宮津エコツアー · 3月 2024

3月 2024

お、雪ユキヤナギ!

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ユキヤナギが雪を噴きだしている、噂の「雪を噴く花・噴雪花」とはこれかあ!

、、、と感激しました。

中国ではユキヤナギを噴雪花と呼ばれているのだそうです。

なので、中国系の外来園芸種かと思っていました
ところが、それは違う、日本原産でっすて。
川岸の岸壁の割れ目や岩礫地、河岸で少し増水すると水につかるような岩の割れ目にしっかりと根を張り生育しているとのこと。

ユキヤナギながとろkannkoukyoukai

↑ 長瀞観光協会

東北地方南部以南 の表日本側生育している生育しているとのこと、丹後では 宇川、野間川の谷がそういうところですが見かけないのは、たとえば、日本海側に多いタニウツギの逆バージョンのようなもののようです。

ユキヤナギ 庭には 植えない方がいい 何でかというと株元から次々と枝が出て大きくなる 落ち葉が掃除しにくい葉が細かくて、さらにヤナギではないのにヤナギと名付けられていて ヤナギの陰から幽霊は縁起が悪いというそうです。

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なので、庭ではない広いところ、里耕作耕作放棄地の景観と土壌保全とシカの食害との関係で、環境や景観保全上対応にあたっては、何が食べられて何が食べられないのか、なぜ食べられるのかなぜ食べられないのか、見極めておくことが大切と、今注目しているところなのです。

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◆景観悪化、そして土壌浸食、流出がともかく深刻なのです

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Copilot ①

同斜面では勾配30°以上でシカの食害でダメージを受けた低木が傾くことで根が抜け上がりを起こし斜面走向方向に亀裂を生じ、その後ササ以外のイグサ等の植物がこの木の根元周りにつくことで根系の上載荷重が増し、一層樹幹が傾くことになります 6)。その傾きと反対側の根元は斜面から浮き上がり、そこに入り込んだ雨水は土壌を根系から洗い出してしまいます。さらに風の力が加わることで写真-4 のように短期間で低木が転倒してしまう事があります。抜けあがった根がはっていた範囲が裸地を形成することになり土壌侵食を加速させることになります。

◆現状、上世屋岡ノ前植栽のユキヤナギには、シカの食害を受けている様子が見られないのです。

DSCN0022ヤバー

Copilot ②
シカは草食動物で、多くの木本類やツル植物、草本類を食べますが、特定の植物に対する好みはあります。ユキヤナギについての直接的な情報は見つかりませんでしたが、シカが食べる植物のリストには含まれていないようです1。シカは季節によって食べる植物を変えることが知られており、冬から春にかけては好まない植物や常緑樹を食べる割合が増え、夏から秋には好む落葉広葉樹を食べる傾向にあります2。したがって、ユキヤナギがシカにとって魅力的な食料であるかどうかは、その地域の他の食料源と比較して判断される可能性があります。もしユキヤナギがシカにとって不嗜好植物であれば、他に食料が豊富な場合は避けられるかもしれません。逆に食料が少ない場合は、食べられる可能性もあります。実際のところ、シカがユキヤナギを食べるかどうかは、その地域の環境や他の利用可能な食料源に依存するでしょう。

、、、、、

棚田修景に、葉の小さなユキヤナギ、噴雪花が有力候補、その感触は、現状ありますね、もう少し様子をみたいところです。

《一部》

よう冷えまじたた、夕べは、雪はどうだった、あんたとこ?

大変な風の音で、けっこうな吹雪でした!

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村がまるごと白うなったで

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彼岸だ思えん景色だなあ、ほんまに、、

「毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは」

それ、あんた考えたんか

まさか、正岡子規爺さん

だ、思ったちゃあ、で、どうしとるだろ あの姉さんらは!

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見にいってきたれえや なんぼなんでも寒かろうで

そうだな、じょしゃあがあったらあかん、ほったらかしとくわけにはいくまい、行ってくるわ

カイロがある、もっていったげにゃあ、、、、、、、、

《二部》

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お、おおう!!彼岸雪夜桜、、みごと、、

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お気遣いありがとうございます 元気です

よろしければ明日の朝、もう一度、おめにかかりとうございます

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《三部》

彼岸荒のまたの朝

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若木は嵐に育つ!

