宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

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世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

生き物を見つけられますか?

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落ち葉色、岩色ですのでよくみてください、岩にへばりついているもの。

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渓流と森のカエル、カジカガエルです。

山地にある渓流、その周辺にある森林などに生息する

食性は動物食で、昆虫クモなどを食べる。幼生は藻類を食べる

繁殖形態は卵生。オスは水辺にある石の上などに縄張りを形成し、繁殖音をあげる。

4-8月に水中にある石の下などに約500個の卵を数回に分けて産む。」とウィクペディァ。

彼らの好きなのはこんなところ。

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上は、京都府自然環境保全地域の中心部分の、ミョウガ谷。

また、日本固有種なので、英語名も「Kajika frog 」、どういう意味?と訊ねられたら、Kajikaは「河鹿」。この鳴き声が雄鹿に似ているからと伝えてあげるということですが、、、

その、雄鹿が鳴くのが今。

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ピューとするどい高い音です。里山に響き渡るのは味があります。しかし、人と鹿との力関係が崩れているので、素直に愛でかねる面もあるのが悲しいです。

 

 

 

これが噂の丹後・五十河の古民家園に移住して見えた方についてやってきたワンちゃんとホース君たちのようです。

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見当をつけて検索してみると  「馬2頭、犬1匹とともに滋賀県の安曇川で暮らしておられたのですが、2週間ほど前に京丹後市大宮町五十河の古民家に引っ越して来」というところがヒットしました。暮らし方など詳しく知りたい向きには五十河茅葺き桃源郷 – ホーム | ja-jp.facebook.com/。

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美しい生き物から、流れていたゆったりした時間は、里山の時間そのもの。

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五十河古民家園が、引っ越し大名の映画のロケに使われていたのはこの間のこと。「右京太秦芸能人会」の作る映画でも使われるとか、これから、この五十河古民家園が注目かも。

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あらためて、「 おお! おおぅ!」

台風を避けての寄港だとか。

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宮津湾に投錨中のこのヨット、「モーター・ヨットAと呼ばれ、建造費360億円、ロシアの大富豪の持ち船で家族と旅行中」と毎日新聞。記事はこれだけ。ところで、この毎日新聞氏、なにを伝えたかったのでしょうか?
いかめかろうが、いかめかったらはたらけ!、はたらけ!!※いかめえ→丹後弁 うらやましい
ということでしょうか。
あるいは、富の集中の見本のような物、ロシアが騒がしいのはこういうことがあるからではないですか、日本でも、こういうことが起きているのではないですか、足下をみてみなさいよ!ということしょうか、
、、、妙に不思議な記事でした。

三日には出航ということでしたが、八日現在まだ停泊。

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海の様子がよほど悪いのか、宮津や京都や関西がよほどきにいられたのか、はたまた、船に不具合が起きたのか、

これも謎!

希望的憶測は「天橋立によく合うので、北前船のようだし、ここにおいていくからとご家族船員ともども帰られた!」

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金さん、あんただったらどうおもうえ?

細川たまさんが辿ったであろう丹後の海の路、山の道を歩きます!

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その味土野へのルートについて、細川家正史に記録はありません。小説家三浦綾子さんはこう想像しました。

「敵を欺くためには、味方から欺かねばならぬ。」という幽斎のすすめもあって、玉子が城を出る姿を、家中でみたものはない。夜陰に乗じて宮津の浜から舟に乗り、伴のもの数人と、警護のもの二十名ほどに守られて、日置の浜に渡った。
略 日置の浜で、ほんの二ときばかり舟の中でまどろみ、夜の明け切らぬうちに一行は味土野に向かったのだ。途中の山道のけわしさも、並大抵ではなかった。男でもたやすく登れるところではない。

一方、小説家永井路子さんの想定した道は陸路です。。

追われるように宮津の館を出て、炎熱に焼かれながら、山肌にしがみつき、夏草のしげみをかき分けながら、この味土野の山奥にたどり着いたのは夏のさなかだった。従者に輿脇を護られて夜明けに宮津を出た一行は、暫くの間は、松の木越しに海の見え隠れする道を辿ったが、岩滝の部落から、北へ向かうと、しだいに山が迫ってきて、輿もそのあたりで棄てねばならなかった。

