北風が雪の便りもはこぶ棚田に人の姿。
てるみさんの秋起こし!
齢90ですよ、
「冬来たりなば 春遠からじ」というこの歌の下の句は「東風吹く春を待ちたまえ」です。
てるみさんは、そりゃちがいますで、「東風吹く春に備えたまえ」ですで、とあたりまえのようにいうでしょう。
鍬一本で広い田圃をおこしてしまうこんなおばあさん、日本の、、、宝物です。
世屋・高山ガイド部会の活動ブログ
金さん!
川北さんがかえってくるど!
『「どぶさ」つくって待っとるいうといてくれ!』
ほっかほっか酒の味
~成人向けリレーフォーク~ 川北亮司 詩・曲
僕は毎日 子どもをおいかけて 今日もやっぱり汗だらけ
君は毎日 牛とニワトリを そだててやっぱりクソだらけ
ぼくらの仕事は疲れるけれど つめたいヤツにはわかるまい
仕事を終えた 身体にまわる ほっかほっか酒の味
僕は毎日 牛とニワトリを そだててやっぱりクソだらけ
君は毎日 山の中で 木を切りやっぱり オガクズだらけ
ぼくらの仕事は疲れるけれど 逃げてくヤツにはわかるまい
仕事を終えた 身体にまわる ほっかほっか酒の味
僕は毎日 山の中で 木を切りやっぱりオガクズだらけ
君は毎日 車にもぐって 修理でやっぱり油だらけ
ぼくらの仕事は疲れるけれど あこぎなヤツにはわかるまい
仕事を終えた 身体にまわる ほっかほっか酒の味
僕は毎日 車にもぐって 今日もやっぱり油だらけ
君は毎日 虫歯を見せて 歌ってやっぱりツバだらけ
ぼくらの仕事は疲れるけれど ぬくぬくヤツにはわかるまい
仕事を終えた 身体にまわる ほっかほっか酒の味
僕は毎日 虫歯を見せて 今日もやっぱりツバだらけ
君は毎日 バイト探しで 歩いてやっぱりマメだらけ
ぼくらの仕事は疲れるけれど ぬくぬくヤツにはわかるまい
仕事を終えた 身体にまわる ほっかほっか酒の味
そこに山があるから登るのだ!
そこに木があるから登るんだ!
そこに石垣があるから登るんだ!
長岡緑の少年団のブナ林ガイドウオークの今回のお題は「登る」。
木でも何でも、登りたくなるのは、人が猿から進化した証拠。人の性です。登った後の充実感。
今回実施したのは、駒倉峠入山口→高山山頂→内山ブナハウス→内山東谷ブナ林→高山→駒倉峠入山口コース。長さは普段の倍、上り下りもたくさんありましたが、そのぶん変化も様々。
危ないからと誰も止めません!
とめちゃあいけないんです、
「森を楽しもう、森に分け入ろう、森を遊ぼう。」と森へ誘う河合雅雄さん、
※(河合雅雄森に還ろう―自然が子どもを強くする。子どもと自然 岩波新書)
これも、森の楽しみ方、森の遊び方なんですから。
さて、紅葉のピーク11月九日に、第六回里山ウオーキングッではこのコースを歩きます、
「子どもも若者も老人も、性別を問わず里山はやさしく暖かく誰でも受け入れてくれる。野趣豊かな花々が咲き、鳥が謳い、若葉の葉ずれ、けものたちの軽快な足音・・・、それらが語りかける言葉に耳を傾け、森の精気を胸一杯に吸い、体中にみなぎるさわやかないのちのよろこびに浸り、生きていることを実感する。そんな至福の一刻を森はいつでも与えてくれる。」と河合さんがおっしゃるのは、まじ、このコースのことではないかとおもいます、
お問い合わせはNDクッキングスクール 090-3162-4499 川内まで。
※(河合雅雄森に還ろう―自然が子どもを強くする。子どもと自然 岩波新書)
成相寺の紅葉状況
「紅葉始まる」というところでしょうか!
