宮津エコツアー · 世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会

世屋・高山ガイド部会の活動ブログ

! チョウ?
いいえ、花びら でした。風が、サクラの花びらに魔法をかけていたのです。
「わたしはチョウなのよ」
名前は?
「さくらシジミ」
花びらは、チョウになって、追いかけあったり、からみ合ったり、飛翔を楽しんでいました。
「散る桜 残る桜も 散る桜」 良寛辞世の句です。
花もよし、鳥の群のように流れる花びらもよし、二度楽しませてくれるのは、桜ぐらいです。春の花の双璧、椿だとそうはいきません。散る花を愛でられることはありません。
サクラの味わいは、ステージとマッチングすれば、さらにふかまります。桜には、女がいます。魔性の女がいます。美しさの相乗効果を計算しロケ地を選ぶ俳優のようにわがままです。
「さくら さくら  野山も里も 見わたす限り  かすみか雲か  朝日ににおう さくら さくら  花ざかり」 。
海の桜、山の桜、私の桜スポットを六ヶ所。写歴30年のキャリアをかけて、大胆に提案してみます、(ほんまかいな!)。
1 宮津長江の公会堂サクラ 2 丹後町宇川中のサクラ※残念ながら、関係者以外立ち入れません。 3 丹後町矢畑の地蔵サクラ 4 伊根町新井岬のサクラ 5 宮津松尾の一本サクラ 6 宮津上世屋の千代子桜
・・・・・・・・・・いいのは、どんなとこ?!そりゃないでしょ、口に出来ないから写真なんですから。貴方の六ヶ所、教えて下さい。

うわー!なんダーこれ!感」 二つのスポット
2012,4,20

死の世界へ通じる窮屈な不安感と蘇りに通じる開放を体験する、そんなとき、うわー!なんダーこれ!とさけぶとしたら、そんな場所が丹後には、二つあります。

一つは、犬が岬トンネルがそれに当たるでしょう。ただし、間人から平方面に走るに限ります。ぶいーん!トンネル特有の音、空間の狭さ、薄暗いオレンジの照明、時間にして十数秒。その窮屈さは死の世界へ通じる不安感を醸し出します。そして、出口、まぶしさに目をしかめて再び開けた時にみえる海、河岸段丘の棚田。その解放感は、蘇り感そのものです。今の時期なら、サクラ、朝なら、太陽が演出してくれます。トンネルは数々あるが、こんな条件のあるトンネルは、犬ヶ岬トンネルの他には「雪国」のトンネルしかない!(としておましょう)

二つ目は、日置から下世屋をへて上世屋へ辿る道。下世屋を過ぎると谷間の道は、くねくねと狭くなって谷も次第に深くなります。この先に人が住む里があろうとは思えない!坂の角度が急になる、戻ろうか、進もうか、時間にして、約5分!えいままよ、もう少し、とアクセルを踏み込んだところに空へ広がる棚田。畔のまろやかな曲線の優しさ。

二つは共通します。トンネルを抜けたところに、坂の道を登り切ったところに待っているのは、過疎の極みの世界です。上世屋の中学生は、40年前、新入生0、宇川の中学校一年生は8人。野球少年もチームをつくるメンバーがそろいません。二年後の統合が決まっています。日本の現代は忘れていくけれども、土にゆだねた暮らしを営々と営なむ人たちが守っている、生き物の時間が息づいている世界です。

生きかわり 死にかわりして うつ田かな 、、、、それは、水の世界です。
世の中、ややこしげな怪しげなパワースポットばやり。しかし、ここは、よほど上等で正真正銘のパワースポット!
まもなく5月の連休。「うわー!なんダーこれ!」体験、してみませんか。
上世屋のサクラは、三分咲き、松尾の一本サクラは、ちらほら咲き、連休まで咲いていますよ。また、欲を言えば、下世屋から左折、村の旧道を進んでみて下さい。水上勉さん描くところの「五番町夕霧楼」の悲劇のヒロイン夕子ゆかりの松源寺、V字谷にかかる龍渓橋をへて新バイパス一人地蔵に合流できます。うわー!感がいっそう高まること請け合います。

お問い合わせは、丹後観光の入り口、宮津市エコツーリズム推進協議会へ!