小説家二人の想像は違います。今回は、三浦ガラシャを採用します。

古道について、『伊根町史 下 伊根町の旧道』は、こう語ります。
「古く道路は主として山沿いにつくられ、至るところに峠があって、ほとんどが徒歩であった時代には、山道は近道ということが最大の条件であり、どんな急坂もいとわなかった。各集落を結んで、山裾や川沿い、海岸沿いの道を通って、峠を越すには近道が選ばれ、人のやっと通れる道で、道幅は一㍍足らずであり、山村では車の通れるような道路はなかった。また農村にあっては、田をつぶさないことが極めて重要であったので、平地ではずいぶん曲がりくねった道がつくられていた。道幅はせまく、荷物の運搬は人の背や肩でかつぎ、重い荷物は牛の背にのせて運んだ。旧街道筋のあちこちに、今も残る観音堂や多くの石地蔵と共に三界万霊塔、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経などの碑が各地に建立されて、「道しるべ」とともに旅路の安全を祈り、峠のけわしい道の上がり下りに、道行く人々にやすらぎをあたえている。」

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人が「蟻」だった時代の道は、木立や藪に埋まっていますけれど、山道は近道ということが最大の条件!そんな目で見れば、たまさんの辿った道も見えてくるはず。玉さんが、先に立って道案内してくださるかもしれませんよ。

 

京都のN様

宇川の野間付近の河原の様子を送ります。

IMG_2845野間絵地図

自然河川の趣を残す河川景観の品の良さは、丹後でも別格です。

写真はほぼ順光で撮っています。

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近くにあるお寺のお地蔵さんや樹木にも味があり迫力もありますよ。

延命寺の大シイの木

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洞養寺のお地蔵様

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河原の撮影場所は、里の入り口にたつ絵地図の赤数字を参考にしてください。

場所①

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川音も小さくもなく大きくもなく耳にやさしいと思います。

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宮津世屋ガイドの会 安田潤

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以下出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

場所①

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宇川(うかわ)は、京都府京丹後市と宮津市を流れる宇川水系の二級河川。上流部が京丹後市弥栄町や宮津市世屋、下流部が同市丹後町を流れる[1]。全長は17.89km、流域面積は54.2km2であり、丹後半島では竹野川に次ぐ規模である。

場所②

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「宇川」は河川の名称としてだけでなく、宇川下流域と東隣の吉野川流域一帯の地名としても使用され、地域名としての宇川には袖志の棚田(日本の棚田百選)、経ヶ岬灯台、丹後松島などが含まれる。高尾山・金剛童子山・太鼓山の水を集め、京丹後市丹後町平で日本海に注ぐ。

場所②

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源流のひとつは丹後半島の中央部にある太鼓山西麓の京丹後市弥栄町須川付近に端を発する。角突山や汐霧山の西麓にも源流のひとつがあり、成谷、木子(きご)、廃村となった駒倉(いずれも宮津市)などから細々としたいくつもの流れが上流部を形成する。

場所③

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高尾山や金剛童子山の北麓にも源流のひとつがあり、それぞれの山麓から流れてきた小河川が野間地区の霰(あられ)や野中付近でひとつとなる。

場所③

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上中流部の弥栄町野間地区、標高150mから120mほどにある須川や野中付近には小規模な沖積平野が形成されており、野中には下流域以外で唯一の学校(京丹後市立野間小学校)が存在するが、2011年度と2012年度には新入学児童がおらず、2013年度末で閉校となる予定である。

場所④

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場所④

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須川や野中付近では複数の流れが合わさって川幅が広くなるが、標高123mほどの中津を過ぎると再び両岸に山肌が迫る。北流して丹後町に入り、竹久僧川(たけきゅうそうがわ)、小脇川、三山川などの支流を合わせ、標高89mの小脇と標高36mの鞍内(くらうち)の間では蛇行する急流となって奇石や巨石が見られる。

※下 川久保橋付近 ただし現在通行止めで進入不可!