冷え込みがもう少し必要なようです。
寒くなるのはどうも辛いのですが、モミジも見たい、複雑なところです。
見頃の十一月九日にはライトアップもされるそうです。
さて、成相寺の落ち着いた霊場感は境内が広く木々が大きいことによります。
手前の樹はタブの木、その周径660m
この樹も大きい、周径は460cm、
なんの樹かお寺の方に聞くと、、、「さあなんでしょうか!」
カヤの木かなとおもいますが、、、その他、いたやかえで、はりぎりなども、丹後の山地で有数の大径木です。
橋立ビューが売りではありますが、ピックプラントパークとして成相山の巨樹を見て回るのも楽しみ方の一つではないでしょうか!
野間川には、川親父がすんでいます!
この野間谷の秋起こしをしたのは彼なのでしょうか。
この谷の河原に人の気配。
映画のロケなのです。
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2018年10月21日19:05カテゴリ映画『なまくら』
空の美しい秋は、上世屋の金さんが映えるとき!
雲が茜色に染まる頃の金さんは、いいあらわしようがない味を醸し出します。
「ばんなりました、もうしまいまひょうで、、、」
さて、この金さん、『西郷どん』に「二宮尊徳先生」として登場。以下その様子を「牛のさんぽみちcowrepo.com 『西郷どん』第37回感想 江戸無血開城ホーム 」が活写されていますのでちょうだいします。
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1868年4月11日、江戸城の無血開城が行われる朝、慶喜は静かに水戸へと旅立ち、粛々と明け渡し作業が進む中、吉之助は天璋院と幾島に会いに行きます。天璋院は改めて吉之助に「徳川の家を守ってくれたこと」の礼を述べる。そして、大量の徳川の資料を吉之助に託す。その書物の中には、徳川の歴史の中での詳細な出来事が書かれているという。天下をこれから納めるのに役立ててほしい、と・・・これは天璋院からのささやかな別れの贈り物ってことですね。
天璋院の心遣いに感謝した吉之助は、ある1冊の冊子に目が留まり思わず歓声を上げてしまう。二宮尊徳先生が各地を歩いて記されたという『農村復興御仕方書上帳』二宮尊徳といえば、有名なのが薪を背中に背負いながら勉強している少年の銅像ですよね。貧しい家計ながらも必死に勉強を重ね才能を発揮していった人物です。「二宮金次郎」という名前の方が親しみがあるかもしれません。この書には、尊徳が農村を飢饉から救うためのノウハウみたいなものが記されているようです。実際に二宮尊徳は下野国桜町領の復興を見事に成し遂げ、一気に存在感を増していったそうな。
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史実なのかどうかはわかりませんが、おもしろい起用でした。戦前文化の代表でありながら、進駐軍が日本のリンカーンと一目置いたのが金さん、二宮尊徳先生。そのリンカーン大統領の暗殺されたのが、1865年4月15日、江戸城無血開城の1868年4月11日に先立つこと三年前、封建国家からの脱却を課題とした西郷さんも、先進国アメリカの大統領リンカーンと金さんとを重ねて見る眼を持っていたということでしょうか。
丹後半島の真ん中に谷を掘り下げる宇川、
野間の霰付近では、基盤の花崗岩がむき出しになっています。
これらの岩の形成は5100万年とのこと。
木子や駒倉の里を水源にし、岩を巡る水は限りなく澄んでいます。
ところが、この川の生き物に異変があるといいます。
見えるはずの魚影が見えないのです。
大きなウグイが泳いでいたけど、と話を向けると、「さあそうだあな、いなくなったんだ」と。さらに、姿を消して、五、六年になる。
ウグイは
「産卵は、4~6月ころの水温が11-13℃に上昇する時期に始まり、直径2mm程度で粘着性のある淡黄色の卵を、流速10㎝/s以下の緩流部で藻の付着していない小石に産み付ける。卵は、水温13℃程度で約1-3週間かかり孵化する。孵化から1年目に約5cm、2年目に10-15cm程度に成長し、2-4年目で繁殖活動を行う。」という魚。この継続を出来なくした理由。水質に問題があるとはまずかんがえられない、見当をつけているのは、最近度重なっている集中豪雨。
産卵時期に起きると卵や稚魚が流されるし、親魚も堰堤の下まで流されると、再度のぼってこれない、そう話されるのです。確かに土手には洪水の生々しい爪跡。
自然界の厳しさは想像できます。しかし、それをしのいで生き続けた川の住人の一種が、姿を消したのが最近のことというのは、気になるところ。ウグイは生態系の大切な構成種、そのバランスが崩れたというのは、軽視できないかもしれません、
ウグイのためにも原因を解明しておくことが大切なのではないかと思いました。
丹後縦貫林道太鼓山線から見た「いちがお」!