 

4月19日・
桜前線、せやの里に到着!
2019,4,19

4月19日夜、「積雪0になりましたよ、湯沢や旭川で!」とニュースステーションの天気予報!ついでにコメントしてほしかったですねえ、「上世屋の雪も日陰にはわずかに消え残すものの日のあたるところは消えました。」と。のど元過ぎればなんチャラで、来年まで出会えないと思うと、ご苦労様、また会おうなんて気持になります。冬の神様ご退場、その代わりにご来臨になったのが、春の神様。どこにって、決まってるじゃないですか。さくらに。ちよこさくらに、とうきち桜に、はるじさくらに、へいいちろうざくら(松尾の一本ザクラ)に、がっこうさくらに。三分咲きでしょうか、もうひとつ、ついでに加えてほしいですね。「桜前線・せやの里に到着」と。

その到着を待ちかねたように里には耕耘機、トラクターの音が響き渡っています。一週間は遅い到着ですので、遅れを取り戻すべく農作業も急ピッチです。
折口信夫氏や桜井満氏らは、 古代稲作農民は、この季節に山に咲く花は、田の神の顕現とみていたとします。田の神、稲の神を古名で「サ」といい、神座を「クラ」とよんでいた、田の神様がお座りになり、見守っていてくださっている木という意味で、その花の木を「サクラ」と呼んだのだと。稲の豊作を予兆する神の花、桜に見守られて忙しく田植えの準備が進みます。

さて、そのさくらネタ。
一つ目・ サクラという漢字、古い漢字でかいてください。ええ、そうです、「櫻」、漢字が組み合わさっていますね。木と貝と女。分かりますか、サクラという漢字は、木と貝と女から成っているんですよ、(いいですか、Sさん。サクラには、女がいる!)貝は、昔は貴重な装身具でした。ええ、首飾り。貝が2つあるのは、女性の首を「とりまく」という意味があります。それに木偏をつけて櫻。花が木を取りまいて咲く木と言うわけです。(わたしゃ貝になりたいといっちゃあいけませんよ。)

二つ目、 万葉集にサクラを取り上げた歌の数、42首。
◇ 梅の花、咲きて散りなば、桜花、継(つ)ぎて咲くべく、なりにてあらずや
◇ 桜花 時に過ぎねど見る人の 恋の盛りと 今は散るらむ
◇ あしひきの、山の際(ま)照らす、桜花、この春雨に、散りゆかむかも
◇ この花の一節(ひとよ)のうちに、百種(ももくさ)の、言ぞ隠れる、おほろかにすな
◇ 行(ゆ)き逢(あ)ひの、坂のふもとに、咲きををる、桜の花を、見せむ子もがも
等。
さまざまなシーンをとらえています。「梅の花、咲きて散りなば、桜花、継(つ)ぎて咲くべく、、、」せやでは、梅と桜がちょうどいっしょに咲いていますよ。「恋の盛りと 今は散るらむ」 日置のサクラは、ちょうどこの風情。で私的には、「この花の一節(ひとよ)のうちに、百種(ももくさ)の、言ぞ隠れる」、、、、の気分です。、、、、Mさんはいかがですか?

タンポポレポート
2012,4,18

タンポポに覆われてバターを塗りつけたように見える田圃の畔を見ながら、mさん。
「しろいたんぽぽは、どこにありましたっけ!」
「?!」
あそことあそことあそこ、いずれも京丹後市の地名を答えながら、頭の中では、そういえば、分布が限定的やね。上世屋ではまず見たことがないし、、、そんな疑問に答えかねていました。
17日、日置を直進し、長江、伊根方面に向かいました。大阪の写真クラブの撮影ポイントの見当を、せやの里以外にもつけておく必要があったからです。
折から、沿道のお寺、学校、集会所、およそ公共の場所には桜が満開です、いささか食傷気味に走っていると、呼び止める木がありました。長江の公会堂前の桜です。木そのものがどうどうとしていて、建物と風景と花のそれぞれの関係に緊張感があります。
まず、ここを登録、とアングルをさぐっていると、わたしここここと呼ぶものがあるじゃないですか。しろばなタンポポ。彼女は伊根分校の周りなど伊根の各地にもいました。けっこうたくさん咲いています。そのそばに咲いている西洋タンポポと比べると、大柄。少なくともこのあたりの分布は限定的、しかもそのサイズ、これはもう解決しておかなければなりません。
以下、タンポポレポート
まずしろばなタンポポについて。
①分布
在来種であり、本州関東以西、四国、九州に分布し、西の方ほど多い。地球温暖化の影響により分布域を北へ拡大しているといわれている。