かわくぼばし

鞍内の北側には、一年半がかりの工事で1920年(大正9年)に完成した小脇水力発電所があり、その水路長は3000m、落差は53mである。小脇水力発電所のそばには丹後町立虎杖小学校があったが、1991年(平成3年)に廃校となった[7]。依遅ヶ尾山東麓の遠下(おんげ)からは平坦地を流れて沖積平野を形成し、丹後町上野で日本海に注ぐ。

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河口部は宇川浦と呼ばれた入江であり、緩やかな弓状の砂浜海岸は国土交通省によって海岸保全区域に指定される海水浴場である。河口の東側は丹後松島と呼ばれる景勝地であり、西側には犬ヶ岬がある。

 

京都のN様

世屋川の下流部の河原の様子を送ります。谷から扇状地へと出るところで、大小の石が溜まって瀬を作っています。幅は三十メートルほど、かって河川公園にしていたところが最近再びきれいにされています。川の片方は自然の崖があります。一方流れの音は、農業用水を取る堰堤を落ちる音とか早瀬の音とか、当日の水量により変化しますが、かなりの音はあります。

川のそばには、地蔵さんなどをおさめた小屋。それは、ここが世屋谷の奥に点在する村々への入り口だったことを物語っているのかもしれません。

また、世屋川には、竜伝説が伝わっています。甚五郎さんもここから世屋川を上って魚止めの滝に行き着いて竜に出会ったのでしょう。

参考にしてください。

宮津 世屋エコツーリズムの会 安田潤

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むかしむかし、宮津(みやず)地方では、田植えが終ったにもかかわらず一滴の雨も降らなかった事がありました。

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困った村人たちは、
「せっかくの稲が、これでは台無しだ。雨が降らないのは水の神さま、きっと竜神さまのたたりに違いない」
と、成相寺(なりあいじ)の和尚さんに、雨乞いのお祈りを頼んだのです。
すると和尚さんは一晩中お経を唱えて、仏さまからいただいたお告げを村人たちに教えました。
「何でも、この天橋立(あまのはしだて)に日本一の彫り物名人が来ておるそうじゃ。
生き物を彫れば、それに魂が宿るといわれるほどの名人らしい。
その名人に竜の彫り物を彫ってもらえば、それに本物の竜の魂が宿り、きっと雨を呼ぶであろう」
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そこで村人たちが手分けをして探してみると、和尚さんの言う通り、左甚五郎(ひだりじんごろう)という彫り物名人が天橋立の宿に泊まっていたのです。
村人たちの熱心な願いに、左甚五郎は深くうなずきました。
「仏さまのお告げに、わたしの名前が出てくるとは光栄です。
わかりました。
未熟者ですが、やってみましょう」
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しかし引き受けたのは良いのですが、左甚五郎には竜がどんな姿なのかわかりません。
他人が描いたり彫ったりした竜の絵や彫り物は、今までに何度も見た事があるのですが、しかしそれはその人が考えた竜の姿で、本物の竜ではありません。
「他人が作った物の真似事では、それに魂が宿る事はない」
そこで甚五郎は成相寺の本堂にこもり、仏さまに熱心にお祈りをしました。
「仏さまのお導きにより、竜の彫り物を彫る事になりましたが、わたしは竜を見た事がありません。
名人と言われていますが、いくらわたしでも見た事もない物を彫る事は出来ません。
お願いです。どうぞ、竜の姿を拝ませて下さい」
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そして数日後、甚五郎の夢枕に仏さまが現われて、こう言ったのです。
「甚五郎よ。
そなたの願いを叶えてやろう。
この寺の北の方角に深い渕(ふち)がある。
その渕で祈れば、きっと竜が現れるはずじゃ」
「はっ、ありがとうございました!」
さっそく甚五郎は案内人の男と二人で、世屋川(せやがわ)にそって北の方へ進んで行きました。
しかし奥へ進むにつれて人の歩ける道はなくなり、とうとう案内人は怖がって帰ってしまい、甚五郎は一人ぼっちで奥へと進んだのです。
険しい道でしたが、竜を見たいという甚五郎の心には、恐さも疲れも感じませんでした。
そしてついに甚五郎は、竜が現れるという、大きな渕にたどり着く事が出来たのです。
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甚五郎は岩の上に正座をすると、そのまま三日三晩、一心に祈り続けました。
(この渕に住む竜よ。一目でよい、一目でよいから、その姿を見せてくれ)
すると、どうでしょう。
急にあたりが暗くなったかと思うと、大粒の雨がバラバラと降り始め、渕の奥から大きな竜が姿を現わしたではありませんか。
竜は口からまっ赤な火を吐きながら、今にも甚五郎に襲いかかろうとしました。
しかし、甚五郎は逃げません。
その竜の姿をまぶたに焼き付けようと、まばたきもせずにその竜を見つめました。
そして竜は真っ直ぐ甚五郎に向かって来て、身動き一つしない甚五郎にぶつかる直前に、すーっと消えました。
その途端に、甚五郎の全身にあふれんばかりの力がみなぎりました。
まるで竜の霊力が、甚五郎の体に宿ったかのようです。
「おおっ! 竜を見た! わたしは竜を見たぞー!」
甚五郎は雄叫びを上げると急いで成相寺に戻り、それから何日も休む事なく、一心に竜を彫り続けました。
そしてやっと彫りあがった竜が成相寺にかかげられ、雨乞いの祈りが行われたのです。
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すると不思議な事に、今まで晴れていた空が急に曇ると、ザーザーと大雨が降り始めたのです。
「雨だ。雨が降ってきたぞー!」
「竜のおかげだ! 甚五郎さまのおかげだー!」
村人たちは大喜びです。
そして今にも枯れそうだった稲も、みるみるうちに元気になりました。
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この事があってから、甚五郎が竜に出会った渕は『竜ヶ渕(りゅうがふち)』と呼ばれる様になり、甚五郎が彫った竜は今も成相寺に大切に残されているそうです。