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ほんまもんだわ、

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「小町谷の彼岸姉妹桜の根性、見せてもらいました、で、、、、、!」

シリーズ ふたごの魔法つかい(川北亮司 作/ふりやかよこ 画)/ 童心社フォア文庫は、ネネブとデデブは、それぞれ500歳のふたごの魔法つかい。彼女たちが、子どもたちをまきこんで、不思議な世界をくりひろげる冒険ファンタジー、小学低学年からを想定した全15巻のシリーズです。

20240316_000911未来に残る児童本 と高いの評価あの高いおどろくな

その感想・レビュー、一つめ
◇小学校の低学年の時に読んだ記憶があって、図書館で見つけたので読んでみました。完全に内容を忘れていましたが、デデブとネネブの双子の魔法使いの名前だけは覚えていました。あと魔法の呪文も読んでて懐かしいなぁと思いました。ただ、ストーリーが全く覚えていなかっただけに結構衝撃な展開で面白かったですね。特に双子の魔法使いが姉妹喧嘩の果てに命がけの魔法対決をする描写なんて、けっこう怖かったですね。挿絵もおどろおどろしくて、子どもたちは平気なのかしらなんて思ってしまいました。

第一作の初版は1991年(平成3年)ですから、レビュー氏、「完全に内容を忘れていました」も当然ですね。

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このシリーズ第一作、ぎんなんのような小さな魔法のタネをめぐって、デデブとネネブのふたごの魔法つかいが戦いあうという、その名も「ふたごの魔法つかい」。これ、ぜひ手に取ってみてください、

20240316_001529これ見覚えあるだろ

その感想・レビュー 二つめ

◇いきなり双子のおぱあさん魔女のケンカから話がはじまる。今まで仲良しだったのにどうして?という説明は特にない。ケンカや戦いは命がけなくらい大変なのにそれをも辞さないくらいの失望みたいなものが、デデブの中に生まれたんだろう。どうしてデデブは花を咲かせることがいやになってしまったんだろう?その理由がないから一方的にデデブが悪いみたいになってしまうのは悲しいなあ。しかし、最後にネデブの木になったということはみんなはわかっているということかも。銀杏の木ハウスの断片図がよかった。こんなおうちに住んでみたい。。

丹後上世屋で今伝承されている古代布・藤織りが、巧みに取り込まれています。

20240316_001629(0)おどろくな2魔法使いはどこに 魔法使いにあいに生け身近に意外と

その感想・レビュー 3つめ

◇昔読んで印象に残っていたので借りてみました。今読むとなかなか深い。短い話しながらも子どもの想像力に火をつける。こんな冒険してみたいなあ。

川北さんが丹後上世屋で伝承されていた古代布・藤織りに出会ったのは、昭和50年代のこと、

その感想・レビュー 4つめ
◇タイトルだけは知っていたけれど読んだことはなかった。双子の女の子が主役の話だと思っていたら双子のおばあさんの魔法使いがタイトルの由来だった。驚き。自然を壊す魔法は人間にしか使えない、という言葉が刺さる。
参考までにこのシリーズへの書評・

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この出会いは、さらに25年温められ続けて、2016年『里山で木を織る 藤布が教えてくれた宝物』(汐文社刊)として世にだされました。

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この本たち、未来に残すべき児童文学書100選 が設けれたら、有力候補、です。

20240317_105447自然と子育ては一体なんです その①

ぜひ 読んであげてください、ね!しかし、在庫品切れ、ということなので、急げ図書館!

野ゆく君 花に聴かずや 語り部も伝えず ありし幾ものがたり、、、、、  舞姫・与謝野晶子

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《山の神》

あんたたち姉妹にしかたのめんことがある

五十河平原ど真ん中で咲いてほしい

彼岸だとはいえ内山颪は冷たいが頼めるか

《姉桜姫》

光栄です 内山のブナの目を覚ましてやります

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《妹桜姫》

よう見込んでくださいました

私を目指してツバメがかえって来るような花を咲かせます

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丹後小町谷田んぼのど真ん中に彼岸アネイモト桜

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この彼岸姉妹桜が、何時の日か、かならず五十河人のみならず、日本里山人の心に咲く花になること、そのものがたりを信じました。

ちなみに、正面の内山の向こうにセヤ高原。

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そこにも春・彼岸の青草。

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それにつけても、五十河田んぼと世屋高原田んぼの「何も無さ」、これ現代の奇跡、超一級の里山景観!

