させていただきます。

 

緑の法衣をまとったおじぞう様

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(↑ 野間 延命寺 1/8)

さて、コケって、日陰で日が当たらない湿っぽい陰気な弱々しいイメージを代表するようです、精子が泳いで卵細胞へ達して受精卵をつくるコケは繁殖するのに水が必要で、光合成に必要な光が弱くても、栄養をつくる事が出来るから、こういう環境に、いわば好き好んで生育しているのです。
明るくからっとした環境でぐんぐん伸びる、その対極におくのは人間の都合です。

コケ地蔵

愛らしさを醸し出すのはコケ、とはいうものの年に一度洗ってあげるのは子どもたちの仕事だったことを思えば、苔地蔵さまを愛でるのも複雑な気分にはなります。

このコケ地蔵様のいらっしゃる野間の延命寺には、苔の作るもう一つの景観、コケ椎!

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巨木を引き立てて神秘観を醸し出しています。

 

丹後の名峰大江山、

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うっすらと薄化粧、

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この絶景ポイントは旧野田川町上山田祥雲寺。

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ところで、この野田川町は、、今与謝野町、KTR野田川駅も与謝野駅、、「ノダガワ」という地名が使われなくなり、消えそうにさえなっています。
ノダは、湿地・湿田のヌダ(沼田)地形語であると断じる澤潔先生。このポイントから見るとそういう窪地地形は確かに認められて、さらに、ヌダやノダのもとのヌマはノマにもなった、、こういう先生の説に頷いてきたのです。が、こういう解きほぐしかたを見つけてからは、揺らぎを少しかんじてます。
『「のま野間」は古代には「ぬま奴間」と稱され沖縄県から干葉県、新潟県におよび、特に兵庫県に多い地名です。『魏志倭人伝』に書かれています倭国国名と思われる二十一国中の八国に「何々奴国」とあり、単に「奴国」が二つ記されています。、、、西宮市野間町も古代にあっては南方系の「奴」で、「間」は島と言うように占有地を意味する語でありますから、「野間」は「奴の占有地」と言うことになります。』。「我が家の名字の由来? | 始めるのに遅すぎることはない plaza.rakuten.co.jp/supernumacyan/diary」ですが、この「ぬま奴間」は百済系の渡来人の移住先とおっしゃるのです。
鮭が上り、鞍橋川と歌枕にもなり、渡来人たちによる古代ロマンの花が咲いた豊穣と聖なる地を、単純に湿地「沼ヌマ、ノタ」とよんだであろうか、古代語の「ぬま奴間」というのがあるとするなら、ずいぶん魅力的だというのが、揺らぎの内容です。

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つまり、このまま消えていっていい地名なのだろうか、ということです。

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大江山を化粧したこの雪、平野を挟んで向かい合う丹後の霊山いさなご山もうっすらと雪化粧。

さてこのままさらにつもっていってくれればうれしいのですが、内山山塊!

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どうもそうはいかないようです。

ようがんばってくれたなぁ、、、

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ほんまにようやってくれた、、、そりゃそうでしょう 筒川製糸工場~筒川村は、明治中期には大勢の人が住んでいた。しかし働き口がなく、当時の村長である品川萬右衛門は、義務教育を終えた子供達が、加悦谷の方へ女工として出稼ぎにいくために、そこで男女の風紀が乱れることを父兄が大変悩んでいたのを知り、この救済の方法としてこの地に、農業以外の産業を興さなくてはいけないと確信し、道の拡幅を府へ要望し、田んぼを畑に変え桑の木を植えさせた。そして製糸工場を作った。しかし、筒川製糸工場は、明治42年(1909)6月14日、繭を乾燥している間に工場が全焼し甚大なる負債を抱えた。村の田畑等を抵当物件として提供し、組合員全員が力を合わせ大正6年、借金の返済もすべて終わりついに再建するに至ったのである~。 その慰労の東京旅行。 IMG_2463