②大きさと生育場所
シロバナタンポポはカンサイタンポポに比べて大型で背丈が高く、葉が立つ傾向があるので、ある程度の草丈の場所でも生育ができる。もちろん荒れ地にも生育する。

次ぎに セイヨウタンポポと日本古来のタンポポの関係
「セイヨウタンポポが日本古来のタンポポを駆逐してしまった」と言うのは正確ではない。在来種は外来種に比べ、開花時期が春の短い期間に限られ、種の数も少ない。また、在来種は概ね茎の高さが外来種に比べ低いため、生育場所がより限定される。一方、セイヨウタンポポは在来種よりも生育可能場所が多く、かつ繁殖力が高いが、その反面で多くの在来種よりも低温に弱く、初春から初夏にかけての寒暖差が激しい条件下では生育できない場合も多い。セイヨウタンポポの個体数が多いために相対的に在来種の割合が減っただけで、在来種も一定の個数で存在している。

さらに、 その雑草魂の秘密
撹乱の頻発する、他の植物が生きていけないような厳しい環境下で生えていることが多い。それは、成長点が地面近くに位置するロゼット型の生育型で、茎が非常に短く葉が水平に広がっている。このため、表面の花や茎を刈っても容易に再び生え始めることができる。根は長く、50センチ以上、最大で1メートル程度まで伸びる個体も珍しくない。

最後に、語源。
日本は蕾の形から鼓を連想し、「タン・ポ・ポ」という擬音語が定着した。一方ヨーロッパでは葉っぱの形にライオンの歯を連想し名前をつけている。

たんぽぽ前線、これからせやを登ってきます。 10日ごろ瀬戸内地方、20日ごろ東海地方、 北陸地方は25日ごろと言うのが、2011年の記録。せやに到達するのは、25日を過ぎるのでしょう。
タンポポネタも準備しておかなくては!(ね、mさん!)

世屋川の河口の里、日置は世屋への入り口です。海抜10m程度。 お寺や民家の庭や畑や学校の木や草が春を迎えています。 大きな樹ではモクレンの白、桜のピンク、すこし小ぶりな杏の白、椿の赤、れんぎょうの黄、畑では菜の花やラッパ水仙の黄、近寄ればほとけのざの紫、たねつけばな、はこべの白。
どっちを向いても、視線の先には、春の花。咲き競う花が里をさまざまに彩っています。
4/11ではまだつぼみの固い千代子桜。

 世屋の里は、この日置から、約8キロ先です。標高約400mを登ります。ここにも春。ただし時計を巻き戻したような世界。桜前線は、ここまではまだ登っていません。今を盛りと咲くのは梅の花。その木の下に、ふくじゅそう。山の里に春を告げているのは、畑の畔のふきのとうやツクシ。土手のワサビやしょうじょうばかま、やまえんごさく、きけまんたちです。

日置の里を「京都の春」とすれば、世屋の里は、「岩手の春」。与謝野晶子の描いた春と石川啄木の描いた春、二つの春を1時間で楽しむ贅沢を、世屋のガイドなら提供できますよ。カメラを持っていらっしゃいませんか、元気が湧いてくること請け合います!
 スーパーにしがき風に宣伝します!
「たのしいよ たのしいよ、利用しなきゃあ損損」
もう一度!
「たのしいよ たのしいよ、利用しなきゃあ損損」

■宮ノ前の棚田で、畔つけ、春起こしをk君たちが始めました。少し乾かしてから、水を張って田植えが゛出来るとろとろ層を作ります。

■近くに畑を借りているY.K夫婦、ジャガイモの植え付けに汗を流していました。
■下世屋では、Tさんが竹のシシ垣作り。丹念に素晴らしいのができています。
■日曜・14日には、2組、上世屋の里にカメラを向けておられる方と話しました。一組は、福知山から、写真サークルに入っているi会員さんの写真をみて自分もと思ってきた、もう一組は、舞鶴から、去年の秋にきた、実りの田圃が素晴らしかったので、春が見たかった、とおっしゃっていました。どちらにも、世屋の里パンフレット、ガイドブックをお渡しししたところ、たいへん喜ばれましたよ。