河辺飛行場建設と同じ、昭和16年、「大日本帝国海軍省」は、世屋高原にも、サーチライトを空に向け、耳をダンボにして音をとらえるための見張り所を特設していたのです。

160209_1719_001遺跡記事

二つの施設の距離、直線で約10km程度、機能的に一体のものでしょう。つまり、舞鶴の工廠と海軍基地を守るべく丹後半島全域の基地化が進められていたのですね。

この見張り所については、2021年7月11日にアップされた YouTube「nacre tango 【戦争遺跡】日本軍の防空のためのサーチライトや巨大聴音機が置かれていた戦跡〜宮津市上世屋|丹後の歴史」で見ていただけます。

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戦争と平和に関することはささいいなことでも言い継ぎ語り継ぐことが大切なことは言うまでもありません。貴重な仕事です。ぜひご覧ください。

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京都府各市町もみな非核平和都市宣言を採択し掲出という形や慰霊祭などで、その仕事をされています。

平成19年3月29日 与謝野町議会 「非核・平和の町」宣言に関する決議
恒久の平和と核の廃絶は、人々の共通の想いです。しかし、依然として核兵器の脅威は平和を、世界の命を脅かしています。核兵器や戦争からは何も生まれないということを私たちは知っています。
今こそ国家、文化、イデオロギーの壁を乗り越え、平和への誓いを立てることが必要です。
未来の子どもたちが穏やかに暮らせるよう、すべての命に平和の光が射すように、恒久平和の理念を掲げ、私たちのまち与謝野町は、「非核・平和の町」としてありつづけることをここに宣言します。

~文体がですます調で柔らかく、文言も、未来の子どもたちが穏やかにくらせるよう、すべての命に平和の光が射すように、など平易簡潔ですね。~

平成 23 年(2011 年)3 月 20 日 京都府京田辺市 非核平和都市宣言
やすらぎと希望に満ちた平和な日々を送ることは、世界の人々の願いです。
しかし、いまも世界のどこかで人間(ひと)の命の尊さを踏みにじるような争いが続き、人類は、核兵器の脅威にさらされています。原子爆弾による広島・長崎の苦しみや悲しみが、二度と繰り返されることのないよう、私たちは、日本国憲法が掲げる平和理念に基づき、非核三原則を守り、非暴力と対話で、核兵器の廃絶と世界の平和を訴え続けなければなりません。
「戦争の悲惨さと平和や生命(いのち)の尊さを、次代を担う子どもたちに伝えたい」
「ぼくたち、わたしたちも平和な未来のためにできることをがんばります」
世代を越えて受け継がれる『平和への思い』が、世界平和への希望の光となることを信じます。
私たちは、木津川と甘南備山に包まれた豊かな自然と先人が築いてきた歴史や文化を大切にし、互いに尊敬しあい、家庭から地域、地域から世界へと笑顔と思いやりの輪を広げながら、一人ひとりが平和の実現に向けて努力することを誓い、ここに京田辺市が非核平和都市として歩むことを宣言します。

~文体用語の平易柔軟さ、視点の優しさがさらに家庭の茶の間に掲示していいほどにこなれて、家族三世代が折に触れ語り合う様子が浮かぶほど、思いが豊かに結晶した感があります。~
そして、宮津市!さらに早く昭和62年3月27日に非核平和都市宣言。
真の恒久平和は、人類共通の念願である。しかるに、核・軍備の拡張は依然として強まり、世界平和、人類の生存に深刻な脅威をもたらしている。我々は、世界最初の核被爆国民として、核兵器の恐ろしさと、被爆者の今なお続く苦しみをかみしめ、この地球上に再び広島、長崎の惨禍を繰り返させてはならないと、あらゆる国の核兵器の廃絶と軍縮を全世界の人々に訴えるものである。また、非核(作らず、持たず、持ち込ませず)の完全な遵守を求め、戦争の悲惨さを伝え、日本国憲法に掲げられた恒久平和の理念を日常の市民生活に生かし、子々孫々継承するた
め、ここに非核平和都市たることを宣言する。

「である。しかるに、てはならない 子々孫々、、、、」いまなら子ども、女性に受け入れられるか不安な固い語調ですが、それが昭和62年の時代性。

400px-Nuclear_use_locations_world_map かく実験

↑ ウィキペディア

1945年に初めての核実験が行われて以降、アメリカ合衆国・ソビエト連邦を中心にさらに英仏中、インド、パキスタン、北朝鮮が加わり 約2,000回もの核実験が行われていたことを踏まえれば、宣言に強い言葉が必要だったとは頷けます。

