宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

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世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

 

松尾の一本桜4月7日

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満開なのに雨はあいにく。

ちょっとはやいはやいと寒気が止めに来て、霰をまいたのですが、時遅し、というのか、

有名な一本桜を寒冷前線も見にいらっしゃってとでもいいましょうか。

まるで、「薄墨」サクラです。

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上世屋の千代子サクラも、今日は寒い寒い。

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さて、どちらも高齢樹。精の衰えは止むを得ないところ、いつまでもじいちゃんばあちゃんの桜に頼ることはできません。

そんなことで学校跡に植えた後継樹に花がつきました。

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嵐よ、若木を鍛えよ、です。

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ところで、花に嵐のたとえありとか、花の命は短くて、とか哀調をもって歌われますけれど、花の方にしてみれば、ちょっとちがうかな!と言うかもしれません。花を咲かすのは、受粉のため。花を散らすのは受粉が済んだから。受粉が済まないうちは、嵐だろうと何だろうと強力な接着剤でつけてでもいるかのように花びらを散らすことはないのがサクラなのです。

 

 

 

 

 

「人間が自然と闘ったり、自然からいろんなものをもらったりして暮らしているうちに、うまいことできあがってきた景色なんですよ」と、『おもいでぽろぽろ』で。

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そう登場人物に語らせた高畑さんが亡くなりました。

「日本の映像文化の世界でもっとも大切なひとり、いなくてはならない人を失った」(4/8赤旗潮流)と山田洋次監督。

上世屋や伊根が含まれている日本の里の100選はその山田監督が中心に選ばれたもの。

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今日は、岩滝の子どもたちが棚田跡にジャガイモを植えにやってきてくれました。※4/6

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棚田跡というもののほとんど崖のようなところに刻んだまさに「棚」。

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ここにメークインを植えました。

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ところで、自然とたたかうという場合のたたかうは「闘」を当てて、「戦」は使いません。

確認してみると、

「戦」・・・「勝敗をはっきりさせるに、争う場合。」(例:トーナメントを戦う)

「闘」・・・「相手の力につぶされないように立ち向かう。」(例:病気と闘う)

とありました。

たしかに、しぜんとのたたかいといっても、それは勝った負けたの問題ではないですね

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「時代に押しつぶされそうになりながらがんばっている里山」

この里山景観も、「闘う」ことなくして保てません。

僕も応援するんだ!

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わたしたちも、と宮津高校フィールド探究部の若者も春休み二回目のフィールドワーク(4/8)IMG_3310

彼らはお昼も自前。

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まずはご飯を炊いておむすびにして、味噌汁の具はアサツキとオオイタドリを野に求めて、その酸っぱみのあるオオイタドリは酢味噌和え。さらにスィーツは、対馬シェフの世屋フキのコンポート二年熟成もの。

情けは人の為ならず、己が為なり。

念ずれば花開く!

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その作業を、スイセンが見守っていました。

丹後縦貫林道で、時ならぬ除雪車、

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五十河から成相寺奥を通ってきた、これからスイス村へいくということです。

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つまり、水戸谷峠入り口から、世屋高原、スイス村、碇高原をへて宇川まで、五線全通、林道にも春というわけです。

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さて、暖春、ということばがあるのかどうか、ともかくみんな早い、

ブナも。

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せやの一本こぶしも満開。

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松尾の一本桜まで、五分咲き。

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満開は例年15日くらいなのに、今年はもう今日明日には満開になってしまう勢いですよ。

「丹後縦貫里山スーパー林道」春の通り抜け!どうですか。

リニューアルして全通した丹後縦貫林道に新たな春!

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里と里、人と人、夢と夢、昨日と明日を結ぶ里山最強林道です。

沿線の暮らしと自然のガイドブックも完成!