山塊を西に置いて、つまり東側からの形です。
山塊右端の里は、「丹後町平」
谷を蛇行する川が、鮎の川、「宇川」
丹後町三宅付近からのこれも「いちがお」
山塊を北東に置いて、つまり、南西側からの形です。
手前の川は竹野川。
弥栄町、峰山町からも見えるのがこの形。
丹後町丹後学園付近からの「いちがお」
山塊を東に置いて見ています。
大陸プレートと太平洋プレートとの関係で、2000万年前から始まり約1000万年も続いた火山活動の名残の形なのだそうです。
さて、「いちがお」。市ヶ尾とも、衣遅ヶ尾とも。その「いち」については、「い」も「ち」も、古語では神聖を意味する言葉である、という切り口から諸説あり、です。地形的にみれば、「ち」はあちこちの方向、方角を指す「ち」ランドマークとしての優秀さを取れば「位置ヶ尾」、あるいは、山塊にあるいくつもの尾のうちもっともたかい尾を「一ヶ尾」と呼んでいたが、それが山塊全体の呼称となったと考えられるかもしれません。
また、切り立つ山は、人には優しくありません。
「むかしむかし、吉永のお寺で盆踊りがありました。その時、一度も見たこともない若い男の人がいました。みんな不思議に思いましたが、だれも、どこの人か、知っている人は、一人もいませんでした。次の日も、盆踊りにその男の人が来ました。村の人たちは、その男の後ろからついてどこへ蛙か調べてみることになりました。細い山道をどんどん登って、依遅ヶ尾の近くまでくると、大きながまが谷というところに、堤がありました。男は、その大きな堤に、とびこみました。すると、みるみるうちに、大きなへびになってしまいました。姿を見られたへびは怒って、次の朝、大雨を降らせました。堤の堤防が壊れて、依遅ヶ尾から、多くの土砂が吉永の村に流れ込み、村はうずまってしまいました、、、」
この怒ったへびの起こした土砂崩れは、「依遅ヶ尾には大蛇が住む」という話に繋がって、そのおろちが麓のお宮の巫女に惚れ、炭のような真っ黒い雲にのって会いに来る、それが210日ごろだという話になっていくという話も伝わっています。
※「丹後町の民話」丹後町教育研究会丹後町社会科研究部会 昭和54年刊
山塊を一周する道があります。いくつものビューポイントを持つのがこの山のおもしろいところ、そんなこんなを思いながら、秋のドライブを楽しまれては。
矢畑から遠下に続く道側に登山口。一時間程度で登ることができます。独立峰からの眺めは格別ですよ。
『「淡紅うすべにの秋桜コスモスが秋の日の何気ない日溜まり揺れている。」四十年前の秋にヒットした山口百恵さんの「秋桜」である。なるほど一輪が風に揺れる姿は、はかなく物悲しい。』と天声人語(2017.9.24)
この文はさらに続きます、
「だが、千本、万本が咲きそろえば、コスモスはたちまち祝祭の花と化す。」と。
この日のコラムが取り上げていたのは、北海道遠軽町のコスモス園。
ここでは、敷地10㌶に一千万本、10000000本あるといいます。株一本は花をお米のように何十とつけますから、花の数は無限に、それはみごとなみものなんでしょう。
そういう見事さを支えているのは、おおい日には400人もの人たちが除草に汗をかくという町民の熱心さ、だと天声人語氏。
この文を読みながら、そうなんですよ、と頷きながら脳裏に浮かべたのは下の景色。
元棚田に咲くのはししうどと尾花ばかり。けれども400人なんて贅沢はいわん、40、いや20人、それだけかかれば、このあれた寂しい秋景色をコスモスの花祭り色に変えることもできるのだと。
思うだけで、わくわくぞくぞく!
どうです、一緒にやってくれませんかと誘いたくなります。
いやほんとに、まじめな話、どうですか、やりませんか!