感謝の気持ちで優しい仏の心でしたことがあだになり、インフルエンザウイルスを土産にまでし、花の盛りの娘たちを地獄に突き落としてしまった、それはと゛んなにつらいことた゛ったことでしょう、、、 危ないそんな情報も届いていたのかもしれません、不安懸念もあったかも。旅行の判断は正しかったのか、きびしく責任をとわれられたのかも。しかしなにしろ、花の東京見物、目標に苦労を堪え忍んだことを思えば取り止め、延期という選択肢はなかったのでしょう。 IMG_2476

ちなみにこの風邪、  人類が遭遇した最初のインフルエンザのパンデミックで、スペイン風邪と呼ばれているもの。 .. 経過をみると流行に波があったと日本社会衛生年鑑(大正8年。) 「 大正7年3、4月の頃各地にて多少の流行をみたが、初夏の候に 本病の発生はやんだ、しかし、9月中旬に至りて本病は爆発的に発生して、十月上旬その病勢はるかに熾烈となって藪旬を出ないで殆ど全国に蔓延したその最も 猖獗を極めたのは11月で12月下旬にいたって病勢衰退したが、翌大正8年1月下旬から2月に至るまで酷寒の候にはさらに猛威を逞うして、(略)7月に 至って本病の流行はまったく終息をとげた。」 筒河から東京へ 旅にでたのは1月、農閑期の冬場しか出られなかったのでしょう、113人の大旅行団。予約の変更なども大変。 深刻さが伝わらず、おさまるであろう、なったらへんという楽観的希望的観測が働いたのかも、、、、、。筒川から伊根。船で舞鶴 、列車で京都、東京へ。何十時間を要した旅だったのでしょうか。

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しかし、時あたかも「大正8年1月下旬から2月に至るまで酷寒の候にはさらに猛威を逞うし」ていた時期。世界で第一次大戦(1000万人)の4倍の死者(4000万人)を出し、日本国内では関東大震災(10万人)の5倍近く(45万人)の死者をもたらしたスペイン風邪の嵐の渦に巻き込まれたのです。 yjimage[3]

一行と関係者の犠牲その人数、従業員13名を含み村内にも多数の感染者を出し、計42名。 物故者の魂を地蔵さまじゃなくみんなで見た思い出の籠もった鎌倉大仏を模し、供養しよう。自然な気持ちです。

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発注 大阪にて鋳造したる青銅仏座像式八尺五寸

施工費      経費四千九百五十円を要したり 換算すると現在価格に約2000万円、

供出 この像 青銅製であったゆえに、供出にと強要。昭和十九年(一九四四)三月赤たすきがかけられ、「出征」。

再生 仏様にも人をあやめることを強要するなんて、しかし、表向きにはいえないそうなら、石で作り直そう、「大仏奉讃会を結成して、金仏に代わる石仏を再建することを村民に呼びかけ」一年後の、昭和二十年(一九四五)四月八日には開眼供養にこぎつけられている、

「丹後大仏」 概ねの事情は、こういうことです。

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さて、ここで謎が二つ。 一つ目 石はどこの手がけた石工さんはここまで石を運んでか別の場所できざんでか、 二つ目 赤襷で出征した見送られた大仏様の運命、『期待』どおりに戦地に赴かれたのか、 この疑問に答えてくださっているのが、鬼塚史朗さん※。

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一つ目、寺領に出た石を使い、寺領で刻んで、本坂へはこ路コロをしいて、村中が出てはこんだということ。

二つ目、 「宮津駅うらの廃品置き場の隅で戦後しばらく雨ざらしのままに放置されていた。」

ウィクペディアは「1944年(昭和19年)頃:金属製であったことが災いし解体される。戦争で使う銃弾となったと思われる。」と記述

していますが、それは、想像。出征なさっていなかったのです。ここにも謎、敗戦まで時間的には約1年半。 なぜ「出征」しなかったのか、工場が空襲などで機能しなくなっていたのかも知れません。あるいは、筒川からは持ち出したけれども、貨物列車に載せ搬送命令を出すことためらわせる押しとどめる何かが働いたのか、罰当たりなお先棒は担げない、消極的な抵抗というのか伊根出身の事情を知った方が判子をつかなかったのではなかったのか、そうしているうちに敗戦。しかし、その後、伊根筒川の里に返される事はなく、鬼塚さんも調べられたのでしょう、けれど「その後の消息を知るものはいない。」