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A4 ・96ページ仕立てです。

海山一体で丹後、地質から生き物から」「ガラシャ新説」から村作りまで、幅広い中身で、地元高等学校の気鋭の先生方が執筆してくださって、もはやパンフレットの域を超えた「丹後教科書」。

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この林道、花飾りして皆さんを待っていますよ。

四月一日の状況。

イヌブナ

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ヤマザクラ

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くろもじ

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ダンコウバイ

 

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そしてタムシバ

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ただし、現在は成相線はテレビ塔付近から残雪、上世屋まではいけません。

 

 

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でもこれもいいじゃないですか、今雪が見たいといっても、ここでしか見られないのですから。

 

 

サクラ開花情報をがニュースで流され始めると、松尾の桜は咲いたかと観光協会に問い合わせがあるというのです。

しかも、ひっきりなしに。

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日本人をほろりとさせる言葉ベストツーをというなら、「一」と「サクラ」が入るのではないでしょうか。

その「一本桜」と若狭湾のパノラマ景観の組み合わせは最強です。

ので、ひっきりなしに、というのもわからなくもないのです。

さて、そこで2018・三月三十一日の状況。

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つぼみほころぶ!でしょうか、

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「サクラ全線が新潟県くらいに北上したころ」を目安にされたらいいと思いますよ、標高400mぐらいなので。ただ、今年は早く咲きそう、四月十日隙過ぎたらチェックされるたらいいんではないでしょうか」とお伝えしています。

ただ、心配なのは、つぼみの数の少なさ。ソメイヨシノの雲のような花姿が今年はどうかしら、、、というところです。

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さてその② この一本桜は、かなり高齢樹。あちこち痛んでいるところもあります。その辺が木の勢いに反映するのかもしれません。

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こういうところに新設される森林税活用などで手当てしてあげればいいんですけれど。さらに、寿命は寿命、次世代樹を準備しておいてやることも必要だと思いますよ。雲のような花姿もいいのですが、サクラとしては短命なソメイヨシノでなく人の基準でない時空を超える時間に耐える樹種を考えることも必要かなとも思います。

 

花雪崩!

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日置のハクモクレンです。
モクレンと言えば木蓮、と思っていましたが、実はいろいろ。

エクスペディアでは、「モクレン(木蓮、木蘭、Magnolia quinquepeta もしくは Magnolia liliiflora、中国では紫玉兰と表記するが木兰、辛夷、木笔、望春、女郎花とも呼ばれる)昔は「木蘭(もくらん)」と呼ばれていたこともあるが、これは花がランに似ていることに由来する。今日では、ランよりもハスの花に似ているとして「木蓮(もくれん)」と呼ばれるようになった。」ということ。

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樹齢を耕運機を回す方に尋ねると、わしが子供のころから、この大きさだった、と。

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いつごろ、どなたが、という来歴もわからないほどのこの木、ひょっとすると、西暦1500年位にあったのかも。としたら、 ①日置は水土野など世屋野間への入り口の里。細川ガラシャも眺めた花だったかもしれません。

としたら、②日置平野の「望春」花は、ガラシャモクレン!

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今年の開花は早いそうです。

森本トンネル付近の早咲きサクラが満開で、自動車道利用で来丹されるゲストを迎えています。

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さて、サクラ語源として有力なのは3つということ、

「第1の説
古事記や日本書紀に登場する神話の美しい娘「木花開耶姫(このはなさくやびめ)」の「さくや」が「桜」に転化したものだという説です。「木花開耶姫」は霞に乗って富士山の上空へ飛び、そこから花の種を蒔いたと言われています。そして、富士山そのものをご神体とした富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)は、全国で千以上に及ぶ浅間神社の総本社で、木花開耶姫を祭神としています。
第2の説
さくらの「さ」は「サ神様」(主に田の神様)の意味で、「くら」は神様の居場所「御座」(みくら)を意味するという説です。田の神が桜の花びらに宿り、田に下りて稲作を守護するというのです。稲作りの始まりと桜の咲く時期が同じころなので、満開に咲く花の下で豊作を願ったのだと言われています。
第3の説
「咲く」に、「達」という意味の接尾語「ら」が加わったというものです。群れて咲く桜は古来より、咲く花の代表であったことをあらわしていると言われています。
※「桜」の語源www.yamashin-sangyo.co.jp/cherry_sub/sakura_2.html」