戦没者追悼式

↑ 宮津市広報

慰霊祭も毎年、執り行われています。

「10月28日、宮津市戦没者追悼式をみやづ歴史の館で行いました。参列されたご遺族等61人が、先の大戦で尊い命を失われた宮津市の戦没者1484人の冥福を祈り、平和への思いを新たにしました。
式典では、昭和20年にルソン島で義父を亡くされた宮前睦子さんが、遺族を代表して登壇され、「私達は平和の中で生きていますが、薄れゆく戦争の悲惨さや平和の尊さを語り継ぎ、二度と戦争はしないと強く思い戦没者の方々のご冥福をお祈り申し上げます」と話されました。
城﨑市長は、式辞で「令和の時代においても戦争のない時代となるよう、恒久平和への誓いを新たにいたすとともに、ふるさと宮津の限りない発展のため、市民の皆様と共に力を合わせて取り組んで参ります」と述べました。」と宮津市広報。

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こういう宮津市ですから、特設見張り所跡について、存在を示し、内容を説明するものがあってもよさそうなものです。しかし、ないのです。

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一方、世界の平和をめぐる情勢はどうでしょうか、新しい戦前、、、第三次世界大戦、、、そんな言葉が出るほど逼迫することとnacre tango、その視聴が宮津市の人口の二倍を超える40000回を超えていることとは、無関係ではない,強く深くつながっていると思います。

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人を殺し、わが身は生き残ることを教える戦争の愚は許さないと、行政の力でしっかり調査をし、整備すべきは整備して、紹介看板を一本くらい立てておいても つまらないことをしたものだと責められることは、まずないのではないでしょうか。

ここは、竹野川に大谷川が合流する付近。

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春と冬を分ける春分の夕日が隠れる山を、久次岳というのだけれども、この「ひ・さ・つ・ぎ」という意味不明な音は、稲作を定着させた朝鮮半島からの渡来人が付けたものらしい、そんなことをおもいながら見つめていました。

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そしたら、ふと、その前にすんでいた縄文人、彼らは、冬と春を分ける太陽が沈むこの景色をどうよんでいたのだろうか、とも思われ、アイヌ語ではなんといったのか、チェックしてみました。

アイヌ語で 「ペケレチュプカムイ」といえば太陽 月は「クンネチュプカムイ」、山は「ヌプリコロカムイ」、川は「ペッオルンカムイ」、疫病は「パヨカカムイ」、人に恩恵を与える神は「ピリカカムイ」など。 mataマタ は 冬     paykarパイカラ は 春 というらしい 夏   sakサク
秋   cukチュク cup ahun(日が沈む)
縄文人=アイヌ人ではないのだけれども、
まずは現代日本語混じりのアイヌ語で
山ヌプリコロカムイに春パイカラと冬マタを分ける太陽ペケレチュプカムイが山ヌプリコロカムイに沈む
チュプアフン

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次にアイヌ語だけで
ヌプリコロカムイ、パイカラ、マタ、ペケレチュプカムイ、ヌプリコロカムイ、 チュプアフン

繰り返し
ヌプリコロカムイ、パイカラ、マタ、ペケレチュプカムイ、ヌプリコロカムイ、 チュプアフン
みんなで
ヌプリコロカムイ、パイカラ、マタ、ペケレチュプカムイ、ヌプリコロカムイ、 チュプアフン
ヌプリコロカムイ、パイカラ、マタ、ペケレチュプカムイ、ヌプリコロカムイ、 チュプアフン
ヌプリコロカムイ、パイカラ、マタ、ペケレチュプカムイ、ヌプリコロカムイ、 チュプアフン

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さて、ここは、竹野川に大谷川が合流する場所に架かる橋、

その名が、大日本帝国海軍河辺飛行場海軍橋!

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なんとも古めかしく直立不動した名ですがその由来を知れば、また頭が下がるというかいきなり現代のきな臭い現実に引き戻されます。

以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia
海軍橋

河辺飛行場(こうべひこうじょう)は、かつて京都府中郡河辺村と新山村(いずれも現・京丹後市)にまたがる地区に存在した大日本帝国海軍の飛行場である。

太平洋戦争中の1941年(昭和16年)、峯山海軍航空隊の施設として長さ800メートル・幅80メートルの滑走路などが建設された[1]。1945年(昭和20年)2月以降には特攻隊員の飛行訓練が行われた[2]。同年7月下旬には隊員が鹿屋航空基地や岩国航空基地などに派遣されたが、全員とも出撃しないまま終戦を迎えた。河辺飛行場自体は7月30日の峰山空襲で破壊されている[3]。