「いらんちゃあ あんたにあげたんだで。」
てるみさんにふきのとうの売り上げ代金を届けに行ったときのことです。固辞されます。合計400円。受け取ってもらえないのです。

写真クラブの撮影ツアーが見えます、28人です。幹事さんとの事前のやりとりのなかで、世屋マーケット地元産品販売を依頼されていました。女性の方は買われますよ、と。では、何がと考えても、今の時期、野菜ものはありません。どうしても、加工品になります。しようがない、、、と考えていました。

フキノトウ

そんなとき、足下から声が聞こえたのです、
「私を売ってください!」
いっているのは、ふきのとうでした。
「テンプラにしてもらったらおいしいで!」
「ふきみそにしてもらったら絶品!」

「わたしも売って」という声もしました。おとぎ・しろうまあさつきです。「京都の料亭でも通用する美味!って褒められたのよ。たしかなんちゃらげん先生、植物学会のえらいかたっておっしゃってたわ。」

ふきのとうやおとぎがそういってると、Yさん、Tさん、Sさんたちに声をかけてみたのです。反応はありました。ですが、当日、ふきのとうの姿はありませんでした。かたってもらいにくい時期、しかも雨、しょうがないとあきらめていたのです。
 ところが、降りしきる雨の土手に彼女の姿。ひょっとして!と思ったら、ことづけてくださったのです。ただし、こんないなげもんども売れ れへん、ひらいとる、蕾でないとおいしない、 あんたらにあげる、すきにしにゃあと。

 ご意向に背いて売りました!すみません、売れました!
こづかいだあな
「ええし、小遣いどもあるし」
おとっつぁんの飲み代に、
「作ったもん呑みなるで」
固い、ガードが!しかし、受け取ってもらわなくてはなりません。
孫さんも来なろうぎゃあ!
ゆらぎました、ここや ここでせめよう
な おばあちゃんのくれる400円は、お父ちゃんがくれる4,000円より値打ちあるで!
照美さんの表情がくずれました。
「孫がこどもつれてきましてなあ、会ってきたですだで!」
ひまごだにゃあの
「そうだあな、ひいおばあちゃん」
そらめでたい
前掛けのポケットに袋を滑り込ませました。楽しい押し問答でした。

※後日談
道の駅「和」で、ふきのとうバックを買いました。小パック詰め100円。これがおばなめばなと分かるぐらいに、みんなひらいていました。てるみさんに見せてあげます。
「ラベルやパックや輪ゴムなどのセットがあれば準備しやすいですね、」とKさん。

※ おとぎ
世屋でも上世屋中心に一部に限って生育。村田源先生によると白馬浅葱(しろうまあさつき)であろうとされる。本州中部から北海道に分布。特に白馬岳に多く見られる。アサツキの高山種で、アサツキより花弁が長い。上世屋では、弘法様の置きみやげと伝えられています。以前はユリ科やネギ科に分類されていましたが、現在はヒガンバナ科ネギ属の多年草とされます。開花は上世屋では、6/15日の撮影記録があります。高山では、7月から8月頃。

 全国各地で活躍される各種議会議員さんたちのある研修会の記事を読んでいると、おやっと思いました。宮津市会議員・Aさんが参加されていて、皆さんに宮津の課題を紹介されていたのです。興味があって、読んでみました。