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ふむふむ、、、、。
櫻はまさにサクラを指します。

早春の花はみな「サクラ」のようにも受け取れる気がします。

「くろもじ」も。

IMG_1984くろ文字

あるいはまた、このフクジュソウも。

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無理筋かもしれませんけれど、山から降りていらした田の神様の依り代花という意味では、わたくし的には「ふくじゅそう」がさくらのような気がしています。

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せやの里は今この黄色いが満開、さながらフクジュソウサクラロード!いらっしゃいませんか、小さな里山バスに乗って。ご案内しますよ。

:25日の朝日新聞。

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行政関係者も思案投げ首というほどの少子高齢、地方の衰退ではあるけれど、「かみせや」で起きていることに、出口や手掛かりのヒントはあるのではないか、というように読みました。

「大学で出会う都会の友達にこの風景を紹介したい、将来どこに行くかわからないけど、春が来るたびにここにきます。」、、、、学びのお手伝いができて、ほんとにうれしいです。

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冬眠から覚めたシマヘビくんが、「感動したと伝えてくれ」といっておりました。

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人が作る里山に適応した生き物たちみんな、そうおもっているでしょう。

さて、この記事の基調は陶淵明の詩「歸去來兮」(かへりなん いざ)の思いと重なる部分があるように思いました。

田園將蕪胡不歸  田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる

既自以心爲形役  既に自ら心を以て形の役と爲す

奚惆悵而獨悲    奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ

悟已往之不諫    已往の諫めざるを悟り

知來者之可追    來者の追ふ可きを知る

實迷途其未遠    實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして

覺今是而昨非    覺る 今は是にして 昨は非なるを

大意、、、さあ帰ろう、田園が荒れようとしている、いままで生活のために心を犠牲にしてきたが、もうくよくよと悲しんでいる場合ではない、今までは間違っていたのだ、これからは自分のために未来を生きよう、道に迷ってもそう遠くは離れていない、、、、

歸去來兮       歸去來兮(かへりなんいざ)
請息交以絶遊   交りを息(や)め 以て遊びを絶たんことを請ふ
世與我以相遺   世 我と 以て相ひ遺(わす)れ
復駕言兮焉求   復た駕して 言(ここ)に焉(いづく)にか求めん
悅親戚之情話   親戚の情話を悅び,
樂琴書以消憂   琴書を樂しみ  以て憂ひを消す
農人告余以春及  農人 余に告ぐるに春の及べるを以てし
將有事於西疇   將に西疇に於いて 事有らんとす
或命巾車      或は巾車に命じ
或棹孤舟      或は孤舟に棹さす
既窈窕以尋壑   既に窈窕として 以て壑(たに)を尋ね
亦崎嶇而經丘   亦た崎嶇として丘を經(ふ)
木欣欣以向榮   木は欣欣として 以て榮に向かひ
泉涓涓而始流   泉は涓涓として 始めて流る
羨萬物之得時   萬物の 時を得たるを羨み
感吾生之行休   吾が生の 行くゆく休するを感ず

―さあ帰ろう、世間との交際をやめよう、自分と世間とは相容れない、なんで再び官吏の生活に戻ることを考えようか。

―親戚のうわさ話を喜んで聞き、琴書を楽しんで屈託がない、農夫が春の来たことを告げ、西の畑で農作業を始めた、車に乗ったり、船を操ったりして、深々とした谷を訪ねたり、険しい丘に登ったりする、木々は生い茂り。泉はほとばしる、万物が時を得て栄える中、私は自分の人生が終わりに近づいていくのを
感ずるのだ。

