宮津エコツアー · yasuda

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橋立にはどうやっていくの?

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小式部内侍さん、ようするにいらっしゃったことがないのです、 なので、「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」しかし、自動車道がついたことですから、飛躍的に近くなりました、ことしは、丹後あげて、小式部内侍さんをご招待して橋立見物などしていただくようにしませんか、というのは、ガラシャさんで大河ドラマねらいということです。率直に、丹後イメージアップにつながる要素は上から下から後ろから前からとひっくり返してみていましてもどうもピンとこない、しいて生き筋を読むなら、彼女を護衛したという弓の木城ただ一人の生き残り稲富さんのバイタリティーと鉄砲の技術を中心にして絡ませることかなとおもいますが、事ほどさように意見がある。 それより、「小式部内侍さん」を、丹後あげて天橋立に招こう、、これはまとまりませんか、題して「小式部内侍さんに天橋立を」プロジェクト。 IMG_1692

伊根や世屋にもきてもらい、お泊まりはととやの握り体験※毎日新聞

旅のコーディネートはおまかせください、

例えば、往路 まずは、京都駅嵯峨野線ホーム集合 京都丹後鉄道「丹後の海」号乗車(見送り府、市自治体首長議会代表観光連盟幹部各様など) あまのはしだて駅着(歓迎丹後自治体首長議会代表観光連盟幹部各様など) まず飛龍観、

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ちえの餅で休憩、 「和泉式部の歌塚」。 いつしかと待ちける人に一声も 聞せる鶏のうき別れかな 磯清水(濃松の内橋立明神の御手洗をいふ)。 橋立の松の下なる磯清水 都なりせは君も汲見ん など、お母様のこ゛足跡を偲んでいただいて、文珠付近の著名料亭旅館ホテルさまにてお昼。

船で一宮 籠神社から傘松成相寺、

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ここに車をよんでおいて大観望へ、

天橋立大観望

郷土資料館・府中丹後国府跡に立ち寄り。 さらに、伊根町井室の振宗寺さんへ。

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「ことわりやいかでか鹿の鳴かざらん今肖ばかりの命と思へば」 さらにうらしま神社 そして、経が岬経由ととや泊、

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網揚げ、刺身握り、おひるは小町の里公園で「平安御膳か平安鍋」。そのあと、歌会。 エスコートしてくださるかたもいらっしゃいます。 小式部内侍さん、どんな歌をうたってくださるか、想像するだけで、わくわくしますよ。

お帰りは、与謝インターから自動車道利用。

定員20名 様

協力・協賛 H酒造様 m新聞様 K鉄道様 T交通様 トラベルTさまなどなど

後援 ◇府 ■市 ▲町 などなど

ほんの一例ですけど、、 、、、、、、、。

以上、(遠き道/宮津ハクレイ酒造)を 呑みながらおもったこと、いい酒はいいアイデアを産んでくれるものです!

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あれれれ、世屋の里山うおーく、どうしましょう(^.^)

森といっていいほどトチノキの生育密度の高いエリアが縦貫林道にはあります。

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地滑り崖を背景に崩落土砂の堆積した地形、トチのために作られた地質と言っていいのでしょう。
滋賀県では、幹回り980センチ樹齢500年以上と推定される巨木が見つかったとか。
それには及ばなくても、一本一本に巨樹の風情が漂っていて、なかなかの見ものです。

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豊作の年にはたくさん道路にも落ちていて、拾うことが出来ます。

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「トチ餅で食べるということは、世屋ではしませんでしたなぁ」。藤布をつたえた里にトチ食の技術は伝承されていません。実は保存がて゛き、餅は軟らかさをながく保っているという栃の実を活用しないというのは、すこし意外です、食べなかったとは断言できません、巨木があること自体、飢饉凶作に備えとして手を付けてはならないという暗黙の言い伝えからなのでしょう、、しかしトチを食するまでにかかるたいそうな手間や薪炭林には栗の木がたくさんあることを思えば、いつ頃かは不明ですが、食生活の素材、飢饉への備蓄としては外されたのだろうと推測しています。