・・・・・
「私の出身は日本三景・天橋立がある宮津市であります。」と切り出し、「皆さんは天橋立と聞いて、どういう印象をお持ちでしょうか。」と問いかけられました。全国各地から参加と言うことを意識されたのでしょう、ああ、この切り出し、といかけ、何回やったことでしょう、きいたことでしょう
 1 ところで、あんまのはしたてってなに 
 2 ちゃんと聞きなさい!あまのはしだて 京都の観光地
 3 ああそうなんだ、京都なんだ、清水寺から歩いていける?
こんな反応を想定しての枕詞です。宮津市を特定するのに、日本三景と天橋立、この二つをキーワードにすると有効かとは、もう古すぎる実感はありますが、そんな苦労に親近感を持ちながら、「で、おっしゃりたいことはなに」と待ちました。
 こうおっしゃいました。
・・・・・
一見、煌びやかな有名な観光地という風に思われる方もいらっしゃると思いますが、現状は、「都市と地方の格差」「少子高齢化」「人口減少」プラス「人口の流出」といわれる問題が、皆さんが思っている以上に進んでいて、疲弊しているのがこの地域の現状です。
・・・・・・
その通り、市部はいざ知らず、日ヶ谷、世屋谷などは、「限界」の極み、なにがその現状打破への切り込み口になるのかが問題、議員としてどうお考えかうかがいたいと思って、待っていますと、
・・・・・・
私の宮津市の場合であれば、エコツーリズム大賞の優秀賞を受賞したエコツアーがあり、・・・

(うむ!なんとおっしゃった!巻き戻し、・・・・優秀賞を受賞したエコツアーがあり、・・・座り直して聞きました。)
 こうおっしゃいました。
・・・・・・
私の宮津市の場合であれば、エコツーリズム大賞の優秀賞を受賞したエコツアーがあり、体験型教育エコツアーとなっていて、里山体験でブナ林を探索したり、こんにゃくを作ったり、お米を作ったり、海では定置網漁や地引網漁を体験できます。「生きるには食べる」「食べるにはどうしたらいいのか」といった人間の基本となるものを勉強するものがここにはあります。といったように、都会の子どもたちは田舎へ、逆に田舎の子どもたちは都会へ、それぞれの地域の良さを体験交流できるような仕組みをつくっていくのも、こういったネットワークで活用できるという優位性の意味が出てくるのではないでしょうか。そういったことができるのも、このネットワークでしょうし、こういったことを通し、未来ある子どもたちの心の豊かさを育んでいくのも、我々地方議員ができる地方から国を変えていく方法の一つではないでしょうか。
・・・・・・・・

なんと、私達の取り組んでいるエコツーリズムを、全国から集まって研修されている議員さんたちを前に紹介し、 「都市と地方の格差」「少子高齢化」「人口減少」プラス「人口の流出」に悩む地域も、教育の場としてとらえれば新たな価値が発掘出来る、それは、「我々地方議員ができる地方から国を変えていく方法の一つ」と強調されているのです。ツーリズムは発地と着地のりょうほうがあって成り立つものです。Aさんは、着地側の議員さんです、その議員さんが、研修に集う発地側の、つまり都市部の議員さんに、「このネットワークの優位性を活かして、何か一つでも形に落としていくことが重要ではないでしょうか。例えば、「教育」」として、エコツーリズムを取り上げられたのです。発地側の課題と着地側の悩みを両方の問題に迫る形としてもエコツーリズムがあるではないかと。
 そのエコツーの今日までの歩みをふりかえれば、山・里・海を一体のものとしてとらえ、誠意を込めて受け入れる体制は出来ています。市あげての応援があったればこそ、A議員さんも応援してくださっていたのだな、と思ったことです。
エコツーリズムは地域課題に直結した事業なのだ、地方から国を変えていく方法の一つだと言われれば、その前線に立つエコツアーガイドとしては、あらためて気合いを入れざるをえません。
ガイドは、来て頂ければ必ず楽しんで頂き、生物多様性、持続可能な社会へ向けた暮らしの見直しなどメッセージも送ることができる実力を養おうと努力してきています。必ずしも順風満帆と言うわけではなく、期待に応える実績を上げているわけではありませんが、本道をこのまま歩いていけばじわじわと評価は伝わっていくと思います。(ね、mさん!きばりましょうよ、楽しく、賢く、末永く!)