四段目は、自然の恵みに対比して人の命のはかないことを、一種の無常観を以て述べる。陶淵明の人生観がよく現れている部分である。

已矣乎        已矣乎(やんぬるかな)
寓形宇内復幾時  形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
曷不委心任去留  曷ぞ心を委ねて去留を任せざる
胡爲遑遑欲何之  胡爲れぞ遑遑として 何にか之かんと欲す
富貴非吾願     富貴は吾が願ひに非ず
帝鄕不可期     帝鄕は期す可からず
懷良辰以孤往    良辰を懷ひて 以て孤り往き,
或植杖而耘子    或は杖を植(た)てて耘子す
登東皋以舒嘯    東皋に登り 以て舒(おもむろ)に嘯き
臨淸流而賦詩    淸流に臨みて 詩を賦す
聊乘化以歸盡    聊(ねが)はくは化に乘じて 以て盡くるに歸し
樂夫天命復奚疑  夫の天命を樂しめば 復た奚をか 疑はん

―致し方のないことだ、人間はいつまでも生きていられるわけではない、どうして心を成り行きに任せないのだ、また何故あたふたとして、どこへ行こうというのだ、

―富貴は自分の望むところではない、かといって仙人になれるわけでもない、よい日を選んで散歩し、杖をたてて草刈りをしたり、土を盛ったりする、

―また東の丘に登っては静かにうそぶき、清流に臨んでは詩を賦す、願わくはこのまま自然の変化に乗じて死んでいきたい、天命を甘受して楽しむのであれば、何のためらいがあろうものか

田園まさにあれなんとす 帰りなんいざ ああなんぞかえらざる

、、、、、、、、、、、、

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現実のも壁はあります。けれども帰郷志向の潜在的な層はかなりあるのではないかと思っています。

そこに橋をどう架けてあげるか、道を付けてあげるか、そこが試案のしどころだぞ、さあどうする!とシマヘビも。

しかし、大胆に着想し、深く議論し、着実に実践する、それができるのも人間です。次の知事選びに、そこのところが反映されることを期待します。

左・黄河、右・清河!

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丹後半島は宿命をもった半島です。

木と森と堆積岩の隆起した柔らかい土と雨と雪と風と地震と、、その結果の崖崩れや地滑り、、、。

左、黄河の上流で崩れたのは、観音堂渓谷の地滑り崖。

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森のコウモリの住処だった石炭試掘洞窟やエンレイソウの生育地も崩れてしまいました。

けれども観音堂直撃や銚子の滝崩落をまぬかれたのは、お観音様のおちからです。

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いたわり、願い、気をつけ、、、そうしながら暮らし、作ってきた景観だからこそ、値打があり、愛おしくなるのでしょう。

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全力を挙げて普及工事がなされていますが、お観音さん参りにはしばらく不便をおかけしなければなりません。

 

咲かなくちゃならん

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寒くても、 お彼岸なんだから、、、

畑や田んぼの段取りの目安にしてもらっているのだから、、、

秋のリンドウまでの花々のリレー、春の第二走者

、、、初桜にはそんな初々しい健気さを感じます。

第三走者は、タムシバでしょうか、そうしているうちに百花繚乱の春。

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ところでこの桜、おそらく、「小彼岸」。

「コヒガンはエドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられている。 花期が早く、春の彼岸ごろには花が咲き始める。花は五枚一重で薄い紅色の花を咲かす。ただし、色はソメイヨシノよりも濃い。春の早くに咲くため、葉よりも先に花をつける。萼は細長いが、根元が少し膨れている。また、毛が多い。これらの特徴は母種の特徴を継いでいると考えられる。なお、萼はエドヒガンよりも細長い。 樹木としてはあまり大きく育たず、5m程度である。枝を沢山張り巡らせる性質がある。」(さくら図鑑roku-go.my.coocan.jp/hanamain/jumoku/sakura)

そのマメザクラも道端の林に。

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これは、キンキマメザクラ。 さて、サクラを漢字で書きなさい!と言われて、「偽客」と答える人がいらっしゃったらなかなか面白い人です。〇です。すごく美しいのにただで楽しめるし『パッと咲いてサッと散る』桜を、客の中に紛れ込み、歌舞伎や芝居の特定の場面を盛り上げ、いい雰囲気を作り出したりする役をする者に例えたのですって。

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