立地
飛行場建設にあたり、丹後半島でまず候補地となったのは弥栄盆地だったが、霧が多発する気象条件や周囲の地形や風向きが好ましくないとされ、次に候補地となったのが竹野川右岸の中郡河辺村(現・京丹後市)から新山村(現・京丹後市)にかけての約50町歩の田畑であった[4]。21世紀現在の峰山町新町にあるショッピングセンター「マイン」付近から大宮町河辺にかけての峰山盆地(中郡平野)の中心にあたる[5]。峰山盆地は、南北約5キロメートル、幅1キロメートルほどの谷間のような狭さであったが、山間ながら比較的風向きが安定しており、その風向きと平野が開ける方向が同じであるなどの特徴がある[6][7]。一帯はほぼ平地ではあるものの、集落から竹野川にかけてゆるやかに勾配があったため、これを平坦にするため、山を削り、田を埋める工事が行われた(後述)。

飛行場基地の正門は河辺村の集落の東南にあり、大谷川を渡ったあたりに隊門があった[8]。竹野川の土手から峯空園に入る「海軍橋」を渡った辺りには練習生が主に使う門があった[8]。

航空隊の本部は口大野村余部の旧国道沿いにあり、2021年現在は府営住宅が建っている[8][注 1]。この本部から約200メートル北西の青年山に通信室、工作科、整備科の作業場が建設され、緊急時に司令部を移すことができるよう大規模な防空壕が掘られた[8]。この場所には2021年現在、特別養護老人ホームおおみや苑がある[8]。

、、、、、

武力行使など、人間のすることか、、、、

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ヌプリコロカムイ、パイカラ、マタ、ペケレチュプカムイ、ヌプリコロカムイ、 チュプアフン

絶対に、絶対に、絶対絶対平和です。

さて、この橋、あるところのあるものと連動しているのです、、、続く。

「あんたがわたしの命の恩人だ、というもんが、顔を見せとるだが、会うたってくれるかなあ!」

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だれだいや

なまえか アマナちゃん
知らんでえそんなもん

足下におんなる

20240313_162119大地を見ながらたちばなし「

このかた、え?

20240313_162314これがアマナ
え、これがそのなんtっyたかいな
そう アマナさん

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ほれ、耳を澄ましてみ,

「いつも彼岸や盆、お葬式ができたらその前に、皆さんが歩きやすいように、そう心がけて草を刈ってくださっておられます、わたくし、こうして生きておられるのは そのおかげなのです。」

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聞こえようが、な。

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昔はウシがおったり、米ツくっと田頃はみんな草刈り虫だっただし、米が不作の年は、わたしを掘って、甘い美味しい、麦みたいなおおきさだけど、クワイのような形しとるいうてちょっとは恩返ししとったです
それが近年、ウシも草刈り虫もおらんようになてえ、、、、おまけにシカでえらいめにおうとるです、こんごもどうぞよろしく、、、。

このやりとりを、図鑑ふうに現代語訳しますと、こうなります

(兵庫県篠山市・草地 2011.4/1)
丹波地方はアマナの生育している場所が多く、農地の草地や、春先には陽光の差すクリ園の明るい林床などでよく見られる。

すべての画像
日当たり良い場所では画像のように多数の開花が見られるが、半日陰となると開花が見られず、根生葉だけの個体が多くなる。
もともとは開花結実して分布を広げたはずであるから、アマナが分布域を広げた時代よりも、かなり植生の遷移が進んだのだろう。
アマナなどの日当たりよい草丈の低い草地に生育する種にとっては自生地へのネザサの進入が致命的となる。
草刈りや野焼きといった里山の人為的な営為によって生育が保証される種である。

西宮の湿生・水生植物

http://plants.minibird.jp/kansai/kansai50/kansai_a/con_a/am…

アマナ-関西の花・春の花・西宮-

泣いた赤鬼、浜田広介作 あらすじ 前段

、、、

とある山の中に、一人の心優しい赤鬼が住んでいた。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思って、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」という立て札を書き、家の前に立てておいた。

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しかし、人間たちは疑い、誰一人として赤鬼の家に遊びに来ることはなかった。赤鬼は非常に悲しみ、信用してもらえないことを悔しがり、終いには腹を立て、せっかく立てた立て札を引き抜いてしまった。

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一人悲しみに暮れていた頃、友達の青鬼が赤鬼の元を訪れる。赤鬼の話を聞いた青鬼
さて、どうしたもんかいな!