食べるのには手こずるトチですが、命の木でもあったといいます。苦みの成分はサポニンやアロイン、その他抗菌性をもつ物質を含むと言うことですので、たとえば、種を乾かした粉末は胃病に、腫物やしもやけにはに米飯と混ぜて貼り付け、また馬牛の眼病には種の液汁が効いた、あるいは、春先の赤い若芽のねばねばした液は寄生性皮膚病(タムシなど)に、もんだ生の葉も切り傷や虫刺されになどなど、民間薬として広範囲につかわれていたということです。

さて、このように広範囲な有用樹を「tOCH・Iトチ」と呼んでいたのはいったいだれたちなのか、それについては、朝鮮語源ともいいますが、アイヌのひとたちか゛、果実を「トチ」とよびなしているということなので、これはもうアイヌ語源言。

 

だれが

古代、大陸から倭の国への渡来ルートの一つ若狭湾を一望する仙台の丘、、

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さて、一言で『渡来」といっても平和裡の渡来もあれば戦乱を伴うものなど事情はさまざま、その渡来には時期的に四波があって、四波めには、新羅に攻められ国家崩壊した百済から20万人が新天地を求めて海を越えてきたという上田正昭氏の説を、北風さんが『丹後謎学紀行』て゛紹介されていたなあ、そういう人たちも加わって丹後や大和の国が作られてきたわけだ、などとおもい、手前が日置、先端に筒川の村、画面に納まっている山海が「日置の里」、、、 『丹後の国の風土記に曰はく、與謝の郡、日置の里。此の里に筒川の村あり。』と「丹後国風土記逸文」にあったなぁと思いだしながら、 ファインダーを覗きピントを探っていると、しゃらーんと画面が揺らいで、よぎる人影。

IMG_15720若狭湾
あなたはだれ、と尋ねると
「我は日下部首等が先祖、名を筒川の嶼子ともうすなり」
え、、
あなたが、筒川の嶼子!
お召しになっているのは
「藤の布じゃが、それがどうした」
どうしたもこうしたも、、
といおうとしたら、しゃらーんと画面がゆらいで、、、

IMG_1565いね

(↑ 伊根湾)

歴史のおかに立つと歳のはじめから、不思議なことがおきるものです。

 

三寸アヤメが咲きましたよ、

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「あかんかもしれんなぁ(´・ω・`)」

なに弱気になってんですか?
「 見てくれ!」
、、、、、
■気温経過の確率(%)
[確率]     低:並:高
–近畿地方–
1週目      10:10:80
2週目      20:40:40
3~4週目    20:40:40
–降雪量–
[確率]     低:並:高
近畿日本海側  50:40:10
、、、、、、、、、、、、
なんですか、これ
「2015年12月31日発表の1月の長期天気予報(Yahoo!)だよ」
、、、、
<予想される向こう1か月の天候>
向こう1か月の出現の可能性が最も大きい天候と、特徴のある気温、降水量等の確率は以下のとおりです。
期間のはじめは、気温がかなり高くなる見込みです。
近畿日本海側では、平年に比べ曇りや雪または雨の日が少ないでしょう。
向こう1か月の平均気温は、高い確率60%です。
向こう1か月の降水量は、近畿日本海側で平年並または少ない確率ともに40%、
向こう1か月の日照時間は、近畿日本海側で平年並または多い確率ともに40%。
向こう1か月の近畿日本海側の降雪量は、少ない確率50%です。
週別の気温は、1週目は、高い確率80%です。
週別の気温は、2週目は、平年並または高い確率ともに40%です。
週別の気温は、3~4週目は、平年並または高い確率ともに40%です。
、、、、、

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(↑ 平成28年1月1日(金)の若狭湾)

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(↑ 同上 宮津湾)

15年12月の平均気温舞鶴で7.9度とのこと。 この気温 12月の30年平均が6.1度と比べると相当高い。
2006年12月も高くて6.8度 翌年1月は5度、降雪日3日間という温暖少雪の記録がありますが、今年の1月もそのパターンになりそうな気配が濃厚。

菜の花!