一番素敵なストーリーは、業者さんに引き取られ、鐘に鋳なおさ、魂を鎮めているという話だと思いますが、少なくとも 人の魂を鎮める仏様が人の命を奪う鉄砲玉には成らなかったこと、嬉しいことでした。

未知未対策ウィルスのパンデミックか゛いつおきてもおかしくない現代、筒川大仏の゛問いかけは、過去の物ではありません、

また、村に産業を!これなんか、今でいう『里山資本主義』て゛はありませんか。

さまざまにものをおもわせる貴重なモニュメントた゛とあらためておもいました。

この大仏、伊根町本坂にあります。ふなやの里から約15分。

※『昔の暮らしと村の文化 丹後の話題150』この本、ぜひ手元に置きたい丹後の生活誌事典、あまのはしだて出版です。ウィクペディアじょうほうなどうのみにしていたら、とんでもないことになるところでした。

梅、1月7日に日が谷「立」で開花を確認。

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みれば、あちらでも、こちらでも。

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「和歌山県南部に位置する月向農園では、1月下旬~2月に梅が開花します。南北になが~い日本列島!あなたの処ではいつ頃かな?」と。

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その梅・開花前線を見ると、丹後半島は、北陸東北の一部をふくむ 3月ライン。それが平年とすれば今年は二月以上も早い事になります。

梅は百花の先駆けといわれます、

スイセンも、

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フキノトウも。

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こんな事なら、2月には桜も咲いてしまうことになるのでしょうか、ということですが、梅と桜とは開花と気温の関係、事情か゛すこしちがうようです。

陽気がいいからといってちょうしに乗っていたら、寒波がきたら花は全滅してしまいますし、虫もいないときなら、実をつけることができません。いま 咲けとのサインは、日照時間の変化をみるのが賢明なのです。梅は外来種なので、四季の読み方が違うようです。

 

 

 

9年1月11日 五十河の里 雪景色

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10年12月25日 せやの里 雪景色

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13年1月6日 五十河の里 雪景色

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14年1月7日 世屋の里 のうだの雪景色

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15年1月7日せやの里 雪景色

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そして、16年1月6日雪無しの世屋

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ゆきのゆのじもない衝撃映像!

なのではありますが、さて、ガイドの会、昨年度末から地域力再生メーリングリストMLに登録させていただける事になりました。
これは、府民力推進課が、地域力再生活動を行っている個人団体の情報交換の場としていとなまれているもので、登録者およそ1,800人団体を数えるというものです。年度当初、本会から次のように発信させていただいています。
「寒中お見舞い申し上げます。当会では、世屋の森から里、そして若狭湾、宮津湾に続く里山の自然環境をステージにし、モデルフォレスト運動として、平成27年から29年まで、研修教育プログラムを実施させていただくことになりました。各回、世屋の森、里を「歩く、見る、聞く、食べる」で、てんこ盛りにしたいと取り組んでいます。。
平成27年度分は1月2月、次の二回です。
1月 世屋高原岳山コース・冬の森のスノーシュートレッキング
日時 1月30日土9~14時 定員 15人 参加費1350円(昼食保険代)
集合 世屋高原しおぎり荘
2月   お話会 ・今なぜ森!、森里海の意味を考える
「自然と人に優しい能力を備えた新しい地球人」を育てるとは!
講師 水野哲雄先生◇地球デザインスクール理事長
日時2月13日土12~15時
会場 世屋高原しおぎり荘
定員 30人
参加費 1300円(食事代)  食事12時~ お話 13時~
1月のスノーシュートレッキングについては、今のところ暖冬雪無しで推移しており悩ましいところですが、なんとか雪乞いしてでもやれたらと神頼み中です。。
2月のお話会の水野先生は、京都芸大で身近な自然や生活素材をとおした表現活動や、子どもたちや障がい者たちとのアートワークを通じて地域と地球を結ぶ愛を提唱されておられる先生です。
また、当会のHPでは、世屋宮津を中心に、丹後のエコ情報、風土季節の息づかいなどを写真とともにブログアップしておりますので、ご覧いただければ幸いです。
、、、、、、、
とまあこんなふうに。