 

 

 

 

十月に入った内山ブナ林。

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「冬に向かい日照時間が減少すること、日平均気温ではなく日最低気温の低下、空気中の湿度、それらの継続日数など、種々の条件が関係して」紅葉が始まる、気温の目安は八度ということですので、紅葉の楽しみはもうしばらく先にとっておいて、今は、色とりどりのキノコが森の楽しみ。

白いキノコ(シロオニタケ!)

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(※外観が類似した種類が数多く、しばしば互いに混同されている。シロオニタケモドキ(Amanita hongoi Bas)はつばがより堅くて厚く、脱落しにくいことや、胞子がシロオニタケのそれよりも僅かに大きいことで区別されている。ササクレシロオニタケ(Amanita cokeri (Gilb. & Kühn.) Gilb. f roseotincta Nagasawa & Hongo)は柄の基部が徳利状に太くならず、つばより下には、さかむけ状のささくれを生じ、子実体は成熟すると次第に淡い鮭肉色~ピンク色を帯びてくる。またタマシロオニタケは全体に小さく、柄の基部は徳利状に太まらず、カブラ状に丸く膨れることで異なっている。オニゴロシオニタケシロトックリシロイボタケ)

紅いキノコ(ドクべニタケ!)

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(※ひだは白色。は白色でとても辛く無臭。硫酸鉄(II)水溶液と反応しピンク色に変色する。は白色。有毒。毒成分はムスカリン類、溶血性タンパク。)

茶色キノコ(?!)

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台風後に入ると風で落とそれた木の実も楽しい。

ナナカマド。

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アズキナシ

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これは珍しい!

 

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オオウラジロじゃないですか!

母樹はこれ。

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高山山塊で確認出来ている木は二本だけ。「冷温帯落葉樹林の構成種と思われる。府内でも産地、遺存的に残っているが個体数ともに少ない。」と京都府指定の準絶滅危惧種。

また、内山の里跡には、ミカエリソウ。

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ただし、これは植栽されたもの。人が去った水源の里に眠る里神様の鎮めに植えたというその気持ちは共有出来ます。

(※口丹波の山地、特に右京区京北や南丹市美山町などでは、山の斜面を覆い尽くすほど自生している場所も多く見られ、ポピュラーな秋の花の1つです。また日陰で少し湿り気のある場所なら低山の山麓から、標高924㍍の愛宕山の山頂付近まで自生しています。)

この稲木、つっかい棒は栗の木、風雪に磨かれた鋼のように、数々の大型台風と戦って稲を守ってきた里山の猛者。

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京都丹後は今台風24号の暴風域に。

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瞬間28.7mの風を記録したとニュース速報。

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そのニュースも、この暴風の野に立ち、稲を守ってうんと踏ん張っている様子を報道すればいいのにと思ったりします!