     二年生も参観、中学二年生、クラブ活動では、後輩を迎えたお兄さん、先輩はいるけれど、半年後には、中心に。自分の明日に向かって、自分を考え、自分を知り、仲間に磨かれる葛藤の時をすごします。そんな二年生のために、最初の国語学習にはこれを、と置かれたのもやはり詩、ポエム。

    「 明日 あす 」 谷川俊太郎 ・・・・ こんな詩です。・・・・・

    ひとつの小さな約束があるといい
    明日に向かって
    ノートの片隅に書きとめた時と所
    そこで出会う古い友だちの新しい表情

      ・・・・・・という連からスタートし、以下

    ひとつの小さな予言があるといい
    明日を信じて
    テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き
    <曇りのち晴れ>天気予報のつつましい口調

    ひとつの小さな願いがあるといい
    明日を想って
    夜の間に支度する心のときめき
    もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ

    ひとつの小さな夢があるといい
    明日のために
    くらやみから湧いてくる未知の力が
    私たちをまばゆい朝へ開いてくれる

    ・・・・・・と続け、そしてクライマックス。

    だが明日は明日のままでは
    いつまでもひとつの幻
    明日は今日になってこそ
    生きることができる

    ・・・・・・最後に

    ひとつたしかな今日があるといい
    明日に向かって
    歩き慣れた細道が地平へと続き
    この今日のうちにすでに明日はひそんでいる

    ・・・・・・と結びます。 谷川俊太郎さんが、 明日というつかめるようでつかめないイメージを、約束・予言・願い・夢・明日・今日この六つの名詞を柱にし、その言葉と 向かう 信じる 想う 湧く 等ダイナミックな動詞を組み合わせ、描きあげた詩です。およそ人の数だけ「明日」はありました。人生の数だけ「明日」はあります。今生きている人の数だけ「明日」はあるでしょう。生きている内容そのものを表す言葉、人間であることの意味そのものを表す言葉はなんだろう、、、、有名無名・古今東西をとわず、、国籍・老若男女も問わず、人間として生きた人達の数限りのない人生を見た詩人の、厳しいフィルターに残った言葉、それが「約束・予言・願い・夢・明日・今日・ 向かう・信じる・ 想う・ 湧く 」等なのでしょう。
     生徒の音読を聞きながら、世屋の里のエコツアーガイドとして、わたしも、「ひとつの小さな夢がある」「ひとつの小さな願いがある」とつぶやいていました。ちなみに、この俊太郎さんの息子の賢作さん、ピアニストですが、昨年しおぎり荘へ来られているんですよ。

    嵯峨御流の大覚寺展

     さて、mさん、sさん、kさん、siさん、今日の京都・嵯峨大覚寺訪問、お疲れ様でした。楽しかったです。三人寄れば文殊の知恵、というのに5人もよったんですよ、なんの智恵にたとえたらいいのでしょうか、ありがとうございました。
     さて、御流の華は美しかったです。道の駅「和」に出荷されているセリやフキも美しかったです。いける手、摘む手に明日への夢と願いがあるからでしょう。

    「ひとつの小さな夢があるといい
    明日のために
    くらやみから湧いてくる未知の力が
    私たちをまばゆい朝へ開いてくれる」

    と、念じながら、生けられたのでしょう、

    「ひとつたしかな今日があるといい
    明日に向かって
    歩き慣れた細道が地平へと続き
    この今日のうちにすでに明日はひそんでいる」

    と、念じながら、摘まれたのでしょう、

     私達にとっても、「たしかな今日」でした、ね mさん!

 快晴。久しぶりに走った京丹後市ジオパークラインは碧い海、青い空をバックに桜、菜の花、らっぱすいせんのフラワーロード。昨日の雨と風は今日のためのクリーニング役だったことを知りました。。
 畑に目をやれば、フキはとうがたって、畔には、キジむしろ、たちつぼすみれ、ひめおどりこそう。そして、たんぽぽ。耳を澄ませば、カエルの「さえずり」。世屋では、のびをしている春も、ここではすでに爛漫の域に達していました。
 走った目的は、A中での授業参観。一年生の授業。これから新たに中学校生活を始める彼らのために、私達大人が準備した初めての教材はこれ、『ねがいごと』という詩。 ~お孫さん、甥御さんなどのおられる方のためにレポートしますねMさん、姪御さんもしっかり勉強されていましたよ~
 作者は、たんぽぽ はるかさん。ええ、姓はたんぽぽ、名ははるかさん。こんなかわいらしい詩です。