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( ↑ 1/3 森本)

ええじゃん、雨はふらん雪も少ない、明るい、温かい、、暖房費節約、洗濯物乾く、お母ちゃん喜ぶしええことずくめ、それがどうかしました?
「1月30日スノーシュー岳山トレッキングを予定している!」

ということです。去年からイベントの天気を外することはなかったのですが、この山か゛白くならないことには、、、(´・ω・`)、、、、

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お正月様、なんとかしてくださいよ!

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「いやいや、わたしはサンタクロースみたいに橇にのってくるわけでもないから、」

1月1日現在の丹後半島縦貫林道の積雪状況。

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京都の岩手県といわれた実力の片鱗はみせてくれています。

期待して今日から『雪乞い」です。

おめでとうございます。
昨夜来の雷は収まって、野山には溢れる新年の光りと新年を言祝ぐ命たちの声。
丹後には珍しく明るい温暖な年明けです。

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これ、何両?
一両ノー十両いえ百両いえいえ千両ノーノー「万両=マンリョウ」似たような実を付けるもののなかでも、もっとも豪華として「マンリョウ」。その万両が年の初めから輝きをはなっているのだから、これはありがたさいやます年明けです。
さてさっそくコンビニへ、目当ては毎日新聞。
「観光って何だろう。温泉に入ってカニを食べること? それも楽しみだが、その語源は、各地の光を観るという意味。日常から離れ、知らない世界に浸るために、人は旅をする。風光明媚な世界遺産もいいけど、隣町の漁村・山村には、あなたの器を大きくしてくれる発見が隠れている。毎日新聞は今年、府北部を舞台に新たな観光ジャンルを創り出すべくトライします。「海の京都の暮らし観光」。驚きの世界が、ここにある。日本の源流を探す旅へと誘います。」と安部記者。

たとえば、「「漁師は魚の命をもらって生きている。海に感謝する気持ちを失ったら、そこで終わりだ」と話す(にしぐちさん)。8キロを超える大物が捕れることがある。おなかに大量の卵を抱える雌だ。そんな時にはタイを抱え、網の外に、そっと帰すという。「くれぐれも、乙姫さんによろしくな」といいなか゛ら。」

最高じゃないですか。自然に暮らしをゆだねる達人たちは野でも山でも海でも一様におなじことをおっしゃいます。

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山は世屋高原と海は伊根、それぞれの山幸彦海幸彦が登場する予定もあるとか。このライン、実は「伊根」の「伊」、「せや」は「勢屋」で、合わせて丹後の「伊・勢」ライン。強力な源流回路なんですよ。

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海の京都をブームに終わらせてはならない、生産地(者)と消費地(者)とをいかに幸せな形で結ぶか、を問う企画、

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これぞ『エコツーリズム』、安倍カラー爆発のお奨め企画ですよ。

穏やかな年の暮れ

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けれど向かうべき新年に厚い壁、「ドイツでは今年、ヨーロッパで最も多い80万人の難民や移民が流入すると予測され、、、、」紛争問題です。
その対策には1兆3,000億円余りがかかるとか。NHK2015年10月16日(金)
(ヨーロッパ難民 ドイツの現状は)。異常気象を頻発させて進行する温暖化、世界の気温上昇を2度未満に抑えなければならない、(コップ21パリ協定)

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あるいは、身近なとことでは里山を脅かす獣害。325万頭のニホンジカ、88万頭のイノシシ(推定11年現在)駆除、とはいうものの彼らは2023年度には半数にするという目標の対象になっていることを受け入れているのでしょうか。

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戦争も異常気象も里山のピンチも、いずれも、原因は人間が作っていることなのですから、解決する糸口もあるはずなのです、
1兆3,000億円を難民対策につかうより、砲弾をチョコレートに変えるためにつかえと叫ぶことも 温暖化をくいとめるためのたとえば3R運動※を推進することも、そして放棄地の草を刈ることも、、その糸口なのでしょう。

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来る年、そのためにものを言い、行動する「挑戦挑戦、挑戦」そんな年にしたいものです。