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最強台風の最悪の暴風を想定し、経験を踏まえ人知を尽くして備えること、その大事さをこれほど具体的に語るものはないじゃないですか。

それにしても、25号が発生し、24号の後を追う形勢だというじゃありませんか。

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台風の二重連というのは気持ちいいものではありません。

海の碧、空の青と雲の白、山の翠と赤い花、、、、

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十数本で景観の主役になっている彼岸花!

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何万本もの花が咲いていて、大勢が立ち寄る花の名所というのは作るもの。それはそれですてきでしょうけれど、花のポイントというのも作るもの、ポイントになりそうな場所を見つけ、お天気に恵まれ、ああかもこうかもと探って、ここっと決めたときの喜びはまた格別、

ここは、宮津市日置、まるたんそば屋さん前。

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今年の彼岸花シーズンは終わりましたけどここは見所ですから、、今だけここだけ私だけのポイント、来年のためにマークしておいてくださるといいかと思います。

28日、世屋高原は、ススキ日和!でした。

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収穫の多忙さの中で、来る冬への緊張を醸し出しながら深まる世屋の秋のシンボルプラントはススキでしょう!

「誰ぞ来よ 来よとて さわぐ芒哉」と一茶さんが詠んだ気持ちもなんだかわかるようです。

そこで、ススキにまつわるもろもろ噺。

①ススキと俳句

しんしんと青みゆく空花すすき  浜田はるみ

花芒遠くがひかりみないそがし 巽 巨詠子

思ひ出を運ぶ雲あり花すすき    青野れい子

IMG_2195.jpgすすきひより

②一茶とススキ俳句

豊年を 招き出したる 芒哉

穂芒や おれが白髪も ともそよぎ

誰ぞ来よ 来よとて さわぐ芒哉

散る芒寒くなるのが目に見ゆる

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与謝蕪村とススキ俳句

狐火の 燃えつくばかり 枯尾花

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上は、松尾の一本桜。その良さは、春ばかりではありませんよ。

④ススキと習俗・遊び

■月見に供えたススキを軒に吊るすと、向こう一年元気で過ごせる
という言い伝えもありますね。

■12月24日には、小豆飯を炊き、三尺もある茅の長短の箸を供えた。この箸を田植えや草取りの時に腰にさすと、腰が痛まないといわれた。

■枯れたススキの先を三角形に折り曲げ、それに蜘蛛の巣を張り付け、セミやトンボ取りに使ったりして

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⑤ススキと民話伝承

安産・子育に霊験あらたかとされる東京豊島区雑司ケ谷鬼子母神に伝えられるお話です

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「すすきみみずく」は江戸時代から「麦藁細工の角兵衛獅子」とともに、雑司が谷に伝わる子供の玩具ですが、心やすらぐ民話伝承があります。
『雑司が谷に「くめ」という親孝行な娘が住んでいましたが、家が貧しく、おかぁさんが働き過ぎがもとで病気になってしまいます。薬も買うことのできない「くめ」は、優しいおかぁさんの病気が早く治るようにと、百度参りを始め、毎日毎日鬼子母神の御堂へと通ったのでした。
60日、95日…そして満願の日…「くめ」はついに疲れ果て、倒れ込んで眠ってしまいました。すると鬼子母神の化身の美しい蝶があらわれ、「お前の気持ちはよくわかりました。この辺りはススキの多い処、そのススキでミミズクを作り御堂の前で売りなさい」と告げました。
くめがはっと目が覚めるとミミズクが木の上で鳴いていました。家に帰ったくめは必死にすすきミミズクを作り、鬼子母神の御堂の前で売ると…なんとすすきミミズクは飛ぶように売れ、おかぁさんに薬が買えるようになり、おいしいものも食べさせてあげることができるようになりました。おかぁさんの病気もみるみるうちによくなり、幸せに暮らせるようになりました。』

www.travel.co.jp

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60日、95日…そして満願の日…「くめ」はついに疲れ果て、倒れ込んで眠ってしまいました。すると鬼子母神の化身の美しい蝶があらわれ、「お前の気持ちはよくわかりました。この辺りはススキの多い処、そのススキでミミズクを作り御堂の前で売りなさい」と告げました。くめがはっと目が覚めると、、、、量が質に転換する瞬間というのでしょうか、いいお話です、、、

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