ねがいごと
               たんぽぽ はるか
あいたくて
あいたくて
あいたくて
あいたくて
・・・・・・
きょうも
わたげを
とばします

作者のはるかさんは、中学一年生の女の子。4月生まれ、お父さんお母さんは。春香・春花・春佳とも考えたらしいが、まろやかなひらがなでと考えられた。その思いの通り優しい、しかし、しっかりと根を張る頑張りやさん。中学生になって、前には、真っ白な雪野原。どんな道をつけようかと胸を膨らませている。そんな気持を書きました。
 、、、ははははは!冗談につきあっていただいて、ありがとうございます。実は、工藤なおこさんの詩集「 野原うた」に収められている作品の一つです。タンポポは、ロゼットで冬越し、花は地面に張り付くように咲かせますが、綿毛になるころには、花茎をぐーんと伸ばし、風にのせます。 
 生き物は次世代の生育場所を確保してやらねばなりません。そのために、さまざまに試みました。球根でやろう、地下茎でいこう、蟻に運ばせよう、鳥に食べさせよう、動物にくっついてやろう。
 タンポポはどう考えたか、彼らの好きなのは、日のよくあたりしかも、湿度のある土地。しかし、そんな条件は自然界にはそうそうあるものではないのです。どうするか、風を利用しようよ、しかし、風任せは運任せだよ、じゃあたくさん飛ばさなくっちゃあと思いついたのが、彼らたんぽぽ。
そんなたんぽぽの習性!と人の旅立ちの緊張感とを重ねて、詩にされたのです。大人にもほろ甘い思いがにじんでくるいい詩です。
■ あいたくて が四回繰り返してある よほど気持が強いのだと思いました、
■・・・・・はどういう意味なのかと思いました。
手を挙げはきはきと発表するのに、やるなあと感心しながら、エコツアーガイドは、あのなあ、タンポポの綿毛を数えてごらん、とつぶやいていました。

 斜めに走る雨と顔打つ風、悩みました。岡の前で、、、!今、世屋に向かって来られているお客さんに、どういうか、せっかくの撮影旅行です。なのにこの天候。気の毒です。けれど、「あいにくな天気になりまして」などと、気分をいっしょにになって落としているわけにはいかないじゃないですか。「昨日だったらよかったんですけど、」などは、禁句中の禁句。テンションをあげなければなりません。
「ガイドの精進が悪くて」、、、心にもないことを、、月並みすぎ、、、、
「水中カメラを持ってきてもらってますか。」、、、、ごまかしのジョーク、、、
「必ずしも、撮影日和とは言えませんね。」、、、、そのとおりすぎ、、、、
「春の天気は4日周期、あしたは晴れますよ」、、、、なにいってんだか、、、

霧の中の柿の古木

ギブアップ、思案投げ首で向かいの山に目をやりました。 向かいの谷をガスが登ってきます。ふと、思いました。「晴れていなくてはいけないという理由はあるのか!霧が、写真を撮ってくれと、絵を描いてくれているじゃないか!」根が単純です。「そうなんだ、上世屋には霧が似合う! これでいこう。」
「雨が似合う 風が似合う、それが上世屋、自然とマッチするのが世屋の里、雨も風も霧も大地に息づいている命の波動。成熟したカメラマンには、それが見える。」
春の命の波動を撮ってもらうぞ、心にそう念じて、お客さん一行を迎えに世屋街道を下りました。

その雨の中、照美さんは世屋マーケットに出すふきのとうを摘んでてくださいました。フキみそには開きすぎてるのでと言われましたが、テンプラには充分です。11個入り、百円、四袋完売です。坂田さんは、そばがきのお汁を準備してくださいました。これも好評。白石さんが火をおこし茶釜をかけ待ち受けて頂いていた囲炉裏にはカメラの放列。山県君も手伝いに来てくれました。しずかさんは、福寿草の咲く背戸の通行をこころよく承知して、雪掻きで痛む腰をさすりながら、こぎれいにと片づけてくださいました。そんな様子を井野本さんが見守っていてくださいました。
 桜など撮りに来たときは、個人でも里の中にはいっていいか、とたずねられるお客さんがありました。世屋を美しいと思って頂く気持ちが入場券ですよ、とお答えしました。

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