よいお年をお迎えください。
宮津世屋エコツーリズムガイドの会

※3R運動

「リデュース」 : ごみを出来るだけ出さない生活

ひとつめのRは「リデュース」。まずは、出来るだけごみを出さない生活を心がけることです。生活クラブでは、お届けする品物の容器や包材にまでオリジナルの基準を設けて、ごみとならないよう心がけています。

「リユース」 : 同じものを大切にくり返し使う生活

ふたつめRは「リユース」。同じものをくり返し大切に使う生活です。生活クラブでは、くり返してつかえる「リターナブルびん」が多く使用されています。また、ペットボトルは一切使用していません。

「リサイクル」 : リデュースやリユースができないものもリサイクルで有効活用

3つめのRが「リサイクル」。これは「リデュース」や「リユース」がゴミを出来るだけ出さないための活動だとしたら、「リサイクル」は、出てしまうゴミは出来るだけリサイクルなどで有効活用しようという考え方です。

京丹後市広報 一月号別冊特集

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京大阪名古屋東京のお店で、特に丹後産の米野菜魚介類などをごひいきにしてくださっているお店の紹介なんです、

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古代国家は国を律令で67に分けました。丹後といってもその一つで、回りには風土も言葉も異なる66の国の人たち。

「丹後じゃといゃあ名も懐かしや わしも丹後じゃ連れになる、、、」、

同郷と言うだけで親しみを感じ心強くなれるという心情を見事にあらわしているじゃないですか。

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この雲の下に海があり、その海岸には荒波が砕け、この雲は夜にはブリおこしと呼ぶ雷雲になる、

そんなふる里たんごに帰省バスが到着、

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きっとこの冊子は、茶の間で話題になることでしょう

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願わくば、この優れもの、京の字も丹後なら伊の字も丹後、与の字も丹後、宮の字も丹後、ですから「連合丹後」で作ってもらえると内容が充実しふる里と都会とのパイプが太くなることとおもいました。

暖冬で、雪の下のはずの枯れ草、色も形もさまざまな様子を見るのは楽しいものです。

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与謝蕪村さんも一句。
草枯れて 狐の飛脚 通りけり
蕪村さんも、冬野の枯れ草のさまざまさを楽しんでいたのでしょう。

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ところで、この句
株式会社石井建築事務所の増澤信一郎さんはブログで
「枯れ草に一陣の寒風が走り抜けるさまをキツネの飛脚が通ったようだ」と解釈されました。状況はそうなんでしょう、狐の飛脚とは疾風のことなのかと合点しました。

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でも、その状況がなぜ狐の飛脚なのでしょう、走り抜ける一陣の疾風という意味で狐の飛脚を使ったこと、句会に居並んだ皆さんには共有のネタか゛おありのことだったんでしょうが※。
林道で狐に遭遇しました。尾の太いなかなかの狐でした。私の出会った狐は、急ぐ気配はありませんでした。
※しらべますと、故事昔話 に「はち助いなり」というおはなしか゛あるようで、この話をふまえての、 「 草枯れて 狐の飛脚 通りけり」たったかもしれませんね。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

昔話 「はち助いなり」
放送回:0270-B  放送日:1981年01月03日(昭和56年01月03日)
演出:三善和彦  文芸:久貴千賀子  美術:小関俊之  作画:三善和彦
まんが日本昔ばなし 1975年~1994年、TBS系列で放送されたTVアニメ「まんが日本昔ばなし」の全話あらすじデータベース。

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あらすじ
昔、福井県の小浜の殿様が、おしのびで城内を見回っていると、人足(にんそく)が白狐を袋叩きにしている現場に出くわしました。かわいそうに思った殿様は、お城で介抱し山に帰してあげました。
数か月後のある日の事でした。七日以内に江戸まで届けないといけない書状がありましたが、飛脚が病気でたおれてしまいました。代わりの飛脚も見つからず、すっかり困っていた殿様の前に、はち助という男が名乗りでました。
はち助は無事に七日以内に書状を届け、さらに江戸からの返書を持って帰ってきました。普通の飛脚の倍の速さで往復したはち助は、城のおかかえ飛脚となり、頻繁に江戸と小浜を往復するようになりました。とにかく律儀に働くはち助を、殿様は大変かわいがりました。
しばらくして、はち助は再び江戸に向けて出発しましたが、何日たっても帰ってきませんでした。はち助の身を心配した殿様は、ふと以前に「小田原のむく犬には困っています」と言っていたはち助の言葉を思い出し、大急ぎで小田原へ向かいました。そしてある山の途中で、江戸からの返書が入った箱の上で、箱をかばうように死んでいる白ギツネを発見しました。
実は、はち助はあの時に助けた白ギツネの化身で、城に戻る途中にむく犬におそわれ息絶えたのでした。殿様は、はち助の死を悼み、城の中に立派な社(やしろ)を建て、八助稲荷(八助いなり)として祀りました。