思案の末、思い至って、提案した方策がこれ、

「ぼくが人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ君が出てきて、こらしめる。そうすれば人間たちにも君がやさしい鬼だということがわかるだろう」。

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この作戦、正しいとかおかしいとか、各論あるでしょう、問題はその前、そうかそうだなあ、と寄り添う、聴く、受け止める。そこが全て、
葛藤があったはず、無理筋だ、止めた方がいい、と青鬼は強くアドバイスしたかもしれない、その願いの根拠を赤鬼は熱く話しもしたのでしょう、二人、深く長い思案の末、課題解決のための協同作戦として思い至った方策と実行

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そのドラマは友情ものがたりとして、「走れメロス」に匹敵する深さをもったものがたりとして読めるのではないでしょうか。

ちなみに、この「走れメロス」は1940年初版、『泣いた赤鬼』の連載初発はそれに先立つこと7年、昭和8年(1933年)のこと、

これを知れば、単なる児童文学として読んではいけない気がします。

日本が『国際連盟』から脱退した、それが1933年だったのです。

1.1 日本軍,山海関で中国軍と衝突。翌2,関東軍出動(山海関事件)。

1.27 関東軍司令官武藤信義,熱河作戦の発動準備を命令。 2.23熱河省に侵攻。
2.14 国際連盟19人委員会,リットン報告書の採択と,満州国不承認を内容とする英・仏・独などの9か国小委員会案を全会一致で可決。
2.24 国際連盟総会,19人委員会の報告書を賛成42,反対1(日本),棄権1(シャム)で採択。日本代表松岡洋右丿日本は日支紛争に関し国際連盟と協力せんとするその努力の限界に達した」と宣言,議場より退場。
3.27 外相内田康哉,連盟事務総長ドラモンドに日本の国際連盟脱退を正式に通告。詔書発布。

つまり、地球村から孤立して、不信の極み、戦争、被爆、敗戦への道が始まった年なのです。

昭和8年

このような時代の状況は、作家の創造活動に大きく反映されます。不信と信頼が大きく問われた時代に生きた浜田広介さんや太宰治さん、二人は、今は友情ものがたりとしてしか読まないメロスや鬼に何か別の何かを託されたとおもえてなりません、ね。

三重谷を跨ぐ峰山までの延伸架橋工事現場付近で野焼きをされていました。

20240315_102833世代が景色を 一世代かかります

小町公園五十河の里まで4km。

「小町さんが生きとんなったら、京都から丹後へ行き来するのに便利になるいうて喜びなったろうで。」

20240315_103306里山スプリングプロミネンス

プロミネンスのように立つ火の柱。三重谷に立ち込める春の香り。

「あんまり大きい火にしなるなよ、橋が燃えるで!」

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開通までまだ五年かかるといいます。

「けど、すぐだ、気張っていきとらんなんわ、渡り初めしゃあてもらわんならん!」

20240315_103149解体 いえ建設工事

冗談とも本気ともつかん話しながら、新旧の時代がクロスしているのが面白かったです。

1ヘクタールほどに約5万株のフクジュソウが作り出す圧倒的な春。

(↑ ネット写真引用)

長野市七二会小坂地区小坂福寿草群生地愛護会が世話するフクジュソウ群生地です。

さて、上世屋フクジュソウ。

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竹藪を刈り拓いたら、そのあとに密集して開花しているこの状況を見ながらの対話。

〇雪で倒れる竹が道を塞ぐのが困るので、業者に35000円払って、切ってもらったというんだ、そしたら宝物が出てきた

◇眠っていた種が、光を感じて目をさましたんやな、さらに切ってやるとふえる可能性はあるで。

●個人の負担、これが続くのはあかんはな。

◆上世屋には、小坂地区に勝るとも劣らない日本の里100選のロケーションがあるので、課題は増殖、維持、管理の何年にも渡る持続に耐える意思決定!。

◇できますか!

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■「大気・水・土壌環境保全活動功労者」表彰を受賞したF探なら、いうでしょ、不可能ではないと。

DSCN0308決断

◇多分、ね。

●希少種保全への補助制度、ありますか

◇探してみよう

、、、、、

呼べ、せやの里に黄色い炎が燃え広がる春、心は飛んでいます!

※◇探してみようさんからの後日情報

「希少種保全への補助制度がありましたよ」

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