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早速に返事や感想をいただいており、府内全域のさまざまな活動を結び情報交換が出来るという優れものだと思いました。
と言うことで、スノシュートレッキング、「雪はふります」とさけびたいところですが、1月30日がアウトなら、2月6日にも同じ内容で設定したいと考えています。また、2月のお話会では、世屋高原再生のアイデアがいただけるかも知れません。どうぞお気軽にお問い合わせください。

冬堤

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谷からの湧き水を溜めた堤です。
「天水だけで作る米はうまいでぇ」
この水でたんぼを営むお百姓は、そうおっしゃいます。

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さて米の美味さとはとはなんぞやと聞くと、あるお百姓は
①つやがある(透明感があり白っぽくないか
②ご飯粒はふっくらしているか
③ご飯粒の表面がしっかりしているか
④臭いをかぐと、ご飯特有の香があるか
⑤口中に入れて噛むと、「じゅっ」と広がる淡い甘さがあるか
⑥粘りがあり、ご飯粒同志が付着しているか
⑦適度な軟らかさがあり、口中でほぐれるか
⑧ご飯以外の異味や異臭がないか
⑨パサついたり、硬かったりせず食べてもカスがないか
、、、こういうことを目安にして判断していくのだとおっしゃっていました。

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ちなみにこうおっしゃるのは、「福井県産コシヒカリと福井の地場産品のふくい米ドットコム有限会社 黒田米穀」さん。※ここのHPでは、「このようなおいしいご飯になるための条件とは、私なりに今までの経験から、次の9つの条件からなると考えられる。」と「1品種2産地(地形・土質・水質)3生産者(栽培法・施肥・農薬・諸管理)4気象条件(気温・日照・降雨)5収穫6乾燥・調整7貯蔵8精米加工9炊飯」の9項目を挙げて説明してくださっていますが、なかなか厳しいことですね。

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米作りって難しい仕事なんだとあらためて勉強させられました。

※おいしいお米の条件 www.fukuimai.com

 

今日は寒の入りの小寒。

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なのに枯れ草の明るさが素敵な畦の曲線美 これは『海の向こうのいたずら坊主・エルニーニョのしわざ」ということ。※朝日 天声人語1/6 IMG_2215

いたずら、としてもこんな美しいのをみせてくれるんだったら、まあいいや!。

でもこっちのいたずらは

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むっかあ、

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度を超している(`ヘ´)おとなしくしとってくれんかなぁ。

さらに、海は海でも日本海の向こうからは不穏な物申し。

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大国の核も許されることではありませんけれど、かといって核を拡散し新たに危険を拡大させることも許されることではありません。

古代から行き来した仲です、冬は向こうから、、夏はこちらから風は吹くのです、 エコツーリズムは野山海を破壊する戦争すべてを憎みます。 もしこのブログが北朝鮮にとどくなら、人類ほもさぴえんすの悲願て゛ある核のない地球再生にむかってともにあるくことを よびかけます。

『桃李もの言わさ゛れども下自ずからけいをなす』

武の道は愚なり。

国際政治も不満表明としての挑発に乗ることなく、冷静に衆知を集めて核廃絶への道をなんとしても拓いてほしい、切におもいます。

それはそうと、今日も、1月30日のスノーシューツアーの問い合わせ。しかし、山はまだこの状態。

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仮予約、ということにさせていただきました。

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大陸からの寒気団、しっかりしてくださいよ、エルニーニョ坊主のいたずらなんかに負けてないで!

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