おっ、土手雲、、、

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昨夜来から冬型て゛す。

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林道でこれだけだから、寒波はつよいものではないのにこの立派さは、海水温が高いためなのでしょう。

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さて、海上の二つの島、いろいろの名をもちます、その使い分けは関わりの立場によります。
◇雄島・女島    大小の組み合わせでしょうか  漁師さんたちはおしまさん。雄島には老人島明神が祀られる神社があり、6月1日が祭日。この島は対馬暖流が攪拌してプランクトンがわかせて好漁場を作ってくれるし、突然の気象変化の際には避難もできる無くてはならない島です。

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◇竜宮島・鬼門島  鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位、 鬼が出入りする方角、艮神さまという荒ぶる神がこの鬼門島には、封じ込められている、、、このことは鬼門とは反対の、南西(坤、ひつじさる)の方角にある方がおっしゃっていること、
◇そして、沓島 冠島。沓と冠は衣冠束帯で正装した貴人の姿をそこに置いた発想。 この名の命名者は、おそらく、籠神社さん。

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主祭神の彦火明命(ひこほあかりのみこと)さまは、なんでも天照大神(あまてらすおおみかみ)のお孫さんといわれますが、一番最初に天下られた場所、そのため籠神社の奥の宮と位置づけているのがこの島。 彦火明命が天下られる際は衣冠束帯で正装した貴人、えがかれているような聖徳太子のようなお姿だったはずですから、そして、天下る、というのを、史実的な「海人族の渡来」説で理解すれば、渡来の季節は秋から冬。風向きが大陸から日本列島へと吹く季節。

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ちなみに海をアマ、天もアマ、訓が共通するのは限りなく共通する意味をもつからなのだそうです。

初詣のさいには、この島に向かってもお参りいただくと御利益がいっそう期待できるかも。

縦貫林道成相線2015.12.28

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鹿が右から左に横切ったんです、
白いシッポがヒヨドリが飛ぶようでした。一瞬止まって振り返った様は、紛れもなく雄、斜面のササ原を駆け上って消えて行きましたが、もののけのししがみのようでおおお、聖獣!成相観音の伝説の鹿かと思いました。

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感動の余韻が消えてから、まてよ、え、いまごろこの付近に鹿がなんでうろついているのよ?秋には 尾根スジの歩いた跡で、山を越えて行き来している様子はうかがえますが、しかし、積雪とともに、低地へとおりるはず。夏から秋たくさん食べておいて秋妊娠春出産、そして再び低地から高地へと季節移動する
『春は花咲き秋は菓なる。夏はあたたかに、冬はつめたし。時のしからしむるにあらずや」
日蓮聖人さまは、おっしゃっているとか。鹿も春夏秋冬四季にあわせ、地に足を付けて※(要法28.1.1要法寺雀)くらす生き物なのです。
その鹿が!
今冬は暖冬、雪囲いはしない、そんな人間もいるのをみて、今年は暖冬 山を降りないときめているかも。 それはあかん!あかんあかん! どんとくるぞ 人まねはあかん!!

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ちなみに、鹿の生活と積雪深との関係は、研究によると「栃木県日光での調査から,50cm以上積雪日数が30日を越えると積雪による死亡個体が出はじめ,50日を越えると多発する」という報告があります。

積雪50cmが境、全国的な分布調査でもにそういう傾向がみてとれるということです。
※第2回 自然環境保全基礎調査動物分布調査報告書1980
財団法人 日本野生生物